激務明けの休日。
今日も介護の合間に
精力的に動いた。
まず、午前中は
市内を駆け巡るジョグ。
約16キロを走った。
薄手のウインドブレーカーが
心地いい季節じゃね。
午後からは、
本日のメインイベント
バイクのチューンナップだ
ペダルとシューズを換える。
購入したのは
これ。
SPD-SL
グレードはアルテね。
デュラよりおしゃれじゃないですかあ。
シューズもシマノのSL仕様シューズ
今使っているのより
グレードは落ちるが
分相応ってもんやね。
作業手順はこうだ。
おっと、その前に全体を
キレイキレイしなくては。
フキフキ
ゴシゴシ
ナデナデ
ピカピカ
よしよし、それでは
作業に取りかかろう。
まず、旧のペダルを脱着。
SPD-RもSL同様、裏から
六角レンチでゴキゴキ。
ここでは左右逆ねじだから注意やね。
注意するのは右ペダル。
メカがごちゃごちゃしてるもん。
それが済めば
新しいペダルにグリースを
ペトペト
そして装着時も逆ねじに注意やね。
装着完了!
う~ん、うっとり
優れた道具は美しいにゃあ
グーちゃんも見とれているよん。
完成後は
新しいペダルの具合を試しに
チョイとひと乗りして
海まで行った。
夕焼けがきれいやったな
今年はいいシーズンになりますように
バイクシューズが
限界を迎えていた。
ランニングシューズほど
消耗はしないが、
さすがに10年以上も使っていると
アッパーのつま先部分や
ソールのカーボン部分が
へたってくる。
しかし、今のシューズを
買い替えとなると
取り付けるクリートの関係上
ペダルも換えなければならないので、
ためらっていたが、
最近、出物を見つけたので
シューズに合わせて
ペダルも換えることにした。
現行のペダルは
SPD-Rだが
新しいのは
SPD-SL
今度の土曜日に
そのペダル交換も含めて
バイク関係の
チューンナップをしようと
考えている。
さあ、来週の篠山が終われば
いよいよ、トラシーズンに突入だ。
新ペダル&新シューズで
今年も楽しむぞ~
初めて宮古島の
トライアスロンに参加したのが
今から約14年前。
写真も微妙に色あせるほど昔。
デジカメなんてなかったし。
このときのせがれは9歳。
いまは。23歳の立派な?大人ですわ。
わしは変わらんな
乗ったタクシーの中で
流れていた音楽は
沖縄民謡ばかり。
当時の宮古島は
浮世を離れて
別世界に迷い込んだような
そんな静かな島でした。
ざわわ、ざわわと
風が流れるサトウキビ畑で
ひとりで汗を流しながら
せっせと農作業をしている夢を
時々思い出したように見るのは、
よほど、あの時感じた
宮古の空気が
忘れられないでいる
証のようなものだね。
初めて、宮古トラを完走したときの感想を
社内報に乗せたことがあり
その時、僕はこんなことを書いている。
「宮古島から帰ってきて
はや一ヶ月が過ぎるが、
あの時島中を巡った僕の
何分の一かは
まだ、あの島にとどまっているような
気がしてならない」と。
そんな宮古島で最近は1月に
100kmマラソンが開催されている。
多分、あの城辺(ぐすくべ)の海沿いの道や
アップダウンの七又海岸、
ドイツ村なんかを通るのだろうな。
東平安崎(ひがしへんなざき)や
池間大橋も渡るのかな?
そんなウルトラマラソンに
セイゾークン達が参加し、
先日お土産をいただいた。
宮古そば
&
モンテドールのケーキ
宮古そばは
現地でも有名で
僕も行ったことのある
「古謝そば」のもの。
生そば、豚肉、スープがセットになっている。
早速いただいたら、
あの古謝そば本店の景色が
蘇ってきたよ。
今も変わっていないのかな。
前の駐車場が
バリアフリーも
何のそのの、段差だらけだった印象が
あるんやけど・・・。
モンテドールは
大会時に大会記念の特別製の
紅芋のパイを作って
大会会場で売っていたなあ。
オリオンビールのブースのそばに
出てたようなイメージが
あるけど、何となく
記憶もあやふやなほど
遠い昔になってしまった。
そんな風に
昔を懐かしむような
気持ちで、お土産を
ありがたくいただいた。
僕の中の宮古島を
思い起こさせてくれるに
ぴったりの品でした。
セイゾー君、いつも
ありがとうございますだ。
その後、宮古トラには
あと2回、合計3回参加したが
年々都会化していく
島の変化の様子が
少し哀しかったなあ。
タクシーの中で
沖縄民謡でなく
ヒッキーの歌が流れていたときなんか
哀しくて、涙が流れそうでしたわい。
そうそう、
一回目の時、会場で友達になって
2回目のとき、
宿まで訪ねてきてくれた
現地の夫婦の方がいる。
その夫婦に教えていただいた
島内の名所を、レンタルの
原チャリで巡った旅も
忘れられない旅になりました。
砂山ビーチ
宮古島博物館
ツマグロゼミ繁殖地
今、あらためて宮古に行くとしたら
一番したいのは
サトウキビ畑に
どっかり腰をおろして
風の歌を聴きたいのと、
あの時の夫婦の方と
オリオンビールで
「アリッ、かんぱあい」
とやらかしたいもんですわ。
わしの右足首には常にミサンガが巻きついている。


当時、
「泳げるようになりますように」

そして
「トライアスロン出場がかないますように」

と願ってつけ、
それが見事にかなったものだから、
今も欠かさずつけている。
今年でもう20年以上になるわけだ。

当時、
こんなことをしている人はほとんどいなかった。
アンクレットは昔からあるのだが、
男でつけている人は少なかっただろう。
でもそんな高級品をつけて
水泳をするのは抵抗があるが、
ミサンガなら水の中ではずれても平気だ。
しかも、
仕事をしているときなどは、
ソックスの中に潜ませているので目立たない。
プールサイドで
スイマーに変身するときや、
ランナーになるときだけ、
姿を現すので不都合はないわけだ。

材質にもよるが、
一度つけると2年以上はもつ。
これまで、そうやな8回くらいは切れて
取り替えているだろう。
切れそうになってきたときには、心が騒ぐ。
これのおかげで、
水泳とトライアスロン以外の
何かの願がかなったという
明確な記憶はないけど、
これまで故障や病気はあったものの
何とかやってこれているので、
切れたときには
何かの不幸が断ち切れたんだと
思うようにしている。
要するに、身代わり人形のようなものですな。

靴下のなかでごろごろせず、
走っているときもチャラチャラしない
シンプルなものを選んでつけています。
いっときは自分の手作りのものを
つけていた頃もある。
最近は、
ジムなんかで見てると
巻いている人がけっこう多い。
専用のスポーツアクセサリーもあるようだ。
20年前には、自分以外には
つけている人はほとんど見なかったのに、
きっとわしは
最近のこの静かなブームの
火付け役の一人なんじゃないかと、
ひそかに自負しているんやけどなあ。

今つけているミサンガが
最近かなりヘタッてきている。

今度切れたら、
doiron完全復活となるのか、
あるいはスーちゃん復活となるのか。
自分的には後者であることを願うばかりだね。

忘年会をやった。

場所は大阪福島のふぐ屋。
遠いんやけど
そこの大将が
トラ仲間の学生時代の
スポーツ仲間で、国体にも
一緒に出た友人なんだそうだ。
それに
今はすっかり面影もないが、
その昔、フルマラソンも
走ったことがあるという。
とっても気のいい大将です。
忘年会の開始は5時半。
え?早いって?
いえ、あのその
情報ビッグバンの仕事が
一段落したので
今日は午前中、スーちゃんの
処遇について病院で話し合いもあったので
わしは休みを取り、
他の連中も、それにあわせて
一時間早退してくれた。

病院での話し合いが終わって
午後から早々に、
買い物もしようと
大阪市内、梅田に出た。
しかし、この時期
人ごみに出て行くのは
勇気がいるねえ。
普段は車の通勤だから
満員電車に揺られることもないので
人ごみに対する免疫が出来ていない。
風邪、インフルエンザ、水虫、
痴漢の濡れ衣など
都会はコワイことだらけだ。
それに、梅田の地下街などは
田舎者のdoironにとっては
未知のジャングルを歩くようなもので
歩いていると、
あれ?さっきここは通ったぞ
なんてことはザラにある。
迷路にもほどがあるっちゅうねん。

それでもなんとか、
昔の淡い記憶をたどり、
ロフトやイングスをさまよいながら
クリスマスの雰囲気を



味わってきたよ。そして
仕事帰りで都会に人々が
あふれる前に忘年会の
会場へ向かったのだ~。

今日の忘年会のメンバーは
トライアスロン仲間とは言っても
現在もしぶとく
ロングトラをやっているのは
わしだけで、
わしが大会で見かける
昔の知り合いたちの消息が肴になった。
メチャ楽しい時間を過ごしたな~。
それに今日のこの連中は、ほんとに
公私ともに
わしの人生に
直接関わり
影響しあってきた仲間なので、
話題の一つ一つが
わしの生きざまそのものなんじゃな。
今日もランの練習はできなかったけど
こんな都合なら全然気にはならんもんね。

あ、そうそう
忘年会の帰りには
ICOCAも初チャージしたよ。
かんた~んじゃったのう。
酔ってても
間違いないくらいのシンプル操作やったし。
世の中便利になったもんじゃのう。
現金一切なしでも
都会を歩けるんやからねえ。
ふぐ屋は現金


今日は「千日参り」
今日墓参りをすると
千日分の墓参りの功徳を積んだことになる
という、無精者には
ありがたい日じゃ。

毎月墓参りをしているスーちゃんが
腰痛でしばらく参ってなかったから
行ってみたら
草ぼうぼう





ま、大体予測はできていたので
草むしりの道具は持っていってた。
先日の庭の草むしりが
いい予行演習だったにゃあ。

そして、墓の裏側に回ったら
な、なんと誰かがきれいに草むしりと
掃除をしてくれていた。
ご近所さんの親切じゃな。
ありがたや、ありがたや。

持つべきはご近所やね。

汗まみれになって、掃除完了。
ジャンジャンとセミの鳴いてる墓地で
汗を拭いてたら、
ふと子どものときの
夏休みを思い出した。
あの頃も、お盆の暑いときに
こうして草むしりをさせられて、
セミの声を聞いては
早く帰って
友達が待ってる神社に蝉取りや
遊びに行きたい
なんて考えてたな。

だから、午後からは
神社に遊びに・・・
行かへん、行かへん

久しぶりにバイクに乗ったよ。

今シーズン、よく行ったコースを
エッチラオッチラ漕いできた。
それにしても暑かったなあ。

皆生を思い出すような暑さの中で、
フラフラになってしまいました。
2時間で40km位を走って、
今日はこれくらいにしといてやりました。

皆生の後でもバイクに乗ろうという
気持ちがあるのは
何なんやろうって
考えたら、
来年はもう少し楽に完走したいと
思ってる自分がいたよ。
どうやら、doironは
来年も皆生に出たいようですな。

今年の春、他社から出向してきた社員が
わしのデスクの隣に座っている。
物静かな人なので
あまりしゃべらないが
こちらから水を向けると
結構のって来る。
聞けば、フルマラソンを走ったことが
あるようで、
ベストタイムは3時間15分前後らしい。
ま、そこそこ走る人なので
すぐに気があって、
わしの萩や皆生の話を
目をキラキラさせて聞いてくれていた。
あ、歳の頃なら40台前半の男性ね。
その人が配属となった部署は
本来所属していた場所と違って
結構時間的に余裕があるようで、
話の端々から
どうやらトレーニングを再開したことが伺えた。
その人とは、話す機会も多くなり、
よく、機会があれば
トライアスロンの話を聞きたがっていたのだが、
6月のある日、職場に来て
「とうとう、ロードバイクを買っちゃいました。」
だって。
聞けば、フレームは
FELT
渋~い、めちゃ渋い!
そして
休みのたびに、喜んで乗り回してます。と
言ってるかと思うと、ついに
少し前
「とうとう申し込んじゃいました、トライアスロン」
だって。
先週の日曜日には
スイム1.5km
バイク40km
ラン10km
の通し練習をやって
ヘロヘロになりましたって
昨日報告してくれました。
それにしても
こんな趣味って、伝染するんかねえ。
それとも、前からやろうと思っていたところに
隣のデスクにたまたまやってる人がいるから
この機会に始めようと思ったんかねえ。
近々、飲みに誘って
吐かせてやろうと思っている。
その人がエントリーしたのは
赤穂トライアスロン
そう、おなじみくろうとクンが
第2戦に選んだレースだ。
わしは密かに自分の中で
二人を競わせているのじゃ。
結果が楽しみじゃのう。
今回の皆生の宿は
「皆生つるや」
11回の大会参加中
8回お世話になっている
格調高いお宿です。
ここに泊まり始めた頃は
1人だったり
多くても3人くらいでの参加でしたが
今年は、応援を含めて
最高の15人での参加となり、
つるやでの最大派閥を形成していましたな。
くろうとクンは当日、
ひげ夫婦、ひげマネージャーは
翌朝別れましたが
レース翌日は
そんな仲間たちと
去年からランの折り返しとなっている
境港を見学してきました。
例年なら、観光客もまばらな
山陰のいわば辺境の地に
今年は、驚くほどの大勢の観光客が
押し寄せていました。
実写版映画にもなって
浜ちゃんいわく、
これぞまさしく
鬼太郎特需
数ある妖怪オブジェの中から
「お父さん、こんなところにいたんですね~」
ご存知、こなきじじいです。
鬼太郎の武器は
下駄とちゃんちゃんこ
それと、これは
とてももったいないと、
薄毛の反感を買う
「髪の毛飛ばし」
早晩、鬼太郎はハゲルね。
そうそう、寝癖で
髪の毛がピコンと立っている人いるよね。
そんな人を見かけたら
「妖怪アンテナだあ」
と、さりげなく指摘してあげましょう~。
それと、臭い息で
周りを惑わす
あの憎めない妖怪は
「ねずみ男」
ですから、
doironはすぐに
「ねずみ小僧」と言ってしまいます。
「鼠先輩」とは間違えませんが・・
これは、かの地のパン屋の
店先で。
妖怪オンパレードのパンです。
ガラスに写るピンクと黄色のおみ足は
さて、何て妖怪の足でしょ~
さらに、自販機までこんな感じ。
魚を加えた猫娘の風情でスイムを上がってみたいもんじゃ
何もかも妖怪づくし
境港の人たちにとって、
水木先生は神様じゃね~
その後、お菓子の壽城にも
登城。
ここでは、おいしい
大山の白バラ牛乳に相談しておきました。
そんな風に
レースの後も楽しいひと時を
過ごしましたぁ。
さて、今回のレース
様々な勲章を選手たちに
授けてくれました。
なんといっても、初皆生を
灼熱の中見事に完走した
T蟹クンには何物にも変えがたい
勲章でしたね。
スイムの恐怖
レース前の緊張を乗り越えて
本当に頑張りましたねえ。
レース前日と翌日とでは
顔つきが変わってましたよ。→
そして、てるみちゃんには
本物の勲章
年代別2位が授けられました。
僕の知る限りでは
皆生2回目のお立ち台。
たいしたもんです。
年代別表彰の証。いわゆる、「盾」ですかね
さらに、doironにも
いっぱい勲章が授けられました
これが、スイムの勲章
ウェットずれですね。
そしてこれが、バイクの勲章
日焼け痕ね。
最後に、これがランの勲章
脇ずれ、靴ずれね。
見苦しい画像が続きました
スンマソ
最後に
きれいな画像で
お口直しを
灼熱皆生を髣髴させる夏空と
逆さ大山が写ってます~。
レース、観光、余韻を楽しんだところで
皆生劇場
やっとこさの幕切れです。
お後がよろしいようで~
レベルの高低は別にして
自分なりによくがんばったと、
大山は微笑んでくれたが、
果たして境港の大地は
doironを歓迎してくれたのか?
灼熱の中で、
doironの心は溶けなかったのか?
皆生劇場 ラン編です。
バイクパートで体力を、
最後の一滴まで使い果たした感の中でランスタート。
余力はすでにない。
日焼けと汗にまみれた体の中で、
エネルギーを
作り出していかなければならない。
いくらなんでも、
体内のTCAサイクルまでは破壊されていまい。
脂肪をどんどん送り込んでエネルギーにしてやる。
こんな時のために
腹回りに脂肪を溜め込んであるのだから
これを今使わないといつ使うねんてなもんだ。
分解された脂肪は
脂肪酸とグリセリンになり、
脂肪酸はほぼダイレクトに
TCAサイクルに、
グリセリンは乳酸とならないように
制御しながら
これもエネルギーにしてやる。
(自分で制御できるものではないが、
強い気持ちが作用するのはたしかだと思う)
スタートして5分。
宿の前では歩道に大の字にひっくり返るほど
見た目はフラフラであったが、
このときすでに
doironの
エナジー再生工場は動き始めていたのである。
温泉街の交差点で
応援の一行に遭遇したときも、
ゆーとが何かを
差し出してくれているのはわかったが、
意識は朦朧で
口にものをいれる力はなかったし、
あの時は
胃袋さえ休めてあげたかったんよ。
ゆーと、ありがとう。
あの時気持ちは十分貰ったよ。
よたよたと5キロくらいを歩いたころからだ。
doironのpowerインジケーターが
徐々に上がり始めたのは。
最初のエイドステーションでコーラを注ぐ。
意識はかなりはっきりしてきたし、
過去10回の経験で
コースは体が覚えている。
もうすぐ大きな交差点、
そして歩道橋。
見慣れた道を一歩ずつ進んでいく。
昨年の応援ポイントを通過しながら、
苦闘はしているものの
足の故障で参加できなかった
去年のことを思えば、
幸せなもんやと思ったね。
あれから一年。
いろいろあったが、
体調が戻り始めた春頃から、
すべてをふっきって
この皆生をめざして
自分なりにがむしゃらにやってきた。
特に6月は
この数年で
もっとも充実した日々をすごしたよ。
その甲斐あって、
ここでこうして走れているんだと思えば、
苦しさも薄らぐってなもんやね。
そのあたりより
前から次々に知り合い達が帰ってくる。
はまちゃん、
てるみちゃん、
やぶちゃん、
ふくちゃん、
いまちゃん、
某さん、
S村クン、
ひげママ、・・・
あれっ?
かいさんは?
T蟹は?
エイドですれ違ってわからんかったんやろなあ、
と思いながら、
昨年から変更となった境港のエイドで
ひげパパに会うと、
T蟹が元気に走っていたこと
(そういえばすれ違いざまに
肩をたたいていった選手がいたが
あれがT蟹だったことをあとで知った)
と、
かいさんのリタイアを教えてくれた。
かいさん
さぞかし無念だったろうな。
でもかいさんの場合は
いつでも完走できる中でのリタイアだ。
自分のように、
これを落としたら
二度と拾えないような後ろ向きではなく、
次につながる
前向きのリタイアに
かいさんならきっとできるだろう。
次に期待やな。
リタイア宣言し、
座り込んでるひげパパに、
まだまだいけるから
一緒に行きましょうと誘ったが
一度切れた気持ちは
元に戻らなかったようだ。
手をとって引っ張ってやればよかったかな。
そんな状態だから
ここで自分がやめたら、
ルネ全滅だ。
これはなんとしても
完走せねばと気合を入れなおして、
出発した。
折り返しまで要した時間は
ちょうど
3時間。
残るは3時間半だ。
信号待ちをしていると、
回りの選手が話しかけてくる。
「間に合いますかねえ」
と女性が聞いてきた。
ひょっとしたら、
スイムの折り返しで
同じ質問をした人かもしれないなと、
今になって思っているのだが・・。
「あと、半分走れば完璧間に合いますよ」
とここでも自分に言い聞かすように答えた。
うまくできているもので、
終盤の選手の疲れがピークを迎える頃には、
日が落ちて、
少し涼しくなり始める。
来た道を、
テクテク走り、歩き、
弓ヶ浜に差し掛かった頃に
ようやく完走を確信したね。
それにしても
スイム終盤で
完走を確信していた数年前の頃とは
隔世の感がありますな。
ラストのエイド近くで
応援のくろうとクンと遭遇。
エイドで「何か要りますかあ」と聞かれて
「トンカツ定食」
と叫んでいるところを写真に撮ってもらった。
ホントに出てこなくてよかった。ホッ
そしていよいよラスト1キロ。
競技場から名物アナの
聞きなれたあの声、あのセリフの
「お帰りなさーい」
が聞こえてきた。
まばゆい競技場に入ると、
仲間たちの
doiro~n
を呼ぶ声も聞こえてくる。
お約束のスキップで
喜びを表現。
精一杯でした。
花束までいただいて、
横断幕まで掲げていただいて、
全員で一緒にゴールもしていただいて、
本当に感激しました。
辛い辛いレース、
途中から一瞬たりとも気を抜けない
厳しいレースだっただけに、
喜びもひとしおです。
今回のゴールを
doironは一生忘れないでしょう。
体調を崩してから2年間、
ずっと夢見ていたゴールですからね。
この日一日
戦っただけじゃないんです。
ずーっと、戦ってきた日々の
延長上にやっとたどりついたゴールでした。
あきらめないでやってきたことに、
神様がくれたごほうびのように思います。
おかげさまで
doironは
ここから、また次のゴールを目指していける
勇気をもつことができました。
応援の仲間がいなければ
絶対にゴールできなかったと断言できます。
皆生にはこれなかったけど
応援してくれている人たちも含め、
本当にみなさんありがとうございました。
えっ?ゴール写真?
年賀状に使いたいので
未公開とします~
以上、2008皆生ランパートの
真実です~
次回、皆生劇場 大団円編に続く~
さあ、昨日に引き続き
今日は皆生トライアスロンの
バイクパート。
今回のレースは、
このパートがいわば
メインイベントだった。
6月に700kmのバイクに乗り
何とかぎりぎり皆生に間に合ったかなあと
ブログに書けたのが7月9日。
レースの11日前。
案の定
ぎりぎりでのゴールとなった。
そんな、皆生劇場バイク編、始まるよ~
スタート時は余裕に見えただろうが・・・
それは突然やってきた。
まだ5kmくらい。
日野川の河川敷でバイクを降りて、
草むらに吐いたのだ。
エアロポジションをとって
乗り始めた頃から、
胃のあたりが絞るように痛い。
波酔いと飲んだ海水の影響だろう。
大きな道路の下の
日陰にしゃがみこんでしばらく休憩。
まだ5kmしか行ってないのに
この先どうなるんだろうと
不安に襲われるものの、
まあ我慢して走り続けていれば
どうにかなるだろうと
気を取り直して再出発。
しかし、身体、脚には力が入らないままだ。
いやいや走り続けて
最初のエイドステーションに到着。
着くなりバイクを降りてまた吐いた。
灼熱の気温、
容赦なく降り注ぐ夏の陽光の中で
このままでは脱水は目に見えている。
胃薬はないかと聞いたが、
ないとのこと。
ぬるい水を飲み。
コーラとスポドリを積み込んで
出発したが、またもや
日陰でバイクを降りて吐いたので、
ここではかなりの時間休憩をしてみた。
セミの鳴き声をききながら
しゃがんでいると
大会の関係者の車が
ゆっくりこちらを見ながら通り過ぎてゆく。
10キロ過ぎで
バイクを降りている選手がいるぞと
連絡をされたかなあ。
さっきのエイドで冷たい水を
貰い忘れたことを悔やみながら
頭から構わず冷たいスポドリを被った。
「ここでやめたら楽になるんやろなあ」
と考えていたら後から来る選手たちが
みんなしんどそうなのに声をかけてくれる。
「やっぱり乗れるうちは乗ろう!」
と思い直してお尻の砂を払って
再々出発。
すると、不思議なもので
急な上り坂を汗をかきかき登っているうちに、
お腹の調子が戻ってきた。
ただしかし、依然として肝心の
脚には力が入らない。
まるで粗悪な燃料で走るトラックのようなもんだ。
エコ宣言の大会に
全くふさわしくない選手じゃのう。
CO2を目いっぱいはきながらも、
登りは一桁、
すなわち時速10km以下で
エッチラオッチラ登っていく。
ほんまに、このまま天国まで
登っていくんじゃないかと思ったね。
と帰ったらブログに書こう、
なんて考えていたから若干余裕もあったのかな。
やがて少しずつ体力も回復してきた。
流し込んだコーラが
ようやく効いてきたのかも。
いい傾向だ。
そして大山道路を終えて、
コース中最長の下りを軽快に下っている頃からは、
やっと脚も動き始めた。
本レースの最大スピード64.6キロを
記録したのもその坂道だ。
そして60キロ地点で
応援の皆さんに会った頃には、
なんとか人並みにバイクを踏めるようになっていた。
応援のウサギさん達とも
ここで遭遇し、写真撮影もしたよ。
その後、
上り坂をふうふう言いながら、
下りや平地はびゅんびゅんと走りながらも
冷静に考えてみると、
どうやら
制限時間がやばい
ということに気づいた。
たしか、
折り返し地点で13時だったのではないか。
(後で説明資料を見たら13時30分だったのだが、
結果的にその勘違いが功を奏した)
折り返しまではまだかなりあるぞ。
ここから続くジェットコースターのような
アップダウンを考えれば、
制限ギリギリではないか。
そしてそこから
時間との戦いが始まったのだ。
これは精神的に辛かった。
脚がとまりそうになる度に、
急げ急げと自分に気合をいれる。
「これで間に合わんかったら、
俺の皆生は終わりだぞ」とさらに
精神的に追い詰めて、
折り返し手前10キロくらいからは、必死だった。
こんなにゆっくり走っていたら間に合わんやん。
彼らはリタイア覚悟なのか?
と思いながら前を走る選手をごぼう抜き。
12時59分に、
ぎりぎり折り返しに到着した。
ほっとするのもつかの間。
まだこの後バイクの最終関門に向けて
残り二時間必死にならなければいけない。
思考力も脚に注ごうと、
もう何も考えなかった。
ピクピク痙攣しそうになる脚を
カリカリ梅でごまかすこと6回。
ようやく終盤の平地に入ったところで、
メーターをみたら
110km。
残りは35キロ。
そして残り時間は1時間。
一瞬無理かと思ったが、
ここで、これまでの皆生の経験が生きた。
皆生の距離設定がおかしいのか、
それとも自分のスピードメーターの
距離設定がおかしいのかわからないが、
たしかこれまでの皆生でゴールしたときの
バイクの総合距離は137kmと出ていたはずだ。
とすると、
残りは27km。
まだあきらめる距離と時間ではない。
引き続き、必死の戦いを続けよう。
そしてだめなら、
それは自分の力不足とあきらめよう。
そう思いながら、
そこからまたがむしゃらに漕いだ。
ギアは常にトップだ。
後のランを考える必要などない。
足の一本くらい折れてもいいぞと思いながら、
米子大橋に到着。
遠くに米子の製紙会社のプラントが見えてきた。
ここからあと5キロ。
残り時間は10分。
時速30kmでぎりぎりだ。
もう声が出るのも止められなかった。
時折「ウリャー」と叫びながら、
さらにエンジン全開。
川沿いに吹く海からの強い向かい風を
トップギアで切り裂いて走った。
あと5分。
あと4分。
あと3分。
もうそこからは時計を見る余裕もなかった。
見えていたのは、
皆生温泉街のビル群だけだ。
必死の形相(多分)で
最後のカーブを右折して、
バイクゴール。
制限時間まであと一分を切っていた。
終わった。
とりあえずバイクは。
それにしても、常に
自分にムチ打ち続けたレースだった。
一瞬でも気を抜いていたら
バイクゴールはできなかっただろう。
バイクゴールをした後のトランジッションでは、
目の前が暗くなるほど疲労していた。
バイクを置いてしばらく
その場にしゃがみこんだよ。
あまりに辛かった6時間強が
やっと終わったと思うと
泣きそうにもなったなあ。
しかしそんなことも言ってられない。
これからフルマラソンだ。
泣いても笑っても
あと6時間半で
この状態から解放されるのだ。
フラフラと夢遊病者のように立ち上がり
なかば無意識に着替え
ランコースに飛び出した時には、
ラスト5人目の
ランスタート選手になっていたことが
あとでわかった。
しかし、こんなに精神的に辛かったバイクは
doironの歴史にはない。
レベルの低いところではあるが
自分なりに壮絶な戦いをしたと思う。
その果てに
勝ち得た自己満足ではあった。
ランコースに出て
後ろを振り返ったときに、
今しがた駆け巡ってきた大山が
「よくがんばったね」と言いながら
ニコッと笑ったように見えましたあ。
朦朧ランパートに続く~