goo blog サービス終了のお知らせ 

ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

新しい和歌山市駅2

2020年12月09日 21時33分49秒 | ウォーキング

紀の川に架かる紀の国大橋を渡ります。



風を受けながら
気持ちよく進んでいきます。



橋の終点はこんな感じで、



階段もかなり荒れていますね。
あまりこの歩道を
使う人は少ないんですねえ。
doironが渡っている間も
利用者はいませんでした。
広々とした川面と飛び交う鳥たちで



気持ちいいのにねえ。



橋柱の紀州まりと狐の彫刻も
寂しげでしたね。



橋を渡り終わるとここからしばらくは
川の堤防を下流に向かって進んでいきます。

今年の春にコロナの隙間を縫って
和歌山駅から紀の川の下流を
歩いたときのあの時の
出発地点になる北島橋を
目指してゆきます。

左手に町の景色、右手に河川敷を
眺めながら、時折通る車に
注意しつつ歩いてゆきます。



途中、南海本線の橋も
こえてゆきますね。



そしてこんな建物や煉瓦作りの



建物がありました。

和歌山競輪場ですね。
道には警備員がわんさか
いましたから、今日は
レース開催日なんでしょう。

そうしているうちに北島橋に到着です。

そこを左折して街中に入ってゆきます。
しばらくこんな道路の高架下を
歩いて進んでゆきますと、



本日の最終目的地である
「和歌山市駅」に到着です。



まずは和歌山市民図書館があります。
中に入ってみるとツタヤなんかも
入っており、昔の図書館の
イメージで言うとちょっとなんか
居心地悪そうです。

我が市の図書館も、
亡くなったスーパーダイエーの
4階にできるそうですが、
ドンなのになるんでしょうねえ。

ミセスはもともと図書館で
働いていたので、世間の図書館の
変貌ぶりには付いていけないようです。
そもそも図書館が月曜休み
というのが気に食いません。

土・日曜日に読んだ本を返して、
新たな読書に突入する
というのができないのは
どうだろうかと思います。

ミセスが働いていた図書館は、
木曜日が休みでした。
理由は、木曜日が週のうちで
一番利用者の少ない
曜日だったからだそうです。

なんか民間が運営していると、
よくわからないままだと
借りようと思って取り出した本が
販売本だったりする
ことはないのかなあ。
よく利用方法がなじめないです。



我が市の図書館も変わったら、
しばらく通って慣れないと
いけませんね。

その和歌山市民図書館と並んで
建っているのが「キーノ和歌山」です。



フロアの図を見てみると、
一階がスーパーマーケットと証券会社、



それから和歌山ラーメンとカフェです。



そして二階が10件程度の食堂で
三階が病院とフィットネスって感じです。

印象は「う~ん。もう少し規模が
大きい方がよかったなあっ」て感じです。
でもまあ昼食をここで
食べることにしましょう。

今日は駅の和歌山ラーメンと
思っていたのですが、
なんとこの日は休みです。

営業しているのかなあって
感じもしましたが、
よくわかりません。

結局二階で和食店に入り、
お昼定食とビールをいただきました。



これがねえとってもボリュームたっぷりで、
もうこんなけ食べたら
夜はお茶漬けやなというくらいでした。

地ビールがうまかったですねえ。



写真忘れたけど。

あ~おなか一杯と二階の休憩場で
景色を見ながら座っていたら、
なんとそこにT本さんから
電話が入りました。

大峰山へのお誘いの電話でした。
まあ結局都合でいかなくなったんですけど、
和歌山にいるときに
和歌山に住んでいる友達から
電話って驚きでした。

「いまねえ、和歌山市駅にいてるねん」
と話してたら
「こっちに来てるんやあ。
それにしてもあちこち行く人やなあ」
とあきれられてしまいましたな。

まあそんなこともあって、
和歌山市駅に新しくできた
施設見学も終了です。
各駅停車に乗り、地ビールで
ほんわかした頭を休めて
眠りながら、電車で帰宅していった
doironなのでした。

和歌山市駅探索これにておしまい。

 


新しい和歌山市駅1

2020年12月08日 21時15分47秒 | ウォーキング

さて今年もいろんなところを
歩いてきました。
野山、街道、街、旧跡と
よくもまあこれだけ行くところが
あったものだというくらい
ウロウロしましたね。

でもねえ、まだまだ他にも
いろんなところがありますよ。
いま、見当を付けているところでも
10か所くらいはあります。

日々好奇心旺盛に、
あるいはワクワク感満に
まだまだ歩いて行きますよ。

今回、選んだのは和歌山です。
南海本線の和歌山駅は、
ここんところずっと工事中
だったのですが、
今年の6月に工事が終わり、
新しい複合施設

「Ki:noわかやま」

がオープンになりました。



南海電車の車内吊り広告にも
いろいろと宣伝が出ていたので
気にはなっていたのですが、
ようやく開いたのですね。

ここを一度訪ねてみるか
という気持ちになったので
行ってみることにしました。

といっても駅で降りて施設に
行くだけでは芸がないので、
南海の和歌山市駅のひとつ手前の
紀ノ川駅で降りて、
そこから歩いて行くことにしました。

地図でおおよその見当を付けて
南海電車で出発することにしました。

尾崎まで急行で行き、
そこから各駅停車に乗り換えて
向かって行きます。

このあたりの南海電車は、
大阪湾沿いを気持ちよく走ります。



むかしテレビのCMで

「な~ん、な~ん南海電車。
南の海を走ってく」なんて言う
歌がありましたね。

歌の一番はこうです。

「朝は南の陽をうけて 
あまいあかるいあったかい 
若い人魚の歌声のせて 
走る電車は緑の電車 
なーん なーん 南海電車 
南の海を走ってく」

海をバックに走る南海電車の
映像は子どもの旅心を
刺激していましたね。

このあたりは最近よく歩きました。
町の景色も何となく懐かしいし、
遠くに見える山の景色も
親しみがわきます。

そんなゆっくり電車旅を楽しみながら、
電車はみさき公園駅に入ってゆきます。

この公園もついに閉鎖しましたねえ。
doironが一番数多くいった
公園かもしれません。

これで南海本線の歌も
亡くなるでしょう。

歌の二番が

「海は青いよ白い波 
キリン ライオン お友達 
みさき公園みんなをのせて 
走る電車は 緑の電車 
なーん なーん 南海電車 
南の海を走ってく」でしたからね。
今はみどりの電車というわけでもないしね。

このあと電車は「孝子」
「和歌山大学前」もこえて
紀ノ川駅に入ってゆきます。



ここは駅が少し広いですね。
あの南海の加太線が
ここから分かれてゆきます。
あの「めでたい電車」が
走っている線ですね。

でもねえ、駅で下りたら周りは
すっかり田舎の駅でしたよ。
地図を頭に思い浮かべて、
歩き始めましょう。



まずは地図にあった近辺の
和歌山北高等学校を目指しましょう。



ここですねえ。



インターハイの成績が書かれています。
全部女子なんですけど。

和歌山の女性は強いのかなあ。

doironはこの学校の横を
通って進んでいきます。



お墓のありそうな
お寺も結構ありますね。



広いわたくし道を
てくてくと進んでいくと、
このあたりの地域名は「栗」と言います。



なんて読むのかなあ?
それともそのまんま「あわ」と
読むのかなあ。

やがて右の奥の方に
大きな道路が見えます。
あれが26号線ですね。
そこまで行って南下すると
本物の紀ノ川に出てゆくはずです。



河川敷に上がる階段が
見えてきましたあ。



ここが紀ノ川を渡る橋
「紀の国大橋」の北詰ですね。



まっすぐに歩道が続いています。



堤防上にも道路が続いていますねえ。

ではこの橋を紀の川の風を
感じながらわたって
ゆくことにしましょう。



山手の方には竜門山も見えていますねえ。
ここから見ると紀州富士
という名がぴったりです。



前方にはもう和歌山市街地にある
ビル群が見えてきましたよ。



和歌山城はどこかなあと思いながら、
どんどんと橋上を歩いて行きます。

続く

 


初冬の恵み

2020年12月06日 20時55分24秒 | ウォーキング

あちこち野山に出かけて行って、
季節に応じた景色を楽しんでいます。

今はやはり紅葉ですね。

あんなに暑苦しかった野山が、
徐々に秋色になってきて
今はそれなりに赤く山々を染めています。

そんな景色に加えて、もう一つ、
山の恵みもいただいたりもしています。
春にはもちろん山菜ですね。
フキノトウ、ウド、ワラビ、
ぜんまいなんかをてんぷらとかにして
おいしくいただいています。

ああ、あのキイチゴなんかもいいですねえ。

そして今の季節になったら、
もうあまりそんな恵みはありませんが、
唯一喜ばしてくれるのが冬イチゴです。

まああまり派手にできるものではありません。
かさかさになった山肌に、
意外にしっかりとした緑色の葉っぱを付けて、
その陰に小さな実をつけています。

この冬イチゴについては、
春や夏でも存在はよくわかります。
なのでたくさんのイチゴを
見つけたときには記憶しておきます。
そして、冬になったら収穫に行くのです。
近辺では六甲山ろくに
多いといわれていますし、
岸和田の神於山や槇尾山、
永楽ダム周辺でも採取しましたね。

今回は春の季節に歩いた時に
たくさん見かけた奈良県の
五條にいくことにしました。

ゴルフ場に入っていく道の横に
たくさん生えていたのです。

あそこなら車もあまり通りませんし、
ゆっくりと採集することもできるでしょう。
天気のいいあまり寒くなさそうな日に
訪ねていくことにしました。

和泉から鍋谷の山を越え、
京奈和自動車道で向かいます。

しかしあの時の五條

じっくり歩いて行ったところですから、
車だとちょっと道がわかりにくいですね。

高速を降り、ここだったかなあ、
あそこだったかなあと迷いながらも、
少しずつ景色を思い出して
何とか到着です。

道端の広くなった空き地に車をとめて、
さあじゃあ採集するぞと歩き始めると、
意外に実が少ないのです。
この時は11月初めだったので、
まだ熟していないという感じでした。

気の早い株ならいくつか
付けているのですが、
ほとんどがまだ実として
熟していないという感じでしたねえ。

15分くらいかけて
何とか採集したのが、
これだけ。



まあこれくらいあれば、
二人で一食分くらいの
ジャムにはなるだろう
という事で切り上げました。

ではこれでジャムの制作です。

お皿に広げてきれいにして
煮込み始めます。
今回は熟しきれていない実もあるので
糖分が少ないかもしれないので、
多めに砂糖を入れます。

そうして出来上がったのが、
これ。



朝食にパンに塗っていただきました。
まあどうってことはない
味なんでしょうが、
半日時間をかけて採集してきた
実で出来ているので、
やはりこちらにしてみれば格別です。

自然とのこんな交流は
野性味を感じますねえ。

ワイルドだろう~。

こんな具合にちっぽけな、
ちっぽけな初冬を
ほくほくと楽しんでいる毎日です。

 


尾崎から和泉鳥取へ2

2020年12月05日 21時03分54秒 | ウォーキング

「湧泉乃碑」を眺めたら、



次は自然田の方に向かいましょう。

珍しい地名ですね。

「ジネンダ」と読みます。
いくつかの川の流域で、
自然に田ができたので
こんな名前になっているという事です。

その自然田の中にある瑞宝寺がここです。



創建時のことは不明ですが、
黒田寺同様に鉦講のあるお寺です。



立派な門のあるお寺でした。
そしてその先にあるのが、
自然居士の宅跡にある大イチョウです。



高さ16mで樹齢約490年の樹です。
自然居士というのは人の名前で、
この地で生まれた人です。

興福寺、東福寺と修行をし、
僧侶になったそうです。
のちに一人の少女が親の
保護のために我が身を売り、
その人を連れ去った人から
苦難の末に「自然居士」が
取り戻したという
謡曲があるそうです。



いちょうの所には「自然居士旧跡」と
江戸時代に書かれた石が建っています。



古いお堂や地蔵も置かれ、



地域の人には親しまれているようです。

このいちょうには多くの
銀杏が秋に実るそうです。



そこからどんどん自然田の
村の中に入ってゆきます。



そしてここを左折やなあと
曲がろうとすると、
マンホール工事で曲がれません。

仕方なので右折して
遠回りしていこうとすると、
道がくねくねでもうまったく
わからなくなってしまいました。

「ここはどこ?私は誰?」状態です。

ああもうこの自然田の人と
なるのかと思い始めたころに、
広い田んぼのところに出ました。



ああ、これでもう位置関係が
わかりましたね。
今から行こうとしている
「波太神社」はこちらの方ですと
向かって行くと祐道寺がありました。



ああここも鉦講のあるお寺ですね。
こうしてみると、この地方は
doiron同様に「浄土宗」の
人が多いのかもしれません。

波太神社はその先にあります。



ここはまあ、信長道歩き
のときにも来ましたね。
中までじっくり深入りせずに、
拝み石だけみることにしましょう。



それがこれ。
なんてことはない石ですが、
いろんな思いがそれなりに
雰囲気を醸し出しています。

さあてここからまた村中に
入っていくのは、
以前にとおった道です。

今回は車に注意しながら
広い道をまっすぐ
和泉鳥取に向かいましょう。



おなかがすいてきましたので、
コンビニで買ったおにぎりを
どこかで食べようと
通りをまっすぐ歩いて行くと、
右手に玉手山公園
というのが見えてきたので
そこに入ってみました。



どうも古墳なんかが
ありそうな公園です。



中に入っていこうとすると、
おお~なんとアベックが
ベンチで楽しそうに
くっついているではないですか。

これはもういけませんね。
人けが少なくていいわあと
思っていたのに、アベックの
邪魔をするような体制に
なってしまっています。

ここはまた後日に来ることにして
今日は退散です。



高速道路の入り口を過ぎ、
和泉鳥取の駅に着いたところで
時刻表を見ると15分後に到着です。

これはもう駅前のベンチで
食事だとおにぎりを
食べ始めました。



いやあ、今回の歩きは何となく
落ち着きのない歩きになったなあ
とか反省しながら、
遅い昼食を済ませました。

帰りはこのままJRで
帰るのもいいのですが、



もう少し歩き足りないな
と思ったので、熊取駅から
南海本線の方に歩いて
帰ることにしました。



車道をたらたらと20分くらい
歩いて井原里へ。
気候もさほど悪くもなく、
田んぼから吹いてくる風を
「気持ちいいなあ」
と思いながら歩きましたよ。

こうして日々豊かに遊びながら、
勉強しながら歩き、
帰宅してからおいしいビールで乾杯!

風に吹かれて気ままに生きている
自由なdoironの阪南市の一日でした。

 


尾崎から和泉鳥取へ1

2020年12月04日 21時12分18秒 | ウォーキング

先日、阪南市の地図から
浜街道を歩くという
ウォーキングコースを見つけ、
箱作から尾崎までの道を歩きました。

阪南のきれいな海を歩き、
最後に浪花酒造でお酒を買う
といういいコース取りでしたね。



その地図には、もう一つ別の
コースも書かれていました。
それがその尾崎からJRの
和泉鳥取を目指して南下してゆく
というコースです。

いいですねえ。
一部、二年前の夏に鳥取の荘から
「信長道」を歩いたコースと
部分的に重なりますが、
まあその辺は注意しながら
歩いてみるかと、今回は
電車で出かけて行くことにしました。

南海本線で尾崎へと向かいます。

急行も止まる駅ですから
印象はしっかりした駅ですね。
ここがその尾崎駅。



印象的ないわし雲が出ています。



まあ、雨は大丈夫でしょう。
計画通りに南の方を向いて
歩いて行くことにします。

しばらく進んでいくと
大きなスーパーがありますね。



そしてその先にだんじり小屋、
ではなくやぐらの小屋があります。



このあたりの祭りは
やぐら曳行なんですねえ。

そしてそのそばに「大願寺」
というお寺があります。
この寺のところに
「石造地蔵菩薩立像」があります。



宝珠を持つなどして
細工されていますが、
元の石は和泉砂岩です。
加工はしやすいのですが、
なかなか耐久性に難点がありますね。

doironの生息している市の中には
道標が7つあるそうですが、
和泉砂岩で作られたのは
もうボロボロになっています。

身長は1m92という
大阪最大級の地蔵の、
姿かたちはちゃんと
残しておいてほしいと思います。



この寺の百度石と鐘楼を撮影して、



次へと進んでいきましょう。
このあたりからコースは
ちょっと東側の住宅街の方へと
はいっていきます。



ここにあるのが
黒田寺(こくでんじ)です。

なんてことはないお寺なのですが、
ここには鉦講(かねこう)

というのがあります。

寺の檀家が4人一組で
双盤の鉦を叩き、
念仏を唱えるというものです。

一時なくなっていたのですが、
唯一残った伝承者の指導を受けて
復活し、今に至っているものです。

阪南市にはこの鉦講が
瑞宝寺、祐道寺、宗福寺、西光寺に
残っており、大阪府の
無形民俗文化財に選ばれています。



そんなお寺の周りは入り組んだ住宅街で、



方向を見失わないように
遠くの山の形なんかも見ながら、
てくてくと歩いてゆきます。



こんな印鑑屋さんなんかもありましたよ。
新しい総理大臣になってから、
脱ハンコでヤキモキしているでしょうねえ。



あ、ここには玄関の真上に
鍾馗さんがいますよ。
近くにお寺や神社があるのかなあ。
それにしても玄関に備えるって
かなり意志の強い鍾馗さんですねえ。

阪南市にいただいた地図をもとに、
村の中をウロウロと歩きます。

ここに大きな石がありますよ。



これには「湧泉之碑」と書かれています。
鳥取中地区は昔から水不足に
悩やんでいました。
なので、何とか水を引いて
米の収穫量を上げたいとの思いから、
根来紋治郎氏は豊かな地下水に
目を向け、「抜水(ぬきず)」
というかんがい設備を考案したのです。

それはこの地方の地下水が豊富なので、
井戸の中ほどに小さな穴をあけ、
そこから水をもらい受ける
というものでした。
水のもらい主は、井戸の持ち主に
水代を払ったりしたそうです。

ここに立つその石は、
それを提案した根来氏の
遺徳をしのんで地元の人が
建てたんだそうです。
あちこちの村を歩いてきましたが、
これまであまりなかった
取り組みのひとつですね。

いまは石碑近くの抜水に
その名残を見ることが
できるそうです。

続く

 


阪南浜街道をゆく4

2020年11月29日 21時03分32秒 | ウォーキング

海の方へと向かう途中、
何か曰くのありそうな石碑があります。



「養鱗殖介」と書かれてあり、
そこに犬養毅書とあります。

第29代総理大臣ですね。

裏の年代を見たらこの碑は
まだ総理大臣になる前に書いたようです。
対象は「松井水産翁」について作られています。

それは20歳で尾崎村の総代で
30歳で初代村長となられた方です。

地域の先駆者で、若い頭脳で
こんな田舎の漁村を
明るく元気にした人のようで、
社会的に大きな存在だったようですね。

若い首長は大きく地域を変えて
行ったりするんですね。
10年くらい前にdoironも
そんな経験があります。

そしてその先にあるのが
「尾崎神社」です。



京都の八坂神社から疫病の流行時に
分霊を受けて祀られたそうです。



明治49年からこの名前に
なったのですが、疫病の流行
なんて聞くと、今のコロナの
時代にピッタシの神社なんですねえ。
しっかりお参りもしてゆきましょう。



その先にあったのが、
本願寺尾崎別院です。
本願寺の争いの頃に
焼失したのですが、
尾崎の海に大木を積んだ船が難破し、
そこから木を取り出して
再建したそうで、何か聞いたことの
無いようないわれで地元では
「不思議の御坊」と言われているそうです。



さてコースは尾崎港のあたりに出てきます。
昔ランニングで岬ランをしたときは、
ここの漁港のところから
海のわきへと入っていくのでしたね。



今回はそんな漁港の対岸を
海の方に向かって進んでいきます。
こんな狭い道です。



海のところに出ると、
自然の海岸が広がっています。



そしてこのあたりで撮れる貝には
解読が含まれるので
注意の看板も張られていますよ。



でもいいですねえ。
ここはなんかとっても自然な
海岸線があります。



ああ以前はここの浜は
見逃してましたねえ。



ハマゴウの花が咲き、
それを保存していましたねえ。

水の流れは思いもよらぬ地形を作りますし、



海の水もきれいです。



あれ?あんな沖の独立したテトラポットで
釣りをしている人がいますよ。
船で送ってもらったりしたのかなあ。



海をそんな風に眺めつつ、
やがてコースは男里川の
河口に差しかかります。
川の対岸には泉南の
清掃工場が見えています。



そこから川をさかのぼっていくと



菟砥橋のところに出てきます。



これが昔のランニングコースの橋です。

ああここを曲がれば
あんなきれいな海沿いに
出ていたんですね。
当時は知らなかったです。
今日はその河川敷をさらに

まっすぐ進んでいきます。



南海電車の下をくぐったら
右折して尾崎の駅の方に向かいます。



昭和橋の先から尾崎の街中に
入っていくと、最後に寄ろう
と思っていた浪花酒造の前に出ます。



ここは大きな工場ですが、
一般道や駐車場なんかも
一緒になっていて、工場の中に
入っているのか道を歩いているのか
わかりにくかったです。

あれここまで入っていいのかなあ
と思っているうちに、
販売コーナーを見つけたので
入っていくと、ああいっぱいお酒が
並んでいますねえ。



ここで買うお酒は何がいいのか、
ジダンにリサーチしておくべきでしたねえ。
あまり日本酒と深い関係に
なったことがないので、
何がおいしいのかよくわかりません。

なので720mlの大吟醸を
二本買うことにしました。



こんな感じですね。

ああ、これで寒い夜に、
鍋をつつきながら飲む
お酒ができましたね。
日本酒とはもう少し深い関係に
なりましょう。

さあではこれで、今回の歩き旅は
終了です。
尾崎の駅から電車に乗り、
箱作の車のところまで戻ります。

最後に駐車場横の王将で
ラーメンをいただいて、
今回の旅を終えたdoironだったのでした。


阪南浜街道をゆく3

2020年11月28日 21時00分57秒 | ウォーキング

浜街道を少し離れて、
海の横を通る道に出てゆきます。

途中に神社がありました。

「楫取神社」と書かれてあります。



看板には祭神とかは
書かれてありますが、
こんな名前の神社が
海の近くにと後で調べてみましたが、
詳細は不祥です。



でもねえこの神社の緑とかで、
船のかじを取ったりしたのかなあ。

そしてこのあたりの地名は
「波有手」といわれています。

なんて読むかわかりますか?

これは「ぼうで」と読みます。
ここでは西鳥取というよりも
地域のことを「ぼうで」と
呼んでいる人が多いようです。



かつては波有手(ハウテ)と言われ、
波太宮の波太から転じたものか
あるいは海岸の意味を含んでいるのか
とも言われています。



最近ではここに
「ぼうでの牡蠣小屋」が
週末に出されて、
ここで養殖されている牡蠣の
焼き牡蠣、カキフライ、
牡蠣飯が提供されて人気だそうで、



この漁業組合の建物の周りで
開催されるようです。

ぼうでにはやぐらもあります。



先代の櫓は指出森神社にあった
やぐらを買ったものでしたが、
平成2年に新調されたやぐらが
ここに納められています。

で、そのやぐら小屋の
そばにあったのが「善六の碑」です。



昔、秀吉は小田原の
北条氏政・氏直父子を攻め、
降伏させました。

その攻撃では、波有手村の
水主である善六が従軍して
戦死しており、恩賞として
これ以降、浦役銭1貫と
水主1人を減免したということで、
この功をたたえ、
元文4(1739)年、波有手村に
この碑が建てられました。

それがこれです。



すぐ近くを走っていたのになあ、
こんなに近くまで行って
確認したことはなかったですね。

そんなぼうでをまた
牡蠣小屋なんかに来たいなあ
と思いつつ、コースは再び
浜街道へと戻ってゆきます。



迷路のような道を抜け、
街道に再び出ます。



阪南市のマンふたは
市の木「松」と市の花「さつき」を
波の下にあしらい、
真ん中には「阪南市」の
「は」を使った市章が刻まれています。



小学校の横を通り、
新町に入ったらまた気になる
神社仏閣に向けて、海側に
曲がってゆきます。



古い壁とかを眺めながら
昔からの地域なんやなあ
とあらためて思います。

そしてその先には
北野神社がありました。



波太神社が連絡先のようですので
神主はそちらにいるんでしょう。

そういえば定年前に退職になった人で、
坊主頭の誠実そうな
知り合いがいるんですが、
その人がアルバイトをしているときに

「四国で神主のいない神社が
あるんやけど、神主にならんか」
と誘われたそうです。

祝詞もお経も知らないので
断ったそうですが、
そんな仕事というか
役割だってあるんですねえ。

奈良の方で、神社の横に住んでる
神主にちょっと昔のことを聞くと

「いやいや私は最近ここに来た神主で、
よくわかりません」と
答えていた人がいたなあ。

地域の氏神さんの中には
そんな神主も結構いるんでしょうねえ。



その横の法林寺なんかも眺めながら、
浜街道へと戻ります。

もうこのあたりは、
南海本線の尾崎の駅の近くなってきました。

じつはこの先に酒造があります。

名前は「浪花酒造」と言います。
この酒造のオーナーが
ジダンの同級生のようです。



まあ、この季節になったら
お酒も熱燗でおいしい季節ですねえ。
では帰りにはそこによって
お酒を買って帰りましょう、
というのが今日の目的のひとつなんです。

でもまあ荷物になるので
歩くところをぐるりんと
回ってからです。

ここからは酒造の手前で左折し、
尾崎の街中を抜けて、
またまた海の方へと
入っていくことにします。

続く


阪南浜街道をゆく2

2020年11月27日 21時07分51秒 | ウォーキング

田舎の静かな道ですが、
「浜街道」と呼ばれている道ですから
雰囲気はありますねえ。

くねくねっと曲がった道は
地図上の区画整理ではなくて、
水の流れや坂道の程度などから
ついて行った道ですねえ。



変わった形の交差点もあったりします。



あ、畑にはかかしもいますよ。



それにところどころに
石垣もあったりして、
古さを感じます。



あ、でももう一度調べてみたら
浜街道も孝子越街道も
同じ道のことを言い、
現在の地図の中で別々に
名付けられているみたいです。

この街道は、泉佐野市を起点とし、
浜づたいに田尻町、泉南市、
阪南市の尾崎・箱作を過ぎ、
岬町から孝子峠を越えて
和歌山市内に通じる街道です。

紀州街道の延長のような感じですね。

この浜街道筋には往時を
偲ばせる古い町並も見られますし、
尾崎団地の横には
明治371904)年に
大阪府が建てた「孝子越街道」の
道標が現在も残っているそうです。



そうして歩いているうちに、
前方に大きな石碑が見えてきました。



ここが貝掛松の碑です。



むかしここには樹齢500年の
大きな松がありました。
それはここで雨乞いをやったり、
航海時の目印として地域で
大切に育てられていました。

ある時に盗人が岸和田の神於寺から
宝の貝を盗んできて、
このあたりまで来るとその貝が
突然なりだしたんだそうです。

それを気持ち悪がった盗人が
その貝をここの松にかけて
逃げて行ったんだそうで、
そういう話があったから、
ここの松を貝掛の松と
呼ぶようになったとのこと。

明治時代の台風時にその松も
折れたんだそうです。
でもこのあたりの地名は

「貝掛」として今も残っています。

その松を過ぎると浜街道と
旧国道は交差しますが、
そのまままっすぐ浜街道を



進んでいきます。



あ、こんな看板が。

このあたりに貝掛団地というのも
あるんですねえ。
住んでいる人は貝掛にあるから、
と思っているんでしょうが、
岸和田から盗んできた宝貝が
ここで鳴ったからこんな地名だ
なんて知らないんでしょうねえ。

でもそういえば、doiron
自分の住んでいる地域の名前の
由来はよくわかっていません。

たぶんまあ神社の名前から
来てるんでしょうが、
その神社の由来もわからないのです。

地名ってそう考えたら、
けっこう重大な遺跡で
あったりするんですねえ。

そもそも歩き始めた「箱作」にも
由来がありますね。

諸説有りますが京都・賀茂神社改修の際に
流した御霊箱がこの地の海岸に
たどり着いたという「箱着里」が
語源という説や、
このあたりは泉南砂岩で
いろんなものを作りますが、
棺桶を作っていたというところから
という説などあります。

しばらく歩くと、
赤い鳥居がありますねえ。



ここは「小女郎稲荷」と言います。



ここにはいつも
小さな女郎さんがいて・・・
という話じゃないですよ。

病気の母狐のために、美女に化け、
身を売った娘狐が母に会いに行く途中、
病気で野垂れ死んだ。
哀れに思った土地の人が
娘狐のために小女郎稲荷を
立てたとの事です。

う~ん、なんか意味ありげですねえ。

女郎を好きだった人が
亡くなったことをかわいそうに思い
人に内緒でそんな狐の
話しを作ったとか
不幸な親子の話を狐に置き換えて、
それとなく祀っているとか
なんか隠された深い意味が
ありそうな気がしますねえ。

浜街道はこの後、踏切を越えて



鳥取ノ荘の駅に到着します。



昔、このあたりにあった荘園
鳥取ノ荘を駅名にしていますね。

駅の横で、お茶を一服。
このあたりまで来ると、
昔岬ランと称してロングの
ランの練習に近くを走ったことを
思い出しますね。

そのランニングコースのところにあった、
善六の碑を見に海辺まで行ってみましょう。

続く


阪南浜街道をゆく1

2020年11月26日 21時05分50秒 | ウォーキング

最近はよく野山を歩いている。


街歩きももちろん楽しんでいるけど、
野山の比率が今は少し多い。
とはいえこんな体であるので
一人で歩くときはなるべく
人のいるところを意識しているし、
複数で歩くときは山のいろんな
楽しみのある所をコース選びし、
出かけて行ったりしてるのだ。

最近行ったところでは、
大福山も一等三角点のある
俎石山から少し奥の眺めのいい山で、
おおぜいの人を案内していったな。

まあdoiron自身もこの辺の山は
さほど頻繁に行ったこともない
ので地の利が薄い。
なので地図をわざわざ地元の
阪南市役所まで行って
手に入れてきたのだ。



それがねえ、大福山や雲山峰なんかの山も
詳しく書かれていてとても優れものでした。
活用させていただきました。

そしてそこには春夏秋冬の
阪南市の観光地なんかも
印刷されています。

あ~こんな地図を昔広報の仕事を
しているときに更新したりしたなあ。

そんなことを思い出しながら
フムフムと見ていると、
海辺の方や街の中に青い破線が
印刷されていますよ。



これは何かなと見てみると、



どうもウォーキングの
コースのようです。
ああ、そうかあ。
昔更新した地図にはそんなコースを
書き込んだりすることなんか
考えもしなかったなあ。

そのコースは南海本線の
尾崎~箱作~淡輪の周辺や
JRの和泉鳥取を通過して
歩くコースなんかが何種類か
書かれています。

まあこの辺は以前、淡輪あたりを
堪能して歩いたという事が
ありましたねえ。

ブログにも掲載しています。
でもまあ当時の歩きと比べてみますと、
まだ歩いたことの無いコースも
選ばれています。

いいんじゃないですかあ。
これはぜひ歩いてみなくてはと思い、
一人で出かけて行くことにしたのです。

まずは車で箱作まで行き、
そこに車をとめて海辺も
クルリンと回って尾崎へと
向かうコースを選びました。

地図には「浜街道」という名も
ついています。

歩いたときのコースの写真は
すべてハードディスクと
フロッピーに保管しているのですが、
フォルダー分けをしており、
こん回のコースは
「街道フォルダー」に収録ですね。

俎石山に初めて行った時に
駐車したPに停めておきます。
さあ、では歩いてゆきましょう。

まずは旧国道26号を北上します。
この道もまた街道で
「孝子越街道」と呼ばれていたりします。

海辺に山が迫っており、
平地が少ないので昔から
ついている道は街道の役割を
果たしていたんでしょうねえ。

車に注意しながら歩道を歩いていると、
右手に神社が見えてきました。



「指出森神社」です。

昔は貝掛神社といわれていたのですが、
今はこういう名前です。

貝掛は後で由来が出てきますが、
指出森はよくわかりません。
例えば海の船から
あの森の所と指差されたり
したんでしょうかねえ。



神社の境内は広くなっています。

だんじり小屋があるので、
ここで祭りとかもするんでしょうねえ。
境内には百度石ならぬ「百度廻」と
書かれた石があります。



この百度石も各地の石の写真が
かなりたまりましたよ。

巨大な物から変わった形のものなど様々です。
神社仏閣の撮影の時にあれば
一緒に撮影しているのですが、
まだ全然整理できていません。

まあ時間があればそんなことも
やってみたいですね。

ここの神社のものは、
石に書かれてある文字としては
変わり者の百度石として
紹介できるでしょうねえ。

そしてこの神社には大きな
クスノキがあります。



ここのは高さが35m



クスノキは寿命も長く、
丸木船の材料として
よく使われたらしいです。

浜街道はここから旧国道
つまり孝子越街道を離れて
続いていきます。

 


津風呂湖紅葉三昧2

2020年11月24日 20時52分03秒 | ウォーキング

地図通りに歩いて行っても
道がふさがれているとは、
いったいどうしたことか。


これは何か巻き道でもあるのかと
一本手前の道をわきにそれて
入ってゆくと、ちょっと暗い道で、
その奥に何やら怪しげな家がある。

まあたぶん誰も住んでいないのだろうが、
もし誰かが住んでいたら、
家の奥の方で包丁を研いでいる
おばあさんが「いらっしゃい」と
迎えてくれそうな家だ。

どうもこれではないなあと引き返し、
何となくくらい不気味な感じを
抱きながら、もうこうなっては
元に戻って反対側から
歩いて行くかと考え戻り始めた。

すると前から軽の貨物が
やってくるではないですか。
すれ違ったので、どこに行くのかなあ
とこっそり見てたら、
さっきの暗い道との交差点で
引き返してくるじゃないですか。

なんか動きが変ですねえ。

行き止まりが突然だったのかなあ。
よくわかりません。
でもこりゃやっぱり引き返しやな
と思っていたら、今度は前の方から
高齢女性が一人で歩いてくる
じゃないですか。

どうも近所を歩いている
近場の高齢者って感じです。

これは一度聞いてみるかと思い、
「おはようさんです。すみません。
この先で釣り橋のところに
出る道ってありますかあ」
と聞いてみると、ああ今からわしも
そっちへ行くから案内するよ
と言ってくれるじゃないですか。

ありがとうございます。

と言いつつも、懐に包丁とか
入ってないやろなと確認します。
なあんてのはうそです。
ありがたいことです。
このご近所の方のようです。

「さっき向こうでロープはられててねえ、
道がわからなくなってしまいました」
というと、
「ああ、あそこの木で自殺事件が
あったからなあ」と説明してくれます。

「そ、その木は見えていますか」
と聞いてみると、先程この辺りは
暗いなあと思ったまさにその場に
生えている木でした。

なんかその余韻があったのかなあ。

そしてしばらく歩いて行くと
右手に谷の中に入っていく道があり、
これをいくといいよと
案内してくれます。



暗い道を歩きながらその人に
いろいろ話を聞きました。

「ここをずっと歩いているけど、
クマが出たという話は聞いたことがない」
といわれてましたね。



湖面が見えてきてしばらく行くと、
つり橋が見えてきました。



案内を見ると「山口釣り橋」と
書いてあるから予定通りですねえ。

この橋のところで、
その高齢者とお別れしました。
どうもありがとうございました。



つり橋を渡っていると
見える景色がこんな感じ。



静かな湖で船を浮かべて
魚釣りとかしていますねえ。
とってものんきな景色です。

下の岸辺の所でも釣り場を広げて
魚を釣っている人が結構いました。



おおきなウラジロがこのダム沿いの道に
大量に生えていますねえ。
冬イチゴは少なかったなあ。



ダム沿いの道を歩いていると、
車も結構走ってきますねえ。



みんな釣りかなあ。

湿気が高いので、道には苔が
たっぷり生えていましたよ。



やがて前方に次に渡るつり橋
「見返り橋」が見えてきました。



見るとあずまやもあるので、
ここで昼食にしましょう。



ダムの湖面を見て、紅葉に囲まれて、
静かな自然の中で食べる
「どん兵衛」も最高にうまかったなあ。



気持ちいい静かな湖面で
紅葉見物は最高でした。




天気も朝の車の中からみた空に比べて



こんないい感じになっていますよ。



このあと、目の前の見返り橋を渡り、



車をとめてある
吉野運動公園へと向かいます。



このあたりは、公園と民地との境が
またまたややこしいです。
公園施設かなあと思ったら、
玄関があったり、作業場があったりします。



ああ、このあたりの人は
自然にいっぱい囲まれた生活を
してるんやろなあって感じです。

まだもう少し紅葉シーズンは
続きますねえ。

さあて次はどこに行きますかあ
と考えつつ帰宅していった
doironだったのでした。