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群馬・高崎の「滝の慈眼寺」に行って来ました・・・まだしだれ桜は早いけど、サンシュウが見ごろです

 先だって、春を探しながら車を走らせていましたら、「滝の慈眼寺はこちら」 の看板を見かけました

「滝の慈眼寺(じげんじ)」とは、群馬・高崎にあるしだれ桜見事な歴史あるお寺です

正式名は、「高野山真言宗華敷山補陀落院慈眼寺」といい、奈良東大寺初代別当良弁僧正(689~773年)が開創したそうですから、ゆうに1300年以上の時が経つほどですからまさに古刹です・・・山号、院号共、意味分かりませんが、古そう 

宗祖弘法大師(774~835年)が諸国歴遊中、この寺で護摩修行をしたという炉石が大師堂西に現存しています

境内には沢山のしだれ桜が植えられていました

この見事なしだれ桜は、南北朝時代(1352年)に足利尊氏の命により、住職の中興開山乗弘大徳によって植えられたものとされています

           本堂 ・・・周囲は古木のしだれ桜が、一杯植えられています

「慈眼寺」のある場所は、高崎市下滝町というところ(昔、あたり一帯は滝川村と呼ばれていた)ですから、通称「滝の慈眼寺」と呼ばれているのだそうです

浅学思い込みの私は、沢山のしだれ桜があり、桜の花の時期はまるで滝の流れのように咲くので、そう呼ばれるのかと思っていました

前記したように、「慈眼寺」は、真言宗のお寺で、高野山を本寺としています

開基は、聖武天皇の時代と古く、江戸時代には御朱印30石を抱える県内でも屈指の古刹なのだそうです

上の画像・現在の「本堂」は昭和58年、52世良雄代に落慶したもので、間口11.5間、奥行8間、広さ92坪あります

本尊は中興開山乗弘大徳により南方の古墳より見出された1寸2分の聖観音様だそうですが、南方とはどこなのでしょう

       境内から 鐘楼、 山門を見る  (鐘楼奥に山門が見えます)

上画像奥にみれる「山門」は、文政元(1818)年、36世良恵代に造立されたもので、現存する建造物では古いものです

格天井に絵画がありますが、これは平成5年に奉納されたものです

山門より南方に参道が伸びており、表門(石門)へと繋がっています

上画像手前の「鐘楼」は、天保12(1841)年、37世覚信代に造営されたそうです

梵鐘は昭和19年に応召されましたが、昭和50年に再鋳され、現在は毎日6時・12時・18時に時をしらせているそうです・・・除夜の鐘を聴いて近隣の人は年を越すのでしょう

          鐘楼の許のしだれ桜はすっかりつぼみが膨らんできていました

 

しだれ桜はまもなく咲き出すようです

まだ閑散とした境内ですが、間もなく見物客でにぎわうでしょう

この寺には、パチリしませんでしたが、芭蕉が詠んだ句碑がありました

「芭蕉句碑」は、文政7(1827)年の造立・高さ3尺2寸の石碑で、「 木の下は しるもなますも さくらかな 翁 」 とありました

しだれ桜は、まだこれからですが、今盛りはサンシュウです

庫裡の方の庭は沢山のサンシュウの古木が花開いていました        庭園で咲くサンシュウ花

サンシュウの別名は、早春に葉にさきだって黄金色の花を咲かせるので、「春黄金花」(はるこがねばな)といいます

あまりに見事な黄金色を見て、とても心温まりました

   

サンシュウの花言葉は、「 持続 」、「 忍耐 」、「 耐久 」   です

冬を耐え偲んでの黄金色は、明日への希望ですね

 

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