日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
群馬・山名の石碑の道を歩いて → 『山名野立跡地』 & 『筆塚』
先日、春の日差しがようよう感じられる日、車 を走らせ、群馬・高崎市山名にある「石碑(いしぶみ)の道」をたどってみようと出かけてきました
「山名八幡宮」 境内に車を停め、神社右の丘陵坂道入り口にある「石碑(いしぶみ)の道」の案内碑を見ながら、裏山方面に沿って上り 、 団地を抜けた小高い小山に、『山名御野立所跡』の大きな石碑があります
「石碑の道」からちょっと入り込むように小径が有り、椿の木がその径横に植えられた奥に、とても立派な石柱碑が建てられていました
刻まれた文字は『山名御野立所跡』とありました 私はてっきりここで、天皇が山名を行幸された際、「野点」が催された跡地なのかと思ったのですが、「野立」であって「野点」ではありませんでした
ネットで調べてみると、 昭和9年(1934)11月、陸海軍を統帥する大元帥である天皇陛下を迎え、群馬・栃木・埼玉を舞台に陸軍特別大演習が行われ、その折山名のこの地に、天皇陛下臨場の野外統監部が設けられた記念碑だというのです なんか戦後世代では分らない感覚の石碑ですね~・・・しかもこの碑は、戦後壊される事なく、よく残されたものだとおもわれます
何故なら私は小学校の頃、学校に建てられていた二宮金次郎の像が、倒されているのを見たことがあり、不思議に思ったことがある世代ですから・・・時代を感じます
『御野立所跡』の建つ更に奥に、『筆塚』の石碑がありました
『筆塚』というのは、使い古した筆を埋め、その供養のために築いた塚のことで、『退筆塚』とも云います
通常『筆塚』は書道の師や文筆家が死亡した際に、その人物の功績をたたえて門弟たちによって建てられた一種の供養塔だそうですが、昭和50年代に建立されたこの『筆塚』はまだ新しいものと言えます 山名には有名な文筆の師がおられたのでしょうか!?
陽射しも和らぎ、周囲の桜はまだ固い蕾のままでしたが、まもなく花一杯になるでしょう 右奥の白く咲く花は、“こぶし”の花で、丁度満開になっていました 周囲の濃い緑は、赤い花の咲く“椿”の木です