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群馬・山名の「石碑の道」で見る「万葉歌碑」  

昨日に続いて、「石碑(いしぶみ)の道」を歩いて、見たものは ・・・

 「関東ふれあいの道」群馬版 ・ 数あるコースの中、先日歩いた高崎・山名の「石碑の道」では、幾つかの「万葉歌碑」がみられます                                                                      そうこのコースを完歩した人によると、15基の万葉歌碑があるそうです・・・そんなにあるのかぁ~

ところで、『万葉集』は、7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集で、上は天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人達が、古代の想い生活を詠んだ歌を4500首以上も集めたものです                                                                     

即ち各地にある「万葉歌碑」は、その地で万葉の時代に詠まれた生活の心歌といえます

「石碑の道」で詠まれた第一番基は、上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌で、「吾(あ)が恋は」の歌碑でした

春めいてきた陽ざしの中で、真っ白な“馬酔木”の花が、歌碑に寄り添うように咲いていました

刻まれた石碑の文字は難しく読めませんでしたが、向って右の看板に書かれた歌は・・・

“ 吾が恋は 現在(まさか)もかなし 草枕 多胡の入野(いりの)の 奥もかなしも”    (作者) 未詳

(大意)   私の恋は今も切ない   多胡の入野の奥ならぬ、 行く末も切ない

調べた(注釈)によると、                                                                            1)、「現在(まさか)」の「まさ」は正、「か」は所で、今見られる意味から現在をいう                           2)、「草枕」は本来は旅の枕詞であるが、ここでは、多胡のタにつながっている                                                     3)、「多胡(たご)」は、群馬県吉井町                                                       4)、「入野(いりの)」は山裾に入り込んだ野で、奥を導く序                                                                                            5)、「奥(おく)」は、遠イ先で、時・場所とも使う。

この歌はどんな人が詠んだのでしょう                                                                          古里に住む人達の想いが、山名の風景の中に今でも見えていました  

 

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