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「小栗上野介」展を見て・・・思う事 ・ その一

今月14日(火)まで群馬・高崎のシティギャラリーで、遣米使節150周年を記念して「小栗上野介展」が開かれていました  
今年の大河ドラマは「坂本龍馬」で大いに湧きました
私も龍馬ファンなのです
「坂本龍馬」は幕末の革命児で、彼の権力志向でなく、「龍馬」自身の持つ人間性そのままに生きるという姿勢に魅力を感じています
「龍馬」の考えの根底は大河ドラマによると、だれもが幸せと感じられる世の中作り、即ち自由で明確な意思の持てる日本国家造りだったようです
そんな国づくりを目指しても、あまりにも先駆的発想に対しては、ねたみも含め、反対者はいるもので、ご存知の様に彼は暗殺されてしまいます
とは言え「龍馬」の業績は世界に眼を開かせ明治の世をつくった礎になりましたから、歴史に刻まれています
「小栗上野介展」を見て、「小栗上野介」が「龍馬」にも負けぬ近代国家を作るために、多いな業績のあった人物だと知りました
「小栗上野介」は幕府側用人であった為、彼のなした事は時代の評価の中では、埋もれた物になってしまったようです
特に彼の目立った業績には新政府には目障りさもあって、まさに因縁をつけ、隠棲の地群馬・高崎の権田の地で罪なく斬首されてしまいました
まったく器の小さい実(げ)に恐ろしい嫉妬によるものですね
「小栗上野介」がなした業績とは、遣米使節としてアメリカをそしてアフリカ、アジアを廻って世界を眼にした事により、日本近代化のレールを敷いたことだと思います
特にアメリカで見聞した事を基に、横須賀造船所建設、仏式軍隊の導入それに向けての訓練、滝野川反射炉による大砲製造、その他ガス燈設置、郵便制度、鉄道開設、新聞発行、中央銀行設立等々の提唱と近代化の礎を築いた業績は言い足りないくらいだと知り感服の至りです

ところで展示品の中で、幾つかとても興味の引くものを見つけました
私の勝手な思いと共に紹介します
「ぺりー」による黒船来航は日本という国を開国させる事によって大きく近代化へ歩みだすきっかけにさせた事件です
その「ペリー」が二度目の来日に乗ってきた旗艦が、最新鋭の軍艦「ポウハタン号(2400トン)」ですが、「ペリー」来日の6年後(1860年2月)に、通商条約批准を目的に遣米使節として、「小栗上野介」が「ポウハタン号」に乗船し渡米しました
下の写真は「ポウハタン号」の模型ですが、なかなか立派な船ですね



「ポウハタン号」はサンフランシスコからパナマへ航海し役目を終えました
遣米使節団はそこから陸路パナマ鉄道で大西洋に出て、迎えの船「ロアノウク号」に乗ってカリブ海を渡りワシントンに上陸・ここで使節団はホワイトハウスで大統領ブキャナンに謁見し、日米修好通商条約批准書を渡しました
その後ニューヨークからナイアガラ号で出港し大西洋を東回りで横浜に帰着し世界一周を果たしたのです

遣米使節団が渡米する際、日本の蒸気船「咸臨丸」が「ポウハタン号」の護衛船としてアメリカに行くことになりました
私が学んだ歴史の教科書に、下の写真の咸臨丸の雄姿が乗っていたのを覚えています



「咸臨丸」はサンフランシコで護衛艦としての役目を終え、船体修理後、5名の米国人乗組員を雇い日本に帰国しました
この太平洋横断が、日本人だけで操船して太平洋を渡った(事実はどうやらそうではないようですが…)として、遣米使節を送った「ポウハタン号」よりも歴史上有名です
それは何故でしょう! 
「咸臨丸」には江戸無血開城で名を成し、「坂本龍馬」の海への視野を開かせた師役でもある「勝海舟」が乗り込んでいましたし、更には通史として「ジョン万次郎」、奉行従者として「福沢諭吉」等の近代化歴史に関与した著名人も同船していました
しかし彼らの操船技術は未熟で、太平洋を渡るのは到底難しく、アメリカ海軍の手助けを受けてやっと渡ったのが事実のようです
なのに有名なのは、明治という近代国家への良識がまだまだ未熟のせいだったのでしょう
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