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「巻二 新島守」(その5)─北条義時

2018-01-02 | 『増鏡』を読み直す。(2018)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 1月 2日(火)12時09分21秒

続きです。(井上宗雄『増鏡(上)全訳注』、p121以下)

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 かくて世をなびかししたため行なふ事も、ほとほと古きにはこえたり。まめやかにめざましき事も多くなり行くに、院の上、忍びて思したつ事あるべし。近く仕うまつる上達部・殿上人、まいて北面の下臈・西面などいふも、みなこの方にほのめきたるは、あけくれ弓箭・兵仗のいとなみよりほかの事なし。剣などを御覧じ知る事さへ、いかで習はせ給へるにか、道の者にもややたちまさりてかしこくおはしませば、御前にてよきあしきなど定めさせ給ふ。
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「忍びて思したつ事」は討幕計画ですね。
後鳥羽院は多芸多才で、刀剣の鑑定も出来たのだそうです。

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 かやうのまぎれにて承久も三年になりぬ。四月廿日御門おりさせ給ふ。春宮四つにならせ給ふに譲り申させ給ふ。近頃みなこの御齢にて受禅ありつれば、これもめでたき御行末ならんかし。同じ廿三日今おりさせ給へるを新院と聞ゆれば、御兄の院をば中の院と申し、父御門をば本院とぞ聞えさする。この程は家実の大臣、関白にておはしつれど、御譲位の時、左大臣道家の摂政になり給ふ。かの東の若君の御父なり。
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九条廃帝(仲恭天皇、1218-34)の運命を考えれば「これもめでたき御行末ならんかし」(これもめでたい将来でいらっしゃるだろう)もないだろうと思いますが、『増鏡』には特定時点での慶事であればとりあえず誉めておいて、次の場面であっさりと切り捨てる、というパターンがけっこうあります。
ここもそのひとつですね。
近衛家実(1179-1243)、九条道家(1193-1252)への言及も簡単ですね。

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 さても院の思し構ふること、忍ぶとすれど、やうやう洩れ聞えて、東ざまにもその心づかひすべかめり。東の代官にて伊賀判官光季といふものあり。かつがつかれを御勘事の由、仰せらるれば、御方に参る兵押し寄せたるに、逃がるべきやうなくて腹切りてけり。まづいとめでたしとぞ院は思しめしける。
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伊賀光季はその姉か妹が北条義時(1163-1225)の後室(伊賀の方)となって義時に重用され、実朝横死の翌月、大江広元の長男・親広とともに京都守護として上洛します。
大江親広は後鳥羽院に丸め込まれてしまったものの、伊賀光季は後鳥羽院の誘いを拒否して自決した訳ですね。
『増鏡』には言及がありませんが、大江親広も村上源氏との関係で興味深い人物です。
この人は源通親の猶子となって源親広を称した後、大江に復姓しますが、その室は北条義時の娘(竹殿)で、重時・朝時の同母妹です。
承久の乱に加担した親広が、死罪は免れたものの京都を追放された後、義時娘は土御門定通(1188-1247)に再嫁しますが、四条天皇の頓死後、後嵯峨が践祚するに当たっては、この義時娘を通じての定通と幕府の関係が後嵯峨に有利に働いたといわれています。
ま、それはかなり先の話ですが。

伊賀光季
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%B3%80%E5%85%89%E5%AD%A3
大江親広
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E8%A6%AA%E5%BA%83
竹殿
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%AE%BF

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 東にもいみじうあわて騒ぐ。「さるべくて身の失すべき時にこそあんなれ」と思ふものから、「討手の攻め来たりなん時に、はかなき様にて屍をさらさじ、おほやけと聞ゆとも、みづからし給ふ事ならねば、かつは我が身の宿世をも見るばかり」と思ひなりて、弟の時房と泰時といふ一男と、二人をかしらとして、雲霞のつはものをたなびかせて都にのぼす。
 泰時を前に据ゑていふやう、「おのれをこのたび都に参らする事は思ふ処多し。本意の如く清き死をすべし。人に後ろ見えなんには、親の顔また見るべからず。今を限りと思へ。賤しけれども義時、君の御為に後ろめたき心やはある。されば横さまの死をせんことはあるべからず。心を猛く思へ。おのれうち勝つならば、二たびこの足柄箱根山は越ゆべし」など、泣く泣くいひ聞かす。「まことにしかなり。また親の顔拝まん事もいと危し」と思ひて、泰時も鎧の袖をしぼる。かたみに今や限りにあはれに心細げなり。
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なかなかの名文ですが、有名なのはこの後の「かしこくも問へるをのこかな」のエピソードですね。
長くなったので、いったん、ここで切ります。

北条義時(1163-1225)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E7%BE%A9%E6%99%82
北条泰時(1183-1242)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B3%B0%E6%99%82
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