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佐伯彰一氏『神道のこころ』

2016-01-08 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 1月 8日(金)11時47分51秒

『神道のこころ─見えざる神を索めて』(日本教文社、1989)を図書館で借りて読んでみました。
佐伯氏はアメリカ文学者ですから文章は軽快で、決して書名から予想されるような辛気臭い本ではありませんが、各種雑誌に掲載された文学的なエッセイを雑然と配列しているだけで、理論的な書物ではないですね。
唯一書き下ろしの「日本人を支えるもの」というエッセイでは、「日本人の宗教的態度における内と外、表面と深層との間の大きなギャップ」が生まれた歴史的事情として、「その一つは世俗化という名の宗教離れが、いち早く、おそらく世界に先がけて進行したことであり、もう一つは、『神仏習合』という名の、いわば宗教的ドッキング現象」を挙げます。
最初の江戸時代の宗教的世俗化については、

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 ともかく、文学、芸能における表現について見るなら、江戸時代において、宗教が等しなみに、風刺と皮肉、いや笑いとからかいの対象とされていること、驚くばかりだ。じつに気軽、お手軽に、笑い物にされ、パロディ化されている。今、正確に題名が思い出せないのだが、釈迦と孔子とが、吉原へ女郎買いに出かけたらという設定の演物(だしもの)に出くわして、欧米の同時代を思い合わせて、肝をつぶさんばかりの驚きに打たれた覚えがあった。いわゆる涜神、涜聖といった概念すら、ここでは用をなさないかに見えた。江戸時代のわが国における世俗化の度合いと範囲は、どうやら世界に比類のないもので、かの宗教批判の大立者、フランス啓蒙期の舌鋒鋭い速筆家のヴォルテールさえも、驚き、青ざめかねないだろう。
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と指摘します。(p51)
釈迦と孔子云々は江戸時代の『聖☆おにいさん』みたいなものですかね。
佐伯氏は次に神仏習合を論じますが、これは佐伯氏の出自にも関係してきます。(p53)

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 もう一つは、これはわが宗教史上つとに悪名高い神仏習合である。わが国ではたしかに神道、仏教とが、いわば奇妙に馴れ合った格好で、共存してきた。寺院の中に神社があったり、たとえばわが家は、かなり古くからの神道、代々、山嶽信仰を守ってきたのだが、中核的な信者である三十六軒をそれぞれ「坊」の名(わが家は吉祥坊)で呼び主人の居間を「方丈」と呼びならわしていた。冬期に、この三十六坊、全国をそれぞれ手わけして、布教、伝道に出むいたのだが、その際たずさえてゆく立山曼荼羅なる画幅は、立山開山のいわば神道縁起を詳しく書きこみながら、その全体としての意匠・結構は、「称名の滝」、「地獄谷」、「弥陀ヶ原」、「大日山」といった地名が示すように、つよく仏教色に染め上げられていた。全くの神仏混淆、奇妙なごった煮の宗教であり、若い頃のぼくは、正直言って、これがひどく気恥しかった。二つの異なった宗教を、こんな具合に、ごった混ぜにして、平然とやって来たなんて、余りにも一貫性、純粋性が欠けている。宗教として見れば、明らかに三流、四流、あれもこれも借り物だらけ、主体性、独自性の欠如そのものではないか、と。ぼくが大学に入る際、英文学、アメリカ文学といった一家の伝統とはまるで無縁な専門を、大して迷いもせずに選びとったのも、じつはこうした気恥しさ、自己嫌悪が裏側で一役買っていたのかも知れない。
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「原質、原型への眼ざし」というエッセイによれば、「吉祥坊」の担当地域は「武蔵と江戸」だそうで(p84)、そのような重要地域を任されるからには「吉祥坊」は「佐伯三十六坊」の中でも相当の名門なんでしょうね。
最近は神仏習合に関する評価もかなり多様になってきて、決して「悪名高い」一色ではありませんが、1922年生まれの佐伯氏にとっては、ひたすら「気恥しい」ものだった訳ですね。
ま、引用からも明らかなように、全く理論的な本ではないので、この本自体の検討は行わず、神道に対するひとつの見方として紹介しておきます。
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