学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学の中間領域を研究。

一皇子宮

2011-09-03 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 9月 3日(土)20時27分39秒

一皇子宮は国道398号線に面しているので、湊地区の瓦礫が全く撤去されてない時点でも道路から鳥居と斜めになった建物が見えており、「皇子」とは誰なんだろうと気になっていたのですが、これは護良親王だそうです。
『石巻まるごと歴史探訪』(石垣宏他著、2000年、ヨークベニマル)p49によると、「石巻に残る護良親王伝説では、殺害を命じられた渕辺義博は、恐れ多いと考えて自分の領地(相模原市)に一時匿まい、部下として渕辺・日野・日下・平塚・福原・遠山・高橋ら七名と共に船で牡鹿湊につき、桜川の河口から上陸、南朝方の葛西氏に保護されたとみられます。再起を期したのですが、病を得て、正平元年(一三四六)に亡くなったのです。この護良親王を祀ったのが一皇子神社」なのだそうです。
ふーむ。
ま、こういう伝説が何時生まれて、誰が形成に関わったのかは知りたいですね。
ところで、一皇子宮の本殿はコンクリート製なので流出しませんでしたが、摂社の竜神社がずいぶん移動していますね。
また、本殿前の狛犬の顔がスパッと割れて、その顔が下に置かれていました。
首が取れている石仏は痛ましいですが、この顔だけ取れてしまった狛犬は、不謹慎ながら造形的には妙に面白いですね。

「神社探訪」

※写真
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