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「違法の前法」の問題─「窮極の旅」を読む(その15)

2015-08-31 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 8月31日(月)09時48分4秒

注(29)を注(21)と誤るのは、ま、そういうミスはあるよね、で済みますが、「違法の後法」を論じている箇所に置かれた清宮四郎の写真のキャプションに「清宮志郎」とあるのは、石川氏にとっても痛恨のミスでしょうね。

「熊谷三郎直実を憚って」の謎
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3c7f6b273f209c017f8f2e9c3ee7c1f5

さて、「違法の後法」の引用をもう少し続けます。
前回引用の直後の部分です。(p78以下)

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 ところで、前掲十年間不更正を宣言する条項は確かに「ただ立法上の方針を宣明にしたにすぎぬ」ものではあるが、その理由からはいまだ当然には「何ら法的効力をもつものではない」との結論は生じ得ない。たとえそれが立法方針の宣明にすぎぬにしても、立法機関によって宣明されたかかる方針は、いやしくもそれが法律として成立すると仮定すれば、かかるものとして少なくともいわゆる内面的拘束力を有し、立法機関自身の行態を義務づけ、拘束する法規範として、法上有意義なものと看做されなければならない。立法機関自らが右の宣明によって十年間不更正の法的義務を負い、もし、美濃部博士の説明の如く、右の法律の主旨とするところが「単純な人口の増減だけでは十年間は之を動かさない方針の言明」にあるとすれば、立法機関は十年以内には少なくとも人口の増減を理由としては別表の更正を行わない義務を負うものと解さねばなるまい。
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この時代の法律学者としても清宮の文体は相当にくどくて、同じ美濃部達吉還暦記念『公法学の諸問題』に載っている宮沢俊義の「国民代表の概念」などは遥かに清新な文体で綴られていますね。
ま、それはともかく、この後に私個人としては極めて重要だと考える「違法の前法」の問題が出てきます。
石川氏の「窮極の旅」を読んで、私が最初に感じた疑問は、「違法の後法」を論ずる前に「違法の前法」をきちんと論ずるべきではないか、というものでしたが、清宮も、もちろんその論点には気づいています。

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 しかしながら、この場合問題はさらに複雑である。一体、法律の自己制限、即ち法律自らが法律自身の創設変更についての定めをなす場合、例えば、上例の如く爾今十年間は更正せぬとか、或いは絶対永久に廃止変更せぬとか、乃至は廃止変更する際には議員の定足数及び議決数において憲法の定めるところより特定の多数を要するとかいう規定を設ける場合は、それらの規定は憲法の普通の法律の制定について一般的に設けた規定の例外を成し、憲法の授権の範囲を越えるものではないかとの問題をも解決せねばならないのである。違法の「後法」の問題は既にここに存し、前の法律に違反する後の法律の問題ではなく、憲法違反のそこがここでまず解決される必要がある。これについては三つの解答が考えられる。第一は一般の国家機関の自己制限の場合と同じくこれらの法律の特別規定は、憲法の一般に定める法律制定規定に違反し憲法の授権の範囲を越えるものとして無効と看做すものであり、第二はいわゆる法律の自主合法性の原理により、かかる規定と雖も君主と議会との有権的解釈一致して成立した国家最高の意思たる法律として制定され、国法上これを審査し得る機関なく、たとえ一応は違憲と見られても、実際上、適法なものとして取扱うの外はないとなし、右の法律は有効に成立すると見るものであり、第三はかかる法律が憲法の授権の範囲内にあることには疑を抱きつつも、しかも第二とは別の根拠から右の法律の成立を認めるものである。説明の便宜上問題の解決を暫く留保しつつ先へ進むことにする。
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「かかる規定と雖も君主と議会との有権的解釈一致して成立した国家最高の意思たる法律として制定され、国法上これを審査し得る機関なく」というのは大日本帝国憲法の強烈な制約ですね。
この点は現憲法とは全く事情が異なりますが、石川氏の議論には、旧憲法と新憲法の違いがあまり反映されていないような印象を受けます。

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