学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「熊谷三郎直実を憚って」の謎

2015-08-05 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 8月 5日(水)09時20分10秒

「究極の旅」の25ページに<「京城学派」の両雄.左が尾高朝雄.右が清宮志郎.久留都茂子氏提供>というキャプション付で写真が載っていますが、「志郎」は「四郎」の誤植ですね。
清宮は、

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一八九八年、埼玉県北足立郡谷田村の生まれ。三男ではあるが、熊谷三郎直実を憚って、四郎と名づけられたという。参照、久留都茂子『父、尾高朝雄を語る』(竜門社深谷支部)
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のだそうですが(p40、注10)、「熊谷三郎直実を憚って」というのは何だかよく分からない話です。
そもそも熊谷直実(1141-1207)は熊谷「次郎」直実であって、「三郎」ではありません。
仮に清宮家の伝承では「熊谷三郎直実」だとしても、御家人として立身出世を遂げた熊谷直実にあやかるならともかく、何故に憚らねばならないのか。
大切な息子が宗教方面に走ってしまったら大変だ、ということでしょうか。

熊谷次郎直実(熊谷市商工会議所サイト内)
http://www.kumagayacci.or.jp/kanko/naozane-kumagaya.html
「熊谷直実 武士としての苦悩」(浄土宗サイト内)
http://jodo.or.jp/jodoshu/people/kumagai.html
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