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安倍能成と船田享二

2015-12-28 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年12月28日(月)12時37分24秒

>筆綾丸さん
>安倍能成は碌な者じゃないですね
いえいえ。
前回投稿で中途半端に引用してしまったのですが、私が省略した部分に、まず林健太郎の『昭和史と私』から、

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 橋田に比べて安倍は大きないかつい体で、容貌も魁偉というような感じであったが、橋田が演説口調であったのに反して普通の穏やかな語りぶりで、私は先ずそれに好感を持った。この「戦時中」を私が安倍校長の下の一高教授として過ごしたのは幸せなことであった。安倍は期待に背かない名校長であった。歴代校長の中でも、安倍ほど慕われた校長はなかったであろう。【後略】
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という絶賛が引用され、更に、

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 三十七歳のとき安倍校長を迎えた竹山は晩年「安倍さんはよほど特別な人で、没後十何年たった今になっても懐かしい。思い出さない日はほとんどないかもしれない」といい、去る者日々に遠しでなく、「去る者日々に近しである」と回想した。竹山は戦後、安倍に望まれて平凡社の雑誌『心』の編輯に関係し、いわゆる大正教養派の人びとに接した。その中で和辻哲郎と小泉信三には大いに敬意をもったが「安倍さんにほど人間的に惹かれた人はなかった。一つには、安倍さんが戦中戦後に一高校長であったときに近く親炙してこきつかわれたからでもあったろうが、何よりも先生がその独特の天稟からこちらの魂をつかみとってしまったからであった」。
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という具合に竹山道雄自身の絶賛が紹介され(p163)、その後に船田享二の話が出てくるんですね。
そのため、どうにもこのエピソードが奇妙なものに感じられます。
ちなみに船田享二は栃木の作新学院創立者の一族で、兄は元衆議院議長の船田中(1895-1979)ですね。
ということは、この夏の安保法制騒動の最中、衆議院憲法審査会において長谷部恭男氏を自民党推薦の参考人として招き、その後の悲喜劇的な大混乱の元凶となった船田元議員の大叔父でもあります。
船田享二については石川健治氏が丁寧な紹介をどこかに書いていて、私はその文献を確かにコピーしたはずなのですが、何故か見当たりません。
安倍能成との関係で何か面白そうなことが書いてあれば、後で紹介したいと思います。

船田享二(1898-1970)

>提琴独奏会
検索してみたら、大正12年の「ヤシャ・ハイフェッツ氏提琴独奏会プログラム」とか昭和29年の「諏訪根自子提琴独奏会パンフレット」などというものが出てきて、「提琴」は敵性語の言い換えとして一時的に用いられたのではなく、かなり長期的に使用されたようですね。
「洋琴」は戦後の用法がヒットしないので、「提琴」と同様に考えてよいのか、ちょっと分かりませんが。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

「安川加壽子洋琴独奏会(1949年)」 2015/12/27(日) 19:05:27
小太郎さん
映画を見続けて、感情がやや緩んでいるようです。

平川祐弘氏の話が本当だとすれば、安倍能成は碌な者じゃないですね。まあ、教師に人格を求めるのは野暮な話ではありますが。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%8C%E6%9C%AC%E7%9C%9F%E7%90%86
小津の『晩春』(1949年)に「巖本真理提琴独奏会」というシーンがあり、年代的には、「安川加壽子洋琴独奏会」も有り得たのではないかと思いましたが、ハーフとして差別を受けたという背景を考えると、巖本でないと風刺にならなかったのかもしれません。1949年ともなれば、適性語などというバカなものはもう滅びていただろうと思われますが、ヴァイオリンではなく提琴としたのは小津の皮肉でしょうか。観客は、「・・・提琴独奏会」という表現を見て苦笑したかどうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%88%80%E9%AD%9A%E3%81%AE%E5%91%B3
『秋刀魚の味』(1962年)には、旧制中学卒業生たちの40年ぶりの同窓会に落ちぶれた元漢文教師(渾名は瓢箪)が招かれ、歴史の教師(本名は塚本、渾名は後醍醐天皇)の話になりますが、1962-40=1922(年)前後の大正デモクラシーの時代の渾名だから、それも有り得たのでしょうね。もう少し時代が下っていれば、不敬罪ものですね。

天皇はどうしてます、のあと一拍おき、後醍醐天皇、と続くのですが、あの絶妙な間には当時の観客もぎくっとしたかもしれない。ああいう冴えは小津ならではのものですね。あの先生は御壮健で鳥取にいます、いまも年賀状をいただいています、と瓢箪が言うのですが、鳥取は島根(隠岐島)を、年賀状は綸旨を、たぶん暗示しているはずで、1962-1332(隠岐流罪)=630と丁度キリのいい数字になります。もし『秋刀魚の味』の続編が撮られていたとしたら、塚本先生は鳥取を脱出して東京に姿を現し、みんなを驚かせたろう、と妄想させるものがありますね。映画とは何の関係もありませんが、秋刀魚は昭和天皇の好物だった。

笠智衆は海兵出身で駆逐艦(朝風)の元艦長という設定ですが、この人では戦争には勝てなかっただろうという感じで、小津が随所にちりばめた表現はシニカルでいいですね。

追記
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A2%E3%83%92%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%95
https://www.youtube.com/watch?v=-G2WfG3KdQ4
「巖本真理提琴独奏会」のシーンで流れている曲は、ヨアヒム・ラフのカヴァティーナなんですね。伴奏のピアノは安川加壽子ではないでしょうが。小津はこの曲に晩春を感じたのか、なるほど。
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