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「つまり外的な条件が人間的な特徴を決定づけたといえるだろう」(by 佐藤進一氏)

2020-09-17 | 『太平記』と『難太平記』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 9月17日(木)12時19分48秒

土岐頼遠のエピソードについては、後で新田一郎氏の『日本の歴史11 太平記の時代』(講談社、2001)に即して検討することにして、佐藤著の続きをもう少し引用します。(p216以下)

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 また近江の守護佐々木の一族に属して数ヵ国の守護にまで成り上がった佐々木導誉(高氏)にも同様の事件がある。暦応三年(一三四〇)十月、導誉と子の秀綱が東山で鷹狩りをしての帰途、光厳・光明の兄弟で当時天台座主であった妙法院宮亮性法親王の邸に、些細なことから焼き打ちをかけて、重宝を奪いとった事件である。叡山はさっそく、導誉父子を死罪に処すべしと抗議したが、幕府は導誉の権勢をはばかって極刑に処するわけにはいかず、けっきょく、導誉は出羽、秀綱は陸奥に流罪ときまった。その流罪もまったくの申しわけで、導誉は見送りと称して三百余騎の従者をつれて、配流地に旅立ったが、
 「道々ニ酒肴ヲ設テ、宿々ニ傾城ヲ弄ブ」
という調子であった。もちろん予定地まで行く気もなければ行きもしなかったのである。
 こう見てくると、師直兄弟も頼遠も導誉も古い秩序と権威の束縛から解放された人間ということができようが、このことは、かれらが古い秩序の中では運命を切り開く機会をもてそうもない人々であったことと無関係ではない。鎌倉幕府の下では、師直兄弟は一守護の家来、頼遠は源氏の流れとはいえ美濃の土豪にすぎず、事あれば守護北条氏ににらまれ、圧迫されていた。導誉もまた名門とはいえ佐々木の庶流であって、権勢の地位はおろか、守護になる可能性もなかった。
 それが、磐石のごとくに見えた鎌倉幕府は音を立てて崩れ去り、一統政府もまた天皇・貴族の無力を天下に暴露しつつ自壊した。いや自壊ではない、師直も導誉も頼遠もそれぞれにその解体に手をかしたのである。つまり師直らの古い秩序と権威の否定は、かれら自身の力にたいする信頼によって裏打ちされているのである。軽薄で反倫理的ですらあるかれらの言動の中に、人間肯定の激しい息吹きをきくことができる。師直のこういう性格は、先天的なものに根ざしているのはもちろんだが、かれの幕府での地位や政治的立場によって、よりいっそう助長された。つまり外的な条件が人間的な特徴を決定づけたといえるだろう。そしてこれはひとり師直に限らない。直義・尊氏そして後醍醐についても同様である。
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佐々木導誉の一件は「光厳・光明の兄弟で当時天台座主であった妙法院宮亮性法親王」に絡むものですから、天皇家の権威という要素は若干ありますが、基本的には宗教的権威の低下の問題ですね。
さて、実際に『太平記』を読むと、足利直義についても結構ろくでもない人間として描かれているエピソードが多いのですが、佐藤氏はそうした部分は引用せず、一貫して直義を素晴らしい指導者として描いています。
他方、高師直・師泰については、「これらの挿話に描かれている師直兄弟の言動の真偽を一々確かめることはできないけれど」などと多少は慎重さを装いつつ、「師直・師泰兄弟はおよそ直義とは対蹠的なタイプの人間だった」と断定していますね。
近時の研究水準に照らすと、高兄弟についての佐藤氏の評価は相当問題がありますが、少なくとも土岐頼遠と佐々木導誉については確かに「古い秩序と権威の束縛から解放された人間」といってよさそうです。
そして、頼遠・導誉が「古い秩序と権威の束縛から解放された人間」となった時期はいつかというと、佐藤氏は特に明言はされていません。
ただ、佐藤氏は「外的な条件が人間的な特徴を決定づけ」るという基本的な人間観の持ち主であり、かつ、その「外的な条件」とは「磐石のごとくに見えた鎌倉幕府は音を立てて崩れ去り、一統政府もまた天皇・貴族の無力を天下に暴露しつつ自壊した」ことですから、建武新政に近い時期を想定しているように見受けられます。
もちろん、頼遠も導誉も、相当以前から、あるいはもしかしたら物心がついた頃から既に自分の境遇にブータラブータラ不満を抱いていたかもしれませんが、その時点では「外的な条件」はまだまだ熟しておらず、「磐石のごとくに見えた鎌倉幕府」の打倒に自ら奮戦する過程の中で、そして「一統政府」が「天皇・貴族の無力を天下に暴露し自壊」するのを目撃する中で、「古い秩序と権威の束縛から解放され」、反天皇的・反宗教的傾向の人間となっていったのだ、というのが佐藤氏の認識ではないかと推測します。
なお、私は佐藤氏の精神分析の能力について、特に信頼はしていません。

清水克行氏による「尊氏の精神分析」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/25befb1f5a691966a61ffe63c2baecc3
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