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性海の第四の夢に登場する二人の僧は誰なのか。(その2)

2022-09-01 | 唯善と後深草院二条
横曽根門徒が『教行信証』出版事業への協力を求めて覚恵・覚如を招いたと考えれば、「同二月十二日夜夢云、有二人僧、而持五葉貞松一本松子一箇、来与於性海、覚而夢惺畢」の意味するところも明らかですね。
僧が二人であり、「五葉貞松」と「松子」(松ぼっくり)は親子を連想させますから、これは覚恵・覚如の二人となります。
性海の夢は相当な部数を刷って横曽根門徒以外にも配布した『教行信証』の刊本に記されているのですから、これは性海が眠っているときに実際に見たとりとめのない夢の再現ではなく、『教行信証』の刊本の配布を受ける人々を意識して作った精巧な構築物ですね。
そして、第三の夢までが政治権力に庇護されていることのアピール、第四の夢は親鸞の子孫も京都から性海に協力するためにやってきてくれた、ということで、性海の事業の宗教的正統性のアピールですね。
「五葉貞松」は歳月を重ねた風格のある緑鮮やかな五葉松(の盆栽)ですから、永遠性の象徴、親鸞の教えが永遠の真実であることのシンボライズだと思います。
そして、親鸞の教えの永遠性は横曽根門徒が承継した親鸞自筆の『教行信証』(後世の名称では「坂東本」)に具現されているので、その刊本は原本の『教行信証』の「松子」ということになりそうです。

五葉松
https://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E8%91%89%E6%9D%BE-505087
貞松
https://kotobank.jp/word/%E8%B2%9E%E6%9D%BE-2064745

宮崎円遵氏が紹介された「甲斐国等々力万福寺旧蔵の親鸞聖人絵伝(六幅)」の「稲田禅坊」の場面を見ると、制作された刊本は巻子本のようなので、形態も松ぼっくりに似ているといえば似ていますね。

「甲斐国等々力万福寺旧蔵の親鸞聖人絵伝(六幅)」(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8d5e40c9f0b3fb0aeeedab8a94818180

ところで、中院雅忠の猶子である唯善は、義理の姉である後深草院二条が平頼綱・飯沼助宗父子と強いコネクションを持っていることを利用し、横曽根門徒の『教行信証』出版事業に貢献したのではないか、と考えている私は、性海の夢に登場する二人の僧の内の一人は唯善ではないかと思っていました。
そして、私は7月27日のツイートで、

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「有二人僧而持五葉貞松一本松子一箇来与於性海」は何を意味するのか。五葉松と松子は何を象徴しているのか。これは性海の希望を平頼綱に取り次いでくれた仲介者ではないか。そして、五葉松からは老齢の人物、松子からは若年の人物が連想される。
二人の僧のうちの「松子」に象徴される若年の人物は唯善の可能性があるのではないか。唯善は(義理の)姉の二条のコネをつかって、飯沼助宗・平頼綱に性海の事業に協力するよう要請したのではないか。
仮に唯善が横曾根門徒・性海の『教行信証』開版事業に貢献したと仮定すると、唯善と横曾根門徒との強い関係も説明しやすくなる。即ち、嘉元の一向衆停止問題に際して、唯善は鎌倉に下って、横曾根門徒、木針の智信らの巨額の資金提供を得て、幕府の禁制を回避した。
これは唯善の宗教指導者としての有能さを示すものだが、それも短期間に数百貫の資金を集めたという横曾根門徒との関係があってのこと。こうした関係が一朝一夕に出来たとは思われない。唯善が二十代のときに一度、横曾根門徒と深いつながりが出来たと仮定すると、以後の関係が説明しやすくなる。

https://twitter.com/IichiroJingu/status/1552270606925975560

などと書き、この可能性を一か月以上探っていたのですが、さすがに無理筋でしたね。
唯善が後深草院二条のコネを利用して横曽根門徒に協力したとしても、それはあくまで裏方の仕事であって、『教行信証』刊本の識語に書けるようなオフィシャルな関係ではありません。
そして、一人が唯善だとすると、もう一人の僧は誰かという問題も生じ、私はそれが善鸞ではないか、などと考えてみたのですが、こちらも無理筋、というか妄想に近かったですね。
ま、一か月近くあれこれ考えてみた結果、二人の僧は覚恵・覚如父子だろう、という結論に落ち着きました。
コメント
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