五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

お身体ご自愛ください

2013年12月14日 | 悔いのない人生とは?
気候の変わり目は、体調が悪くなったり持病が悪化したりすることが多いようです。
このところの急激な寒さで、「身体がついていってないなぁ~」と感じていました。
一昔前なら、身体がついてくるとか来ないとかを深く考えることなく、そんな時は怖れることなく?風邪をひいていたように思います。若い頃は体力でなんとか乗り切ることができたようです。

急激に寒くなると、身体の保温力が低下して、疲れやすくなったり、お腹をこわしたり、色々な症状が出てくるのですが、この症状も自分の個性そのものです。

気候による体調の変化を事前に予測することができれば、体調を崩すことを回避できるはずです。少なくとも最低限の体調不良で済むかもしれません。

自分の心を大切にしているか?
自分の身体を大切にしているか?
自分の魂を大切にしているか?

心ばかりを優先していると、身体が追いついていかないこともありそうです。

今週はテストが終わった生徒さん方は、のびのびとしていることでしょう。
受験生は、これからが本番ですね。

寒さが一段と増してきましたので、身体を整えることを気遣いながら過ごしたいものです。

屋久島から取り寄せた魔女の薬の様な酵素ジュースを頂き、身体を温める食材を食し、身体を動かし、保温性のある服を着、とにもかくにも身体を温めて免疫力を高めることに努めております。

皆さま、お身体ご自愛くださいませ。



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自分の傾向に立ち止まる

2013年12月13日 | 第2章 五感と体感
上手くいっている時は自分の傾向を振り返ろうとは思いませんが、上手くいかない時にハタと自分の傾向に気付くことがあります。

大抵、上手くいかない時に感じる不安な感情がいつものパターンでやってくると、「ああ、またこの感情だ、、、」と、思ったりするわけです。

自分の理想が叶えられなかったり、自分に分化している慣習や習慣が滞ると、不安感が増すと、自分のいつものパターンの感情が湧き出し、何らかの行動を起こしたり、もしかしたら感情よりも身体症状の方に出てくるかもしれません。

この自分のパターンと上手く自分自身が付き合う事ができたら、きっともっと自分が同じパターンで怒ったり、悩んだり、泣いたりすることで自分だけでは無く、周囲を振り回さなくても自分の力で落ち着くことができるように思います。

わかっちゃいるけれど、やっちゃうことは、出来る事なら年齢と共に少なくしていきたいものです。

自分の不安感の表出の仕方が、もしかしたら周囲を混乱させているかもしれない。。。と、仮説を立ててみると、自分の家族や職場の人間関係から自分自身が見えてくるようにも思います。

師走の忙しい時期に、忙しいゆえに表出しやすい自分の傾向が、他者を振り回していないか、一寸立ち止って点検することも健やかに師走を過ごす心得の一つでありましょう。



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横浜中華街

2013年12月12日 | 第2章 五感と体感
師走に入り、食事会も増えてきました。
昨日は、日々の活動を休み、横浜中華街ミステリーツアー?を堪能しました。

友人に連れて行かれるまま、一昔前の中華街の様子を聞きながら今まで通ったことの無い路地を抜け、関帝廟で正しいお参りの仕方を教えていただきました。

関帝廟に入ると自動販売機があります。その自動販売機に500円投入するとカードが出てきます。
そのカードを見せると長い線香5本が渡されます。線香の長さは40センチぐらいです。
それに火をつけていただき関帝廟の階段を上ります。まず正面で一本の線香を立て頭を三回下げます。その際頭を下げる一回毎に願い事をします。その参拝を廟の前五か所で行います。
ここまでは、線香を購入しない人も入ることができます。私自身ここまでは線香を立てずに何度か自分流でお参りしています。
そしてカードを見せ、廟内に入ります。
そこには神様が4人いらっしゃいます。その一人一人を参拝するのです。

まず正面の関帝を礼拝します。大きめのクッションに膝をつき、手を合わせ頭を下げ、次に両手を地面に(クッション)付き礼をします。それを3回繰り返します。
4人の神様を参拝すると、右手に金運の神様がいらっしゃいます。そこにも同じ参拝をします。

4人の神様の参拝の順番は、左から1.2.3.4とすると、2.1.3.4.という順番です。

これは、先日訪れた熊野本宮の社の参拝順番と同じです。最後に右脇の社を参拝することも同じです。

今まで私がその作法を知らなかっただけの話なのですが、改めて社が複数ある神社の参拝の仕方をこの二週間ほどで学ぶことが出来、大陸からもたらされた宗教を含めた文化の深さを痛感させていただきました。

対象の神様は違うけれど、作法は一緒です。

安くて美味しい中華ランチを頂き、まさに字のごとくの喫茶店で中国茶の香りと味を愉しみ、日は暮れていきました。

共に食卓を囲んだ皆さまと和やかな一日を過ごさせて頂き、ゆったりとお休みすることができました。

余談ですが、30年ほど前に中華街山下公園側にできたインドや東南アジアの雑貨店チャイハネ本店の改装が大胆に行われ、店の入口に大きなマニ筒が設置されました。このマニ筒は、チベット仏教の信仰です。マニ筒を回し一回りすると、お経を一つ唱えた事と同じ御利益があるのです。ネパール大使館お墨付きだそうで、店長さんが嬉しそうでした。
二階部分にはストゥーパ(仏塔)までお目見えし、文化の融合がまた一つ、という感じです。
ストゥーパと云えば、今年発表された天武天皇と持統天皇の古墳の形状でもあります。

中華街のアイデンティティが奈良時代へと直に繋がっていることを改めて実感し、中華街の歩き方が一歩深くなりました。

思いがけず比較文化と繋がりを愉しんだ中華街ミステリーツアーでした。

同行の皆さま、ありがとうございました^^//



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熊野古道

2013年12月11日 | 第2章 五感と体感
熊野古道の地図を見ただけでは、その険しさは解りません。
新宮や本宮、那智の滝の三角地点は、案外離れているので、熊野三山を巡るだけでも時間を要します。
今回は、ほんの少しでも熊野古道に足を踏み入れることがでいれば良しとしよう、という思いで熊野を巡りました。

本宮を中心に高野山に続く道や田辺に行く道等、多くの道があるのです。

藤原定家が書いた「熊野御幸記」によると、石清水八幡から始まり紀伊半島を海沿いに南下し、天王寺を過ぎ、田辺から山に入ります。本宮までに九十九の王子(手を合わせる場所という意味らしいのですが、いまようの言葉で言えばポイント地点)があり、往復27日間の後鳥羽上皇に同行した旅日記は、これからゆっくり読もうと思っています。

この田辺から本宮までの道のりが「中辺路(なかへじ)」です。

中辺路を歩くことを目標に、来年か再来年には実現したいものです。私が実現できそうな道は、中辺路がせいぜいだと思います。リタイアしたければ、山を降り、日中一時間に一本は走っている新宮~田辺間のバスに乗れば良いのですから。
他の道はリタイアするということは、=遭難ということになりそうなので、これは無謀な夢です。
行者であれば、この道を歩き、天河や吉野、高野山へと走るように山道を駆け登っていくのでしょうが。。。

せめて、二泊三日の中辺路の行程をゆっくりと踏みしめて歩くことができれば、自分が旅して巡った場所の結願と言えるかもしれないし、、、まだ何かが見えてくるかもしれないし、ともかく歩いてみないことには見えてこないように思います。

きっと達成したら、次はフランスのルルドからスペインのコンポステーラのサンジャックの道を夢見る様な気がしますが、とりあえず歩ける身体を整えたいものです。



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大震災から千日

2013年12月10日 | 第9章 愛
私達のNPOが関わっている宮城県「NPO法人ささえ愛山元」さんは、高台移転をして半年が経ちました。
魅力的な理事長さんを中心にスタッフの皆さまが明るく活動していらっしゃいます。

先日は蕎麦粉が100人分寄付され、地域の皆さまに振る舞ったそうです。
もしかしたら、海水が流れ込んだ土地に蕎麦を試験的に植えていたので、そこで収穫されたものかもしれません。
もしそうだったら私も頂きたかったなぁ~~と、理事長さんからの近況報告に指を咥えました。

山元町は福島との県境ですので、ひとつ山越えた地域よりも温かく、果物の宝庫でもあります。
林檎やイチゴ農家も多く、今年に入り、ハウスの数も増えてきたように見受けられました。
ハイテク化されたイチゴハウスが建てられ、コンピューターで温度管理もできるので、今年はクリスマス用のイチゴを計画的に出荷できたことでしょう。

急進的な復興とはいかないでしょうが、山元町の復興は、一歩ずつ進んでいるように見受けられます。

大震災から千日が経ちました。

私達が活動する中での人の繋がりもありがたいものです。

千日経ったからこそ、できる支援もあることでしょう。

「生き甲斐の心理学教育普及活動」も山元町で暮らし活動していらっしゃる方々に少しでもお役に立つことができるよう変わらずに活動を続けていきたいと願っています。

その時その時、
何が必要で、何ができるかを見計らっていきたいものです。

私達の活動資金を支援してくださる皆様にも心から感謝しています。

今年もあと3週間となりました。一年間の総まとめの師走を大切に過ごしたいものです。



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神宮前の展覧会

2013年12月09日 | 第2章 五感と体感
昨日で小さな掛け軸展が終了しました。
私が不在の展覧会でしたが、SNSを通じて御来場の方々もいらっしゃり、とても嬉しく思っております。
ありがとうございます。

狭いギャラリーですが、表装拠点のビルを知って頂くにも良い機会だったのでは。。。
新しい手法やアイディアで仕立てた表装に触れ、私も大いに勉強になりました。

主宰の清水達也先生も表装文化が消えていくことに危機感を持ち、東京都表具協会でも奔走しています。

表装という文化を身近に知って頂くために私も出来る限りの活動をしていきたいです。

「見る」ことをしなくては、具体的には伝わりません。

広く多様なものが氾濫する東京で何を見せていくかは、表装に携わる人の知恵にかかっていると感じています。

憂いでばかりいては、文化は繋がりません。

「表装ムーブメント」は、来年も粛々と続いていきます。

科学糊を一切使わず、正麩糊を使い仕立てる技術も消え入る寸前だそうです。
この技術を守り次世代に繋げるための努力をしていきたいものです。



本日は、某学校保護者勉強会の勉強納めです。
台風休校の振り替えとなります。年内の締めくくりをキリリといきたいものです。^^//



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マリノスから徒然

2013年12月08日 | 第2章 五感と体感
昨日マリノスは優勝を逃し、俊輔選手が伏したまま動かない姿を見てはいられず、日産本社ビルのパブリックビューイングを後にしました。

私も気功や能の稽古のお陰で二時間の試合時間真っ直ぐ立って観戦できたことも成果かな、、、と、思いつつ。
10年前だったら立ちっぱなしは不可能でした。
いやいや、そんなことを書きたいわけではなく(^^;)、ともかく昨日は残念な一日でもあり、昨日のマリノス対フロンターレだけでなく、各々の試合映像が入ってくる中、三浦知良選手が中学卒業と同時にブラジルに発った映像が何故か頭に巡りっぱなしでした。
フットボールから見えてくるものは、人のアイデンティティそのものです。
それが如実に見えて面白いと思い始めたのは、トヨタカップやドーハの悲劇からです。
学問的に言えば、文化人類学的な見地でフットボールを観ることを楽しむようになったのです。
長き期間、垣間見るようにフットボールを観続けてきましたが、今回の我が地元マリノスはやはり優勝してホシカッタ、、、というのが本音です。

子供が幼稚園小学校低学年あたりまでのダンゴサッカーを親の立場で楽しみ、マリノスユースや各地域のチームで活躍する子供達を見、いつの日か、この中から活躍する選手が出てくるのだろうなと思いながら、試合や練習の車での送り迎えをやっていた時期が懐かしく。。。斉藤学選手は、その一人というわけです。そんなこともあり、中澤選手や俊輔選手が活躍する中での優勝を体験したかったです。

それが叶わず本当に残念でしたが、地元マリノスの次なる活躍を期待しています。

今日はジョンレノンの命日です。
静かな日曜日の朝。改めて「始まり」を意識したいと思う朝です。

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12月8日本日最終日。6時まで。神宮前の「渋谷のIMA」(神宮前6-17-14六英ビル4階)にて「ちいさく表装・作品展」。今回は各講座の指導員の表装を展示します。いまようの住まいにも馴染む掛け軸をぜひご覧ください。

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南方熊楠と熊野

2013年12月07日 | 第2章 五感と体感
奈良に都があった頃、仏教やゾロアスター教、キリスト教というよりもネストリウス派が大陸を伝わり、日本にやってきたようです。
これは、古事記編纂1300年以前のお話です。

これらの伝来が固有の個性として分化され、現在も行われている各寺社の祭儀に継がれ続けています。

神々の国日本以前の古層と呼ばれる領域となると縄文の頃の祭儀と信仰は、私にとって重要な妄想のモチーフとなっています。

明治維新の国家形成の際、日本の神仏習合が日本の発展の足かせとなるような考え方が生まれたようです。

そこで始まった神仏分離、廃仏棄釈は、日本の歴史の中で最大な哀しい出来事であったのではないでしょうか?

八百万の神々を祀った道端の道祖神でさえ対象となり、次々と破壊されました。

そこで立ち上がった田辺出身の南方熊楠は、天皇が行幸に訪れた熊野で現状と危機を訴えるのです。

吉野山の金峯山寺にしても、天河神社にしても、熊野の山々にしても、表面的なモノの裏に裏打ちされている信仰の厚みは私達の想像をはるかに超えたものであるに違いありません。

十代の頃からアジアやインドを訪れ、古代キリスト教の聖地等を歩き、私はいつかは熊野に辿りつくのだろうな、という確信はありました。心理療法的にいえば、いつも「熊野」を「自己実現」に意識して生きてきました。
勿論、多くの文化人の先輩方がこのニュアンスを醸し出していたことも脳裏に焼き付いていました。

今回、積年の思いが叶い熊野に辿り着き、一度立っただけでは見えてこない混沌とした古層の厚みを自分なりに時間をかけて紐解いていきたいという願望に取りつかれています。

学問的に紐解くというよりも、自分の体感を紐解くという意味においてです。

今まで学んできた事の集大成が自分の身体に宿ることは、ある意味自分なりの碩学であると解釈しています。

フィールドに立つことを教えてくれた若き頃に出会った文化人類学者の先生方に感謝しつつ、こんな楽しい学問と出合った私は自分の体感と考え方にぶれなく生きていくことができそうな気配を感じます。

私の碩学の師の一人であろう南方熊楠に感謝。

私の学びは、まだまだこれからです。

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12月6日から8日まで 神宮前の「渋谷のIMA」(神宮前6-17-14六英ビル4階)にて「ちいさく表装・作品展」を開催します。今回は各講座の指導員の表装を展示します。いまようの住まいにも馴染む掛け軸をぜひご覧ください。

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戦艦三笠で考えてみた

2013年12月06日 | 第2章 五感と体感
幕末から明治維新にかけての大転換は、藩、幕府、朝廷、公家、そして脱藩し画策した藩士達の知恵の攻防戦は凄まじいものであったと思います。
昨晩のNHKの番組で岩倉具視の特集を見たことで、藤原不比等から脈々と守り続け蔓延していた藤原摂関を中心とした公家文化の歴史およそ1300年を崩したことに、改めて興味を注がれました。

私達は幕府に代わり、明治政府を司った人々の行動ばかりを歴史の教科書で学んできたわけですが、江戸時代まで脈々と京都が育んできた朝廷文化を改めて知ることとなりました。

先日、横須賀で復興のテーマソングでもある「ドラマ坂の上の雲」の曲を友人のお嬢さんのソロソプラノで聴く機会がありました。
私自身の祖先を調べているうちに幕末から活躍した人々の相関図を気にするようになってから随分経つのですが、公家の立場から画策する人物の視点は、新鮮です。

岩倉具視の策略的な目的が直接でないことに、彼の読みの力は、千年という期間、しぶとい摂関家に仕えてきただけのものがあるな、と感心しました。流石です。

コンサートでのお嬢さんの歌う声は情感豊かで美しく、坂の上を上りながら仰ぐ空が見えてくるのです。ほろほろと涙が落ちました。
そんなこともあり、明治維新という日本の大きな転換期から日露戦争を経て、第二次世界大戦までの日本をふと感じたくなって、三笠公園で管理されている戦艦三笠の甲板に上がりました。

直に指図していたという一番高い場所に上ると甲板も良く見渡すことができ、海の彼方を見極めることができます。
そこで「これからの日本はどこに向かっていくのか」という思いが湧いてきました。

自分の病を理由に日本の矛先を決める会議を欠席する政治家。
金が無いと選挙ができないシステムに自ずと現れる既得を求める人々。
民主主義に胡坐をかき、とんでもない法律を可決しようとしている政治家達。

氾濫し彷彿した情報と民主主義は常に比例していなくてはなりません。

日本という船をどこに向けようとしているのでしょう。

坂の上の雲を気持良く仰ぐためには、有権者の意識が必要なのだと思いつつ、律令国家制定からの日本を大きな視点で見渡すことのできる政治家を私達が育てていかなくてはならないと、真面目に考えています。

奇しくも、さきほどネルソンマンデラ氏逝去の情報が入りました。
何故、今日なのか。意味深いなぁ。。。と、感じております。
マンデラ氏の思想と行動を本日起こる事と重ねることのできるセンスを持つ政治家が一人でも居ることを祈ります。

マンデラ氏に合掌。

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12月6日から8日まで 神宮前の「渋谷のIMA」(神宮前6-17-14六英ビル4階)にて「ちいさく表装・作品展」を開催します。今回は各講座の指導員の表装を展示します。いまようの住まいにも馴染む掛け軸をぜひご覧ください。

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浄土への舟

2013年12月05日 | 第2章 五感と体感
紀伊勝浦の那智の大滝に向かう途中に補陀洛山寺があります。
今回、残念ながら立ち寄ることが出来なかったのですが、独特な浄土信仰を実践した拠点の寺です。

平安時代から江戸時代にかけて、この寺の住職が20数名、補陀洛渡海を行い浄土に旅立ったそうです。

つまり、舟の小部屋に住職が入り、入口を外側から釘で打ち付け出られなくするのです。そして舟出します。

梅原猛の「うつぼ舟一巻の翁と河勝」に書かれています。
補陀洛舟、別名うつぼ舟。
海の彼方に浄土があると信じられ、歴代の住職が身体を張って、それを証明していったわけですが、恐怖のあまり逃げ出す住職も居たようです。当たり前のことです。。。

余談ですが、那智の大滝に控えている青岸渡寺の起源は343年と云われています。日本に道教が入り、もともと聖地として崇められていた土地に聖堂が建ち、仏教伝来を経て、現在天台宗の寺院になっていることに、北西に控える高野山とのバランスが、私の妄想を大きくしています。

紫式部の源氏物語に登場する明石の君の父親「明石の入道」は、れっきとした山岳宗教の信仰者であり、自分の死に時を選び、若い従者を引き連れて山に入ります。

海に逝くか山に逝くか。

天の浄土に向かうには、まずは海と山での最後の苦行が必要であることに、自制的な習性を持つ人間の象徴的な考え方でもあるように感じます。
なりふり構わず天を向き、あちらの世界に昇っていけることを信じたほうが楽だなぁ。。。と、凡人の私は思うのです。

自分の死生観を改めて問い掛け続けるにはもってこいの場所である熊野は、ほんとうに深い処なのです。

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12月6日から8日まで 神宮前の「渋谷のIMA」(神宮前6-17-14六英ビル4階)にて「ちいさく表装・作品展」を開催します。今回は各講座の指導員の表装を展示します。いまようの住まいにも馴染む掛け軸をぜひご覧ください。

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那智の大滝

2013年12月04日 | 第2章 五感と体感
熊野三山巡りは、那智の大滝から始めました。

現在伊勢から新宮までは、高速道路が出来つつあり以前より行きやすくなってきましたが、完成した道路がいくつかに分断されているため情報が少なく、カーナビが混乱したままの状態で新宮に到着しました。
夕刻の熊野灘を眺めながら中上健次の「枯木灘」だったか「岬」だったか定かではありませんが、主人公の「秋幸」という名前をを思い出し、彼の小説の原点の風景を目の当たりにしたことに今更ながら小さな感動が芽生えてきました。

翌日、熊野三山の一つである那智大社の参拝。熊野古道の「大門」駐車場に車を止め、そこからおよそ3,40分ほど歩くと那智大社の入口に着きます。そこからがちょっと大変で、急な上りの階段が続きます。
那智の大滝には那智大社があり、同時に天台宗の青岸渡寺があり、これらを参拝すると少し先に見える三重塔の右側に那智の大滝が確認できます。
那智の大滝は、そこからあるくこと20分程。

大滝の入口参道には改めて鳥居があります。

那智の大滝では、大きなメイン寺社が3つあるので、頂いたご朱印は3つとなりました。

並列的な寺社の並びに、明治に入ってからの廃仏毀釈で、堂々と生き延びた青岸渡寺に心の中で拍手し、有難く参拝させていただきました。

寺社は二年前に受けた台風の被害からすっかり復興し、勢いを感じました。

但し、那智の大滝の被害は甚大で、大滝の規模は変わりはありませんが、滝壷土石で埋まってしまい、大きな石がごろごろと積み重なっている様によくぞ滝が痛まなかった、と今更ながら安堵で胸を撫で下ろしました。
滝から落ちる川の被害は目の当てようも無く、世界遺産となっていることもあり、現状を崩すわけにはいかないということで、とてもデリケートな工事が未だに続いています。

被害が甚大であることを口にすれば、観光に影響すると思われている地元関係者が多いらしく、甚大な被害についての口は閉じられたままであったことも日本人のアイデンティティを象徴しているように思いました。参拝の印象よりも口を閉じることの印象の方が強かったことが私の所感です。熊野三山巡りにおいて、このことは一番興味深い印象となりました。

一日も早く、河川が落ち着きますよう祈るばかりです。

とはいえ、初めての那智の大滝は、素晴らしいものでした。

そして、勿論、太極拳。
大滝を観覧する場所が空いていたのが幸いで、是非ともここで太極拳を、と願っていたことが叶いました。
大滝に向かってリツゼンし、呼吸を整え瞑目もでき、神様の柱を目の前に滝の音に耳を澄ます時間を頂くことができたことも大きなお恵みです。

毎年7月14日に行われる火祭りでは、50キロの重さのヒノキで拵えた松明を担ぎます。一度火祭りを直に体験したいものです。

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お伊勢参り

2013年12月02日 | 第2章 五感と体感
四人が車に乗り込み、第二東名で名古屋港を見渡す壮大な風景を湾岸道路から眺め、すいすいと紀勢道へ入りました。
時間はかかりますが、伊勢までは道路が整っているので、遠い感じがしませんでした。
とはいえ、伊勢に着いたのは夕方です。

外宮の真ん前にあるカトリック伊勢教会も敷地が広く大きな教会です。外宮に気を使い鐘はあるものの鳴らしていないそうです。カトリック教会が建つ時は大変な混乱があったようですが、気遣いながらの神仏習合キリスト教に、何だか微笑ましさも感じます。時が経ち、すっかり風景に馴染んでいる教会は八百万の神の一つでありましょう。

二日目はいよいよ正式参拝。二見輿玉(おきたま)神社にて禊ぎをすることから始まります。海岸に面した岩場は、昔は人がすれ違うのがやっとでしたが、流石に四半世紀ぶりに訪れた夫婦岩は、多くの人が歩けるように整備されていました。
ここで日の出を拝み、日の出と共に社務所が開き、ご朱印も頂くことができます。

日の出を礼拝し、燦々とした光を頂きました。

9時に外宮参拝し、せんぐう館で社の勉強をし、いよいよ内宮に。

五十鈴川の穏やかで清らかな流れに改めて心身を清め、参道を静静と歩きました。、と、言いたいところですが、聞いていた通り、平日といえないくらい参拝者が多く、混雑とまではいきませんが、右側通行の参道は人の列で賑やかでした。

そうこうしているうちに、「参拝の皆様は右にお寄りください」との指示。白装束の宮司が数人正宮入口の鳥居手前で清めの桶を準備し立っていらっしゃいます。
天皇陛下が外国に行かれる時は、旅の無事を祈願しに宮内庁のお使いが代行で伊勢神宮を参拝するとのこと。
ちょうど、陛下がインドに行かれる前でしたので、私達はその参拝に遭遇したというわけです。
宮内庁参拝の間、賑わっていた参道が本来の静けさに戻りました。誰に言われると云うわけでなく、参道の隅に立ち無言で見届けることはなかなか体験できるものではありません。賑やかな参道が一気に静寂に満たされ、宮内庁参拝が終了するや否や、一気に庶民的になる参道の様子の落差に、人の喜怒哀楽の曼荼羅を窺ったような気分を得ました。

正式参拝は、正宮の内に入り、参拝します。
一つのグループ毎に入り、宮司の案内に従い、二礼二拍手一礼で礼拝します。
たった2,3分のことなのですが、正宮の形の整っていない白石を踏み歩むことは難しく、足元をしっかりと見なくては歩み進めることはできません。宮内庁の使者はモーニング姿でしたが、私達はスーツ姿でよたよたと歩き、念願の正式参拝を果たすことができました。
正宮に入るや否や、身震いするほど身体がゾクゾクしたのは何だったのか、これから徐々に解釈が生まれてくると思いますが、畏れの身振るいだったようにも思います。

この参拝のために夏の始めからあれやこれやと調整してきたこともあり、粗相があってはならないと緊張していたこともあり、気分も高揚していたせいか、おはらい町を抜け、目的の料理屋さんに着いた途端、気が抜けました。

旅を終え、まだ上手く言葉を掴むことはできませんが、自らの奥の柱がスンと立ったような感覚があります。

先日の某講座で五十鈴川に某方の「壺に入れたモノ」を流してくるというお使いも果たしました。
私の「壺に入れたモノ」も一緒に流しました。
清い流れにサラサラと含まれ、禊ぎと清めと祓いは自分の重さを確かに健やかに軽くするようです。

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12月6日から8日まで 神宮前の「渋谷のIMA」(神宮前6-17-14六英ビル4階)にて「ちいさく表装・作品展」を開催します。今回は各講座の指導員の表装を展示します。いまようの住まいにも馴染む掛け軸をぜひご覧ください。

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八百万の神々

2013年12月01日 | 第2章 五感と体感
二見豊玉神社の夫婦岩にて日の出に手を合わせ禊ぎ、伊勢神宮での正式参拝が叶い、熊野三山である熊野権現那智大社、熊野速玉大社、熊野本宮大社を五日間かけてゆったりと巡礼しました。

四半世紀ぶりの伊勢参りに加え、熊野三山を巡りたいと数十年願い続けてきたことを叶える事が出来、脳みそが満杯状態です。

熊野灘を眺め、かつて中上健次の小説を読み耽たことも思い出し、新宮という地に立つことができたことも、巡り合わせなのだろうと思いました。
海を知り山を知る武蔵坊弁慶もこの地に生まれ育ち、神武天皇の上陸の地でもあり、「始まり」を象徴する場所として解釈すると改めて自分の精神性が整理統合できるような気がしています。

2年前の台風の被害で熊野の山々が崩れ、熊野川やその支流も大きな被害を受けました。その様子から数千年かけて築きあげた景勝の儚さも直に感じてきました。

八百万の神々が宿る山々の神聖さを体感し、畏れ敬い生きてゆくことを自分の主軸にすることは、生きる力そのものかもしれません。

正宮のごろごろとした白石を踏みしめ、転ばないよう自分の足元を見ながら歩むことは、そういうことなのだと改めて知ることとなり、神道の典礼に触れることは自然の中に含まれる自分を体感することであることかもしれません。

じわりと有難さが込み上がっているところです。

師走のざわつきを鎮めつつ、伊勢と熊野の巡礼記をぼちぼちと書いていこうと思います。

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12月6日から8日まで 神宮前の「渋谷のIMA」(神宮前6-17-14六英ビル4階)にて「ちいさく表装・作品展」を開催します。今回は各講座の指導員の表装を展示します。8日14時~15時まで表導会主宰者清水達也先生の掛け軸の取り扱い方を中心にギャラリートークを予定しています。いまようの住まいにも馴染む掛け軸をぜひご覧ください。

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