五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

お伊勢参り

2013年12月02日 | 第2章 五感と体感
四人が車に乗り込み、第二東名で名古屋港を見渡す壮大な風景を湾岸道路から眺め、すいすいと紀勢道へ入りました。
時間はかかりますが、伊勢までは道路が整っているので、遠い感じがしませんでした。
とはいえ、伊勢に着いたのは夕方です。

外宮の真ん前にあるカトリック伊勢教会も敷地が広く大きな教会です。外宮に気を使い鐘はあるものの鳴らしていないそうです。カトリック教会が建つ時は大変な混乱があったようですが、気遣いながらの神仏習合キリスト教に、何だか微笑ましさも感じます。時が経ち、すっかり風景に馴染んでいる教会は八百万の神の一つでありましょう。

二日目はいよいよ正式参拝。二見輿玉(おきたま)神社にて禊ぎをすることから始まります。海岸に面した岩場は、昔は人がすれ違うのがやっとでしたが、流石に四半世紀ぶりに訪れた夫婦岩は、多くの人が歩けるように整備されていました。
ここで日の出を拝み、日の出と共に社務所が開き、ご朱印も頂くことができます。

日の出を礼拝し、燦々とした光を頂きました。

9時に外宮参拝し、せんぐう館で社の勉強をし、いよいよ内宮に。

五十鈴川の穏やかで清らかな流れに改めて心身を清め、参道を静静と歩きました。、と、言いたいところですが、聞いていた通り、平日といえないくらい参拝者が多く、混雑とまではいきませんが、右側通行の参道は人の列で賑やかでした。

そうこうしているうちに、「参拝の皆様は右にお寄りください」との指示。白装束の宮司が数人正宮入口の鳥居手前で清めの桶を準備し立っていらっしゃいます。
天皇陛下が外国に行かれる時は、旅の無事を祈願しに宮内庁のお使いが代行で伊勢神宮を参拝するとのこと。
ちょうど、陛下がインドに行かれる前でしたので、私達はその参拝に遭遇したというわけです。
宮内庁参拝の間、賑わっていた参道が本来の静けさに戻りました。誰に言われると云うわけでなく、参道の隅に立ち無言で見届けることはなかなか体験できるものではありません。賑やかな参道が一気に静寂に満たされ、宮内庁参拝が終了するや否や、一気に庶民的になる参道の様子の落差に、人の喜怒哀楽の曼荼羅を窺ったような気分を得ました。

正式参拝は、正宮の内に入り、参拝します。
一つのグループ毎に入り、宮司の案内に従い、二礼二拍手一礼で礼拝します。
たった2,3分のことなのですが、正宮の形の整っていない白石を踏み歩むことは難しく、足元をしっかりと見なくては歩み進めることはできません。宮内庁の使者はモーニング姿でしたが、私達はスーツ姿でよたよたと歩き、念願の正式参拝を果たすことができました。
正宮に入るや否や、身震いするほど身体がゾクゾクしたのは何だったのか、これから徐々に解釈が生まれてくると思いますが、畏れの身振るいだったようにも思います。

この参拝のために夏の始めからあれやこれやと調整してきたこともあり、粗相があってはならないと緊張していたこともあり、気分も高揚していたせいか、おはらい町を抜け、目的の料理屋さんに着いた途端、気が抜けました。

旅を終え、まだ上手く言葉を掴むことはできませんが、自らの奥の柱がスンと立ったような感覚があります。

先日の某講座で五十鈴川に某方の「壺に入れたモノ」を流してくるというお使いも果たしました。
私の「壺に入れたモノ」も一緒に流しました。
清い流れにサラサラと含まれ、禊ぎと清めと祓いは自分の重さを確かに健やかに軽くするようです。

:::

12月6日から8日まで 神宮前の「渋谷のIMA」(神宮前6-17-14六英ビル4階)にて「ちいさく表装・作品展」を開催します。今回は各講座の指導員の表装を展示します。いまようの住まいにも馴染む掛け軸をぜひご覧ください。

クりック応援お願いします♪「生き甲斐の心理学/五感で観る」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする