抽象画の父

 

 チェコに行く前、「カンディンスキーと青騎士展」を観に行った。

 「青騎士」のコレクションで有名なレンバッハハウス美術館。私たちは二度、ミュンヘンに行ったのだが、二度とも美術館は改修中だった。で、その間、コレクションがちゃっかりごっそり来日していたわけ。
 抽象画をあまり好きじゃない私たち。「カンディンスキーの抽象画ばかりだったら、大損こき麻呂!」と、ぶうたれていた相棒だったが、そうでもなくて安心した。

 ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)は“抽象画の父”と呼ばれるロシア人画家。 
 絵画はセザンヌ以降、フォルムがどんどん崩れていく。フォルムは、描き手によって再構築される表現、という形を取り、その流れは突き詰められて、とうとう対象自身の持つフォルムが放棄される。
 ここに到って抽象絵画が誕生する。カンディンスキーはそんな流れのパイオニアだった。

 彼の抽象画の源泉として、しばしば音楽が取り沙汰される。音楽をたしなむ家庭で、ピアノやチェロを習って育ち、ワーグナーに傾倒し、アルノルト・シェーンベルクとも交流があった。自著にて自身の抽象画を音楽のタームで説明し、……云々。
 が、どうも私にはカンディンスキーの絵にあまり音楽は感じられない。金管楽器が高低をつけてプッ、ププーと吹き出すように、メロディもハーモニーもあまりにないがしろにされていて、うごめき、はじけ、広がる自分本位のリズムがあるっきり。
 つまり彼の絵の音楽というのは、音なのだ。

 カンディンスキーはあるとき、アトリエで横倒しになった自分の絵を見て、何が描かれているのやら、だがまったく美しい、と感動する。が、よく見るとそれは自分の絵だった。するともう、対象の形が邪魔をして、どう絵を動かしても先程の美を取り戻すことができない。……というのは、よく知られたエピソード。
 対象を描かないほうが絵は美しい。その感動を、彼は再現しようとしたらしい。彼には彼の信念があった。

 大学では法律と経済を専攻し、そのまま教職に就くが、30歳で絵に転身した、なかなか立派なカンディンスキー。以後、画塾ファランクスの設立、ベルリン分離派への参加、「青騎士(Der Blaue Reiter)」の結成、と精力的に、おのれの芸術に一路邁進する。
 で、先の感動。そうだ、俺は俺の宇宙を描くぞ。
 点と線と面、形と色とを配置して音を奏でさせる。それは意図的に不調和なのだが、そのほうがよい。説明など無用だ。感情よ、湧き起これ!

 結果、抽象画家としての名声を得たのだけれど、どうなんだろう。音楽も理論も、マルチな才能はどれも中途半端で、たどり着いた抽象画もまた、絵としては中途半端なように、私には思える。
 父よ、ごめん。

 画像は、カンディンスキー「音の響き合い」。
  ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky, 1866-1944, Russian)
 他、左から、
  「カルミュンツにて絵を描くガブリエレ・ミュンター」
  「コッヘルの牧師館と共同墓地」
  「馬上のカップル」
  「夢の即興曲」
  「赤い斑点Ⅱ」

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