ドイツ印象派として

 

 マックス・リーバーマン、マックス・スレーフォークト、ロヴィス・コリントは、ドイツ印象派の三羽烏。
 このうち最も有名なのが、マックス・リーバーマン(Max Liebermann)だろうか。彼はパリに滞在中、印象派の誕生を目の当たりにした。以降、自身の画面にも陽光が滲みわたるようになる。

 けれども、フランス印象派のきらめく色彩に比べると、リーバーマンのそれはとても堅実。ドイツ的と言うべきだろうか。情緒的なところがない。
 木漏れ日の下で集う市民たち。室内で作業する労働婦人たち。海辺で戯れる裸の少年たち。これらは当時の市民社会の一面をそのままに描いた、印象派風の色彩を用いた社会的リアリズム、といった感じ。

 パリではバルビゾン派にも共鳴し、パリを経った後にはオランダでハーグ派を熱心に学んだというリーバーマン。だから彼が、ハーグ派から出発しながら色彩も筆致もずんずん荒々しく変化していったゴッホの絵を評価できなかった、というのは仕方がない。

 ベルリンに戻った彼は、19世紀末、ベルリン分離派(Berliner Secession)を結成、新しい画壇をリードし、巨匠として君臨する。が、第一次大戦前夜に登場した表現主義を、やはりどうしても理解できない。
 「ブリュッケ」ら表現主義の画家たちの出品を拒否。その後のやり取りのなかで、ノルデが「芸術を理解しやがらない、このユダヤ野郎!」とでも言ったらしい。分離派は決裂した。

 ……こうしてみると、リーバーマンってやっぱり、印象派の画家なのだと思う。

 ところで、実際リーバーマンはユダヤ人で、実家は裕福な実業家。後にその遺産で、フランス印象派の絵画を収集している。
 パリ以前、「12歳のイエス」をユダヤ人のまま描いて猛烈に非難され、黒髪を金髪に描き直させられたというが、そうした挑戦に走らせたのは、リアリズム画家の野心だったのか、ユダヤ人の自負だったのか。
 晩年、ナチスが政権を獲得すると、リーバーマンはこれまでの栄誉を自ら返上する。彼は頽廃芸術家として排斥され、失意のうちに亡くなった。

 画像は、リーバーマン「ミュンヘンのビアガーデン」。
  マックス・リーバーマン(Max Liebermann, 1847-1935, German)
 他、左から、
  「水浴する少年たち」
  「ブルネンブルクのビアガーデン」
  「アムステルダムの庭園の孤児たち」
  「砂丘の山羊を連れた女」
  「ヴァンゼーの画家の庭園」

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