花飾りの帽子の令嬢

 

 「青騎士」には二つのカップルがあった。一つはカンディンスキーとミュンター、もう一つはヤウレンスキーとヴェレフキン。前者の関係は分かりやすいのだけれど、後者の関係はよく分からない。 
 ヴェレフキンはヤウレンスキーの良きパトロンだった。これは確か。そして恋人でもあった。多分。

 マリアンネ・フォン・ヴェレフキン(Marianne von Werefkin)は裕福で教養豊かなロシア貴族の令嬢。父は将軍、母は画家。
 ヴェレフキンの画才に気づいた両親は絵のレッスンを受けさせ、後には巨匠レーピンに個人指導してもらえるよう計らった。
 狩猟の際に誤って自分で自分の利き手を撃ち、指をぶっ飛ばしてしまったヴェレフキン。不自由になった手を、長い長い時間をかけて粘り強くに訓練し、再び絵を描けるようになるまで回復させる。そう、この人には不撓不屈の意志があった。
 写実の腕は成熟を見せ、“ロシアのレンブラント”とまで評判されるように。

 こんな彼女が、師匠レーピンに紹介された弟子志願のヤウレンスキーに、救いようもなく魅了されてしまう。
 自分の画業をほっぽり出して、歳上の貧乏士官で画家卵ヤウレンスキーの、絵と生活の両面倒を看始める。父親が死ぬと早速、彼を連れて、当時ドイツ美術の拠点だったミュンヘンへと転居、二人の家はたちまち、世界中の芸術家たちの集うサロンとなる。

 ヴェレフキンは、ヤウレンスキーが女癖の悪い浮気男だということを、当初から承知していたという。が、彼女がミュンヘンに同伴したメイドのヘレーネに、彼が手をつけて、子供を産ませる結果に到ったのは、さすがにショックだったらしい。
 じきにヴェレフキンが十年来中断していた画業に復帰したのも、画家を支え画家に尽くす道ではなく、画家自身としての道を、再び歩もうとしたからのように思える。

 第一次大戦が勃発すると、ヴェレフキンはヤウレンスキーとその愛人・子供とを伴ってスイスに亡命。けれどもロシア革命以降、ヴェレフキンはヤウレンスキーに贅沢な生活を提供できなかった。
 やがてヤウレンスキーは新しいパトロンを見つけてドイツに戻り、ヘレーネと結婚することでヴェレフキンと離別した。

 ヴェレフキンはスイスに残った。マッジョーレ湖畔のアスコーナが、貧困の晩年、終生の住処だった。

 ああ、ヴェレフキン。淑女然としていないのに、いつも花飾りのついた帽子をかぶっているところが可愛らしい。名前もスナフキンに似ているところが好もしい。

 画像は、ヴェレフキン「秋(学校)」。
  マリアンネ・フォン・ヴェレフキン(Marianne von Werefkin, 1860-1938, Russian)
 他、左から、
  「青衣の女」
  「スケートをする人々」
  「ビアガーデン」
  「田舎道」
  「自画像」

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