大きな顔しちゃって

 
 
 帰国の日、ドイツのヴィースバーデンにて、駅へ向かう途中、国立美術館に出くわした。前面にでかでかとヤウレンスキーの絵が掲げてある。
 ややっ、ヤウレンスキー先生! すかさず相棒が茶々を入れる。
「あ、チマルさんが無実の罪を着せてたヤウレンスキーだよ!」
 ……私、カンディンスキーとヤウレンスキー、それぞれ作品も略歴も間違いなくインプットしてるのに、ミュンターとのエピソードだけなぜか勘違いして、ミュンターを捨てたのはヤウレンスキーだと思い込んでいたんだよね。ま、どっちも似たり寄ったりだけど。

 ヴィースバーデンはヤウレンスキーが住んだ地。その日は空港に急いでいたし、どうせ月曜日なので休館だったのだが、こりゃ、罪滅ぼしにもう一度来なくちゃ、だな。

 ロシア出身の画家アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー(Alexej von Jawlensky)は、同じロシア人ということで、かのカンディンスキーとも交友があり、「青騎士」にも参加している。
 その美意識が自分にはどうしても分からない、という画家はたくさんいる。ヤウレンスキーもその一人。彼の絵を好きではないのか、と問われたら、「いや、そうでもない」と答えそう。なのに、彼の絵から何を感じるか、と問われたら、「さあ、よく分からん」と答えそう。そういう画家。

 ヤウレンスキーというのは、生涯ほぼ一貫して、人間の頭部(Kopf)を描き続けた。彼の人物画は、最初のうちはルオーの描線やマチスの色彩を思わせるものだったところが、だんだんに顔だけがクローズアップされていく。頭の上部も首許も収まり切らないほど、画面いっぱいになっていく。眼も鼻も口もフォルムはシンボル化され、それがますます抽象化されて、最後にはモアイ像のような、イコンのような、顔文字のような定型へと行き着く。
 彼がそんなにも顔ばかり描いたのが、どうした霊感やら天啓やらによるものなのか、私には分からない。単なる顔フェチだったのなら頷けるのだが……

 モスクワの士官学校に入学するが、余暇には絵を描き、トレチャコフ美術館に通って独学で絵の勉強。帝国士官になると、任地サンクトペテルブルクでアカデミーに通ってさらに勉強。
 巨匠レーピンの紹介で裕福な貴族の令嬢マリアンネ・フォン・ヴェレフキンを紹介され、弟子を志願する。

 なぜヴェレフキンがヤウレンスキーを受け入れたのか、よく分からない。とにかく以降、彼はこの女パトロンに絵と生活の両方の面倒を看てもらいつつ、行動を共にする。ミュンヘンに出、黙々と画業に勤しみ、やがてカンディンスキーらと親交を持ち、一時期はカンディンスキーの画風の模作を牽引、さらに「青騎士」に名を連ね、……云々。
 第一次大戦が勃発するとスイスに亡命、精力的に「顔画」を描く。その後、ヤウレンスキーは一人ドイツに戻り、ヴィースバーデンに居を構えて結婚。献身的なパトロンだったヴェレフキンと未練なく決別した。

 が、関節炎と麻痺が進行して思うように絵が描けず、ナチスによって「頽廃芸術」の烙印も押されて、ウィースバーデンでの彼はひっそりとしていた。ひっそりとしたまま死んでいった。

 画像は、ヤウレンスキー「女性の頭部」。
  アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー(Alexej von Jawlensky, 1865-1941, Russian)
 他、左から、
  「スペイン娘」
  「赤い帽子をかぶったショッコ」
  「彼と彼女」
  「驚愕」
  「抽象的頭部」

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