動物たちの眼差し

 

 昨年の夏、山を見たいという相棒がドイツのバイエルン・アルプスに沿って旅行計画を立てた。そのなかに、コッヘル・アム・ゼーという小さな町があった。
「コッヘル? 聞いたことあるな。何だっけ?」
「しっかりしてよ、チマルさん。マルクの美術館に行きたいって言ってたでしょ」
 そうでした! コッヘルはフランツ・マルクが住んだ町で、マルク美術館がある。
 
 フランツ・マルク(Franz Marc)は「青騎士(Der Blaue Reiter)」のなかで最も好きな画家の一人。考えてみれば私、「青騎士」の絵って結構好きなのよね、カンディンスキー以外は。

 マルクはひたすら動物を描き続けた。物質主義社会で人間が失ってしまった精神。動物たちはそうした精神を体現した無垢な存在だ、と捉えたマルク。
 マルクの動物たちは平穏に暮らしている。けれどもそれは、人間がこうあれかしと望む牧歌的な平和はない。動物たちはどこか怯え、うろたえている。何か大きな力を前に、うなだれている。不穏で凶暴な存在に、身をすくませている。

 厳格で敬虔な家庭で育った、内気で感受性の強い少年。画家だった父からは絵の手ほどきを受け、母からは強い信仰心を教えられて、マルクは牧師になるために神学を学んでいたところが、突如、画家を志す。家族は大反対。成功するだけの才能なんてありそうにない、という冷たい言葉。
 で、この繊細な男マルクは、失敗への不安と恐怖、自己への不信に、絶えず鬱々と悩まされる。結婚式の夜、花嫁を置き去りにして逃亡してしまった、というエピソードも聞く。

 けれども精神を探求し続けた人というのは強い。マルクの動物たちは、彼の親愛の情の対象以上に、自然の守護者、自然の精神性と霊性の体現者として、彼のなかの真実を引き出して彼を導く汎神論的な存在だった。
 カンディンスキーとともに「青騎士」を結成、その年鑑の序文でマルクは、「芸術においては真実を愛する精神によって創り出されるものは常にすべて本物である」と述べている。

 青は男性的で精神的、黄は女性的で官能的、赤は物質的、……と、それぞれの色彩に象徴的意味を見出す独特の色彩哲学の上に描かれた、非写実的なきらめくような色彩の塊。主張のない線が繰り返され、有機的なリズムと動感を残してフォルムは埋葬される。
 死の苦痛が魂を堕落させることはない。死は破壊ではなく解放なのだから。……こうしてマルクは、精神絵画としての抽象絵画へと向かっていく。精神の調和に満ちた黙示録的な世界が現われる。

 その先にどんな絵の世界があったのだろう。第一次大戦が勃発すると、マルクは志願して従軍、戦死した。
 画家として活動したのはわずか10年。36歳の若さだった。

 画像は、マルク「小さな青い馬」。
  フランツ・マルク(Franz Marc, 1880-1916, Germany)
 他、左から、
  「馬の小品」
  「青い馬」
  「戯れる猫」
  「狐」
  「眠る馬」

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