モンマルトルの白

 

 「モーリス・ユトリロ展」に行ってきた。金券ショップで、200円のチケットをゲット。信じられない。日本じゃ人気の画家らしいユトリロ。ユトリロ展が開催されるたびに、私はせっせと足を運ぶ。
 が、ユトリロって、知れば知るほど幻滅する。総じて画家には、バランスが悪く、自由でない人が多いけれど、ユトリロも極端にその部類。

 ごくありふれた、だが独特の哀愁と詩情を漂わせた、パリの白い街並みの絵。もしパリを去るなら、パリの形見に漆喰のカケラを持ってゆく、と答えた画家。あー、ユトリロって、なんだかいいな。……と第一印象。
 が、二度、三度と足を運ぶうちに、どうもゲップが出てくる。ユトリロの絵って、なぜだか絵を愛してた画家の絵とは思えない。パリを愛してた画家の絵とも思えない。

 そしてワケを知ると、げんなりする。母の愛情に飢え、若くしてアルコール中毒に陥ったユトリロは、治療のために絵を描き始めた。ここまでは、まだいい。
 が、パリ市民から好評を博したユトリロが、母ヴァラドンに疎外されながらも、その贅沢な生活を支えるために、ドル箱となって描き続けた、と聞くと、情けなくなる。なんという共依存。

 モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)は、女流画家シュザンヌ・ヴァラドン18歳のときの私生児。この頃彼女は、ルノワール、ロートレック、シャヴァンヌなどなどの画家たちのお気に入りのモデルで、彼ら画家たちと交錯した情交関係にあり、ユトリロの父親が誰なのか、彼女自身も分からなかったという。
 恋に忙しいヴァラドンはユトリロ坊やを祖母に預けたまま、ほったらかし。ユトリロのほうは人一倍母親を恋しがり、突発的に暴れたり、鬱いで閉じ籠ったりと、次第に精神の安定を欠くようになる。

 10代半ばですでに酒に溺れ、アル中のため精神病院への入退院を繰り返すうちに、医師から勧められて、絵筆を取る。多分、母ヴァラドンが画家だったからだろう。
 が、ここに、絵を介して母子の交流が生まれたかと思いきや、ヴァラドンがユトリロに絵を指南するようなことはなかったという。ユトリロは独学で絵を描いた。独学と言っても、他の画家の絵から学ぶ、というのではなく、それこそ自分の好きに描いたらしい。
 
 憂愁と孤独のパリの絵で早くから名声を得たユトリロだけれど、本人は、絵を描いて酒を飲む以外には関心がなかったみたい。母ヴァラドンは相変わらず不在で、ユトリロのことなんて構いやしない。
 それどころか、ユトリロの友人ユッテルと結婚してしまう。ヴァラドン45歳、ユッテルとの年齢差23歳。
 これにはユトリロ、大ショック。なのに、二人の豪勢な生活のために、絵を描き続けたって。
 バカなユトリロ。

 ユトリロの絵中の女性のお尻は、次第に風船のように膨らんでくる。これは、彼の女性嫌悪の現われだって。実際に街で妊婦を見かけると、お腹を蹴飛ばしにかかったって。……解説にそうあった。

 哀れなユトリロ。

 画像は、ユトリロ「コタン小路」。
  モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo, 1883-1955, French)
 他、左から、
  「モンマルトル、オルシャン通り」
  「サン=ピエール教会とサクレ=クールの丸屋根」
  「雪のアベス広場」
  「モンマルトルのイタリア家屋」
  「モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレット」

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