チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
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第119話 収 穫

2007年10月11日 | チエちゃん
 黄金色の稲穂がこうべを垂れ、収穫の時期を迎えました。
ここまでくれば、米作りもあと数手間を残すのみですが、稲刈りからお米にするまでの作業が、最も重労働であったように思います。
 なにしろ、昭和40年代初めのあの頃は、コンバインなどはもちろん稲刈り機もありませんでしたから、作業は全て人力でした。
 稲は鎌を使って刈り取り、束になったら、稲わらでまるって、その場に置いていきます。その稲束を田んぼに立てたハセや杭に掛けていきます。(写真参照)
こうして、稲を乾燥させるのです。
田植えと同様、稲刈りは家族総出で行い、もちろん結いのお手伝いもやって来ます。チエちゃんは、稲の束を杭の所まで運ぶことが仕事でした。
稲刈りは1日で終わらずに、数日を要することが常でした。

 この後、杭返し(稲束を稲穂の部分を内側に掛け直すこと)を行い、稲を十分に乾燥させた後、稲こき(脱穀)をします.
これも、人力によるもので、木製ドラムに太い針金の突起が付いた足踏み式の脱穀機を使っていました。この足踏み式脱穀機は、このあと間もなく発動機による脱穀機に換わりました。
 それから、出来上がった籾やわらを田んぼから家まで、耕運機を購入するまでは、リヤカーで運んだものでした。
 この後は、細かなわら屑やゴミを取り除くために唐箕にかけます。これも人力により手回しをして使う道具でした。
 そして、籾摺りをして籾を取り除き玄米に、玄米を精米して白米にするわけですが、チエちゃん家ではこの作業は専門業者に依頼していたものか、よく覚えていません。チエちゃんが小学校高学年になる頃、でお金を出し合い、籾摺り機と精米機を購入してからは自宅で行なったように記憶しています。

 それにしても、米ほど、その状態や部分によって、名称が変化する穀物は他にないように思います。
 葉や茎が付いている時には「稲」、稲から取り除いた実は「籾」、乾燥した茎と葉は「わら」、籾から殻を除けば「玄米」、玄米から糠を除けば「米」。
米は、日本人にとって、それだけ関わりが深く、大切な穀物であったということでしょう。