チエちゃんの昭和めもりーず

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チエちゃんの青春 第1回(昭和ダイアリー編)

2007年10月23日 | チエの玉手箱
 こんにちは 〝チエちゃんの昭和めもりーず〟管理人チエと申します。
この度、ゲストライターとして投稿させていただくこととなりました。
〝昭和めもりーず〟番外編「チエちゃんの青春」を4回シリーズでお送りします。
どうぞ、よろしくお願いします。さてさて・・・

 チエちゃんが、初めて五つの赤い風船の「遠い世界に」を聴いたのは、中学3年の時でした。
お友達に誘われ、某高校合唱部の定期発表会に行った時のことです。
難しい合唱やチエちゃんでも知っている童謡などの発表のあと、一番最後に出演者・入場者による全員合唱が始まりました。

 ♪遠い世界に 旅に出ようか
  それとも赤い風船に乗って
  雲の上を 歩いてみようか
  太陽の光で 虹を作った
  お空の風を もらって帰って
  暗い霧を 吹き飛ばしたい

この歌、何? みんな楽しそうに歌ってる!
みんな知ってるのに、私だけ、知らないなんて!
マジ、カルチャーショックでした。

 前々年にはソルティ・シュガー「走れコウタロー」、前年にははしだのりひことクライマックス「花嫁」がヒットし、この年にも吉田拓郎「結婚しようよ」「旅の宿」がヒットしていたので、フォークソングというジャンルがあることは知っていました。
でも、自分の知らない世界があることに驚き、流行に取り残されている気がしました。
自分はなんて幼稚だったのだろう。

 昭和48年('73年)高校生になったチエちゃんは、どんどんフォークソングにのめりこんでいくことになります。
まさに、フォーク全盛の時代。この時すでに、フォークの旗手吉田拓郎は大スターでありました。

 そして、チエちゃんは「かぐや姫」に出会うこととなります。
南こうせつのあの歌声にチエちゃんは魅了されたのです。当時多くのフォーク歌手はTVに出演しませんでした。(そこがカッコよくもありました) 
家にステレオが無かったので、チエちゃんが彼らの音楽を聴く唯一の手段、それはラジオ、深夜放送を聴くことでした。お父さんにおねだりして短波放送も聴ける高級なラジオを買ってもらいました。

 毎週水曜日、学校から帰ったチエちゃんは夕飯とお風呂を済ませると、午後7時~8時には布団に入ります。
そして夜中の12時頃に起き出し、一応ちょっと勉強。このあと、1時~3時まで南こうせつの「パック・イン・ミュージック」を聴くのでした。
ここで、いろいろなフォーク歌手を知りました。
「チューリップのアップリケ山谷ブルース」岡林信康、「傘がない」井上陽水、「春夏秋冬」泉谷しげる、「カレーライス」遠藤賢司、「心の旅」チューリップ、「私は泣いています」リリィ、「煙草のけむり」五輪真弓、「面影橋から」小室等と六文銭、「プカプカ」西岡恭蔵などなど。

 チエちゃんはせっせとリクエストカードを送りました。
続けてみるもんですね。ある夜のこと、とうとう、そのリクエストをこうせつさんに読んでもらえたのです。
うれしくて、真夜中の茶の間には誰もいないのに、ものすごく照れちゃって、ひとり真っ赤になって聴きました。「バス停まで自転車通学をしています」みたいなことを書いてあったと思います。
こうせつさんが、「女学生の髪が風になびいて、いいなあ」って、コメントしてくれたことを30年以上たった今でも覚えています。
翌朝、学校のお友達から「聞いたよう、あれチエちゃんでしょ」と言われて、盛り上がったなあ。

 この「こうせつパック」から、あの名曲「神田川」がヒットしたのです。
この間に、こうせつさんは結婚し、その馴れ初めも聞いたものです。
結婚式で奥さんが「いくよです」と挨拶した可愛らしい声は今も耳に残っています。

つづく



注;この記事は、2006年12月27日昭和ダイアリーに掲載されたものを一部加筆訂正しました。