チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
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チューリップのアップリケ

2007年10月26日 | チエの玉手箱
「チエちゃんの青春」第2回をご期待の皆様、申し訳ありません。ここで、ちょっとブレイクです。書きたい波が押し寄せてきました・・・
岡林信康さんの「チューリップのアップリケ」には、少し思い出があります。

 私が小学6年の頃、にしゃばあちゃん一家は家業の豆腐屋を廃業し、F市へ転居することになりました。
子供であった私は知りませんでしたが、大人たちの間では、ここで一悶着あったらしいのです。
 転居新築するにあたり、住んでいる土地(田んぼ付)が売れないことには、資金が不足していたのです。生家の窮状を見兼ねた祖母は、祖父と父に土地を買ってくれるよう懇願したのです。それも、地価よりも相当高い値段です。
生さぬ仲であった父と祖母は、これが原因で揉めて、しばらく口を利かなかったそうな・・・

 それでも、どうにか話はまとまり、無事転居し、その新築の家を訪問することになりました。賢一兄の車で向かう途中、その歌はカーラジオから流れてきました。

 うちの家は貧乏で、お金のことが原因でお母さんは家を出て行ってしまった。
 お父さんも買ってはくれるけれど、チューリップのアップリケの付いた
 スカートを、私はやっぱりお母さんに買ってほしい。
(だから、お母さん、早く帰ってきて・・・)

こんな意味の歌です。
ダミ声の大阪弁で歌う悲しいその曲は、誰の何という曲なのか聞き逃してしまったのですが、私の心の中に刻まれることになったのです。

 そうして、数年後、深夜放送を聴くようになって、
「次の曲は、岡林信康さんでチューリップのアップリケ

   うちがなんぼ早よ 起きても
     お父ちゃんはもう くつトントンたたいてはる
     あんまりうちのこと かもてくれはらへん
     うちのお母ちゃん どこへ行ってしもたのん・・・」

すぐに、あの時の曲であることに気づきました。
 それ以来、「チューリップのアップリケ」は私の大好きな曲になり、岡林信康さんの他の曲も次々と聴いていったのです。
 彼は60年代フォークの時代に活躍し、団塊の世代の方々に人気のあったシンガーです。
あの頃のフォークソングは、70年代よりもメッセージ性が強く、反戦歌や社会を風刺した曲が多かったようです。