前回「お母さんのサンドイッチ」で、チエちゃんは学校へ"お弁当"を持っていったお話をしました。給食はなかったのでしょうか?
チエちゃんの通う小学校では、チエちゃんが入学した時には給食がありませんでした。
2年生になった時に、ミルク給食が始まりました。
50代の方ならお分かりでしょう。脱脂粉乳(断じてスキムミルクなんてしゃれたものじゃない)を使ったミルクです。
クラスの人数分が入った大きなアルマイトのミルクポットから、これまたアルマイトの食器にミルクを注いでいただくのですが、子ども達の口に入る頃には生ぬるくなっており、不味いことが多く、苦手とする子が大勢いました。
せめて、アツアツなら、もうちょっと美味しくいただけるのですが、これはこれでアルマイトの食器のフチが熱くて、冷めるまで飲めなかったのです。
そして、3年生の途中からビン牛乳へと変わりました。
やっと脱脂粉乳から逃れられたと、みんな喜んだものでした。
時折、付いてくるココア味の粉末ミルメークに人気がありました。
それから、4年生の4月、ようやく待ちに待った完全給食が始まったのです。
チエちゃんは、給食にどんなものが出てくるのか、それはそれは楽しみでした。
コッペパンにマーガリンまたはジャムとビン牛乳、アルマイトのお皿のおかずが一品、ミルク給食の時に使っていたおわん型の食器に汁物のおかずが一品。
そして、時々バナナなどのくだもの。
これらが金属製のトレーに載った物が、定番の給食でした。
チエちゃんの期待通り、給食のメニューにはこれまでチエちゃんが食べたことのないおかずがありました。
カレーシューやクリームシチュー、スパゲッティナポリタン、ポークビーンズ、ハムカツ、・・・・・・・
それまでは和風の献立しか知らなかったチエちゃんですが、給食を通して洋風の献立を知ったのです。
あの頃は食文化も、欧米に追付け追い越せの時代だったのでしょう。
チエちゃんは好き嫌いはあまりありませんでしたが、チーズとトマトが苦手でした。チーズは以前食べてまずかったからであり、トマトはチエちゃんの家では栽培しておらず、給食には酸っぱいトマトが丸ごと出ていたからです。
残してはいけない給食のお陰で、今ではこの2つは大好きになりました。
チエちゃんの通う小学校では、チエちゃんが入学した時には給食がありませんでした。
2年生になった時に、ミルク給食が始まりました。
50代の方ならお分かりでしょう。脱脂粉乳(断じてスキムミルクなんてしゃれたものじゃない)を使ったミルクです。
クラスの人数分が入った大きなアルマイトのミルクポットから、これまたアルマイトの食器にミルクを注いでいただくのですが、子ども達の口に入る頃には生ぬるくなっており、不味いことが多く、苦手とする子が大勢いました。
せめて、アツアツなら、もうちょっと美味しくいただけるのですが、これはこれでアルマイトの食器のフチが熱くて、冷めるまで飲めなかったのです。
そして、3年生の途中からビン牛乳へと変わりました。
やっと脱脂粉乳から逃れられたと、みんな喜んだものでした。
時折、付いてくるココア味の粉末ミルメークに人気がありました。
それから、4年生の4月、ようやく待ちに待った完全給食が始まったのです。
チエちゃんは、給食にどんなものが出てくるのか、それはそれは楽しみでした。
コッペパンにマーガリンまたはジャムとビン牛乳、アルマイトのお皿のおかずが一品、ミルク給食の時に使っていたおわん型の食器に汁物のおかずが一品。
そして、時々バナナなどのくだもの。
これらが金属製のトレーに載った物が、定番の給食でした。
チエちゃんの期待通り、給食のメニューにはこれまでチエちゃんが食べたことのないおかずがありました。
カレーシューやクリームシチュー、スパゲッティナポリタン、ポークビーンズ、ハムカツ、・・・・・・・
それまでは和風の献立しか知らなかったチエちゃんですが、給食を通して洋風の献立を知ったのです。
あの頃は食文化も、欧米に追付け追い越せの時代だったのでしょう。
チエちゃんは好き嫌いはあまりありませんでしたが、チーズとトマトが苦手でした。チーズは以前食べてまずかったからであり、トマトはチエちゃんの家では栽培しておらず、給食には酸っぱいトマトが丸ごと出ていたからです。
残してはいけない給食のお陰で、今ではこの2つは大好きになりました。
コレをミルク給食と言うんですか?
給食というと食べ物というイメージなんですけど・・・。
食べ物の給食は一度も有りませんでした。
トマト私も苦手です。
昔は残してはいけなかったので頑張りましたが、やはり今でも嫌いです。どうしても駄目でした。
当時は吐きそうになりながら飲み込んでましたよ。
懐かしい思い出です。
まずかったですよね。(笑)
夫とは、同じ町内だったのに通った小学校が違ったので、給食がなかったんですって・・・。
ご飯だけ持って行って、おかず給食とか・・・。
同年代なのに、給食の思い出だけは違うのです。
いまでも、売ってるようですよ。
揚げパンがすきでした。
ソフトメンってのもよかったです。
食事の終わった後は、ビンの厚紙でできた蓋を使って”メンコ遊び”です。
豪傑は、お煎餅のカンカン箱にいっぱいの蓋を持っていました。
「ミルク給食」とか「牛乳給食」と言ってましたよ。
これに対して、全て揃っているものが「完全給食」。おかずだけなら「おかず給食」?かな。
> starちゃん
そうでした。表面に膜が張りました。
あの頃のトマトは酸味が強くて美味しくなかったですね。現在は品種改良されて、ずいぶんと甘くなったんですけど、まだダメ?
> エーさん
給食は、その市町村で有る所と無い所がありました。uncle Shigeさんは私が生まれた昭和33年にもう食べてますから。
> 薬作り職人さん
実はね、「ミルメーク」って名前、当時知らなかったんです。子供たちに聞いて知りました。
あの頃は、「コーヒー牛乳の素」と言ってたかなあ。ココア味ですけどね。最近はいちご味とかあるらしいです。
> uncle Shigeさん
この記事を書いていて、ああ西洋風なお料理は給食で覚えたなあと思ったんです。
給食の果たした役割は大きかったかもしれません。それでね、栄養状態の成果を見るためだったのかどうか、毎月身長と体重測定があったの。これが嫌でした。
> 谷やん
やってた、やってた、男の子達。
「豆パッチ」って、知ってる?
アレの代用にも使って、親指と人差し指に挟んでパチッと飛ばしっこしませんでした?
私たちはパック牛乳がピラミッドから今の牛乳パックのミニ番になったくらいですね(何の話
ちなみに私、ビビンバ好きでしたw
側面に蝋がぬってあったのかなぁ?
パチッと飛ばして飛距離を競争しました。
やっぱり豪傑は、たくさんの戦利品を持ってました。
給食、懐かしいです。。
でも、去年、娘の小学校へ給食試食会に行きました。
そして、びっくり!!
私たちの町は、地元産を自校調理するのですが、彩り、鮮度、多彩なメニューに驚きました。
インド料理、九州の郷土料理、アフリカ料理、、地元の郷土料理。。。栄養士さんの奮闘ぶりに感謝です。
でも、娘に「作って」とせがまれても、???。。。^^;
でも、ミルメークとソフト麺は健在でした^^)
また、お伺いします