寒い。
ここ一週間ほどは檜林の間伐をやってた。
うしろの声が聞こえてない動画をどうぞ。
聞こえるわけないっつぅの。苦笑
しかし・・・・
テレビの音さえ怖い音過敏の僕が、
このものすごくうるさいチェーンソーや草刈り機は耳栓なしで全然平気ってのが不思議です。(笑)
朝方少し強迫観念にとらわれてしまって、あまり調子よくなかった。
(テレビの音がうんと大きくなったら怖いだろうなっていう例のイメージ)
デパスを飲んで、入試過去問を腹這いでやっていた。
親へ新米を届けるのは今日はやめとこ。
先日親の会に久々出かけて、いただいてきた資料なども読んでみた。
「ある自己」と「する自己」ってのがあって、ぼんやり自分はどうだろうなとか考えていた。
解釈が違うかも知れないが、「ある自己」とは、ありのままの自分、生きてるそのままの自分である。何かをやっているとか何かに属しているとか無関係の自己。
「する自己」とは、何かをしていたり(働いているとか、勉強しているとか)どこかに所属している自己。
「ある自己」を親も子供自身も認めてあげれば、不登校やひきこもりの人も楽になるのではないかというものだった。
自分はどうかなぁ・・・・・・・
「ある自己」だけではきっと肯定できない。
今はね、やっと百姓や地域の役員なんかも頑張ってるからこそ親の会にも顔を出せるんだと思うのね。
でも、いっぱいいっぱいな時もたくさんあるよ。
「する自己」しかきっと肯定できないのだなぁ僕は。
何もしてなかったら、鳴かず飛ばず働かずだったら僕は顔出せない、きっとね。あ、でも前も顔出してたか(苦笑)
「ある自己」かぁ・・・・
それを唯一受け入れてきたのはきっとこいけなんだろうね。
かっちゃんもIさんという共感者がいて、好き勝手なことしゃべれるんだろう。
何もしていない自分を認めてあげる・・・いいねそれ、でもそれは僕にはきっと無理だ。
一日ぐなんぐなんに働いてやっと少し自分に休みを与えてあげられる。
ま、それは言い過ぎかな。
大変だけど幸せを感じる時も多くなった。
毎日自分で採ったお米を食べ、カルガモの泳ぐ池を眺めて。
百姓ってカッコいい仕事だと思うもの。
鈴ちゃん?かな?
布問屋の奉公人かしら?。
ほれ、糸子のうるさい娘の子守させられてるあの娘。
子守できへんちゅうて泣いとったやろ?あの泣き方、もう日本中をおぉよちよちって気にさせるやろ?
あのこなぁ、まだ小さいけど美人だし、存在感すごいし、大物女優になりそうな予感がする。