窯焚き終盤になってようやく窯場にストーブが要らなくなってくる。今回は寒かったなぁ。
連房式登窯であれば火が窯の隙間から出ようとするぐらい炉圧も上がるし、輻射熱も有効に使えるように窯の形状も発達しているので、『大きな薪ストーブ』としては優秀である。反面、元々、窖窯(あながま)は引きが強い(空気流入量が多い)ので窯の周りに居ても寒い。窯の中が1000℃を超えていてもストーブを抱え込んで窯焚きするぐらい寒い。何だかなぁ……。
窯焚き中には『窯焚きの雰囲気』から感じる今回の窯詰めの推察・反省・期待などが綯い交ぜになった『想い』が心の中に充満してくる。
曰く「あの場所の棚組みが狭かった」「あそこはもっと高く出来た」「コロガシのアレはどうか?」とか色々。そういう期待やら不安を抱えつつ、ひたすら焚き続ける。
そして薪窯の場合(特に備前)は、その大きさも相まって悲喜交々。なにせ年1回ペースだからねぇ~。
でも考えてみると、年1回の製造ペースというものは、他にもある。
農家、造り酒屋など第一次産業に近い業態は概ねそんな感じかなぁ。
20年やってもたったの20回にしかならない。人ひとりの寿命から換算すると順調に出来たとして残りの生涯で経験出来る回数は限られる。
生涯で出来る事は、あまりにも少ないなぁ。
そんな色々な想いを抱えつつも、窯焚きのテクニカルな側面で一番気に掛けるのが『還元雰囲気』である。簡単には一酸化炭素、酸素量などのコントロールの事。
その目安のひとつとして観察するのが煙の出方。煙が多いと還元雰囲気はより強くなるし、少なければ酸化焼成へと近づく。
酸化焼成は「煙を出さず温度を上げる」のがポイント。
まぁ、『言うは易し』であるが。
窯の建屋よりも高い煙突は、窯焚きしている場所からは見えない。薪を入れる毎に建屋の外に出て確認するのは体力的にも即時性にも差し障りがある。
という事で、ウチの窯焚きの終盤には鏡が登場する。
煙の様子を見つつ、アクションと結果の関連付けを探る窯焚き。
「窯正面も鏡。煙突の後ろにも鏡」というセッティング。
『窖窯』という一度歴史から消えた(技術伝承の途絶えた)窯を使うヤキモノ屋は、個人の工夫を共有する事で技術的蓄積を作っている。
なので、横焚きするとその辺りの技術交換話。とヨタ話。
信頼するメンバーがあってこその話である。ありがたや。
さて、今回のセッションの結果は如何になりますやら。
連房式登窯であれば火が窯の隙間から出ようとするぐらい炉圧も上がるし、輻射熱も有効に使えるように窯の形状も発達しているので、『大きな薪ストーブ』としては優秀である。反面、元々、窖窯(あながま)は引きが強い(空気流入量が多い)ので窯の周りに居ても寒い。窯の中が1000℃を超えていてもストーブを抱え込んで窯焚きするぐらい寒い。何だかなぁ……。
窯焚き中には『窯焚きの雰囲気』から感じる今回の窯詰めの推察・反省・期待などが綯い交ぜになった『想い』が心の中に充満してくる。
曰く「あの場所の棚組みが狭かった」「あそこはもっと高く出来た」「コロガシのアレはどうか?」とか色々。そういう期待やら不安を抱えつつ、ひたすら焚き続ける。
そして薪窯の場合(特に備前)は、その大きさも相まって悲喜交々。なにせ年1回ペースだからねぇ~。
でも考えてみると、年1回の製造ペースというものは、他にもある。
農家、造り酒屋など第一次産業に近い業態は概ねそんな感じかなぁ。
20年やってもたったの20回にしかならない。人ひとりの寿命から換算すると順調に出来たとして残りの生涯で経験出来る回数は限られる。
生涯で出来る事は、あまりにも少ないなぁ。
そんな色々な想いを抱えつつも、窯焚きのテクニカルな側面で一番気に掛けるのが『還元雰囲気』である。簡単には一酸化炭素、酸素量などのコントロールの事。
その目安のひとつとして観察するのが煙の出方。煙が多いと還元雰囲気はより強くなるし、少なければ酸化焼成へと近づく。
酸化焼成は「煙を出さず温度を上げる」のがポイント。
まぁ、『言うは易し』であるが。
窯の建屋よりも高い煙突は、窯焚きしている場所からは見えない。薪を入れる毎に建屋の外に出て確認するのは体力的にも即時性にも差し障りがある。
という事で、ウチの窯焚きの終盤には鏡が登場する。
煙の様子を見つつ、アクションと結果の関連付けを探る窯焚き。
「窯正面も鏡。煙突の後ろにも鏡」というセッティング。
『窖窯』という一度歴史から消えた(技術伝承の途絶えた)窯を使うヤキモノ屋は、個人の工夫を共有する事で技術的蓄積を作っている。
なので、横焚きするとその辺りの技術交換話。とヨタ話。
信頼するメンバーがあってこその話である。ありがたや。
さて、今回のセッションの結果は如何になりますやら。