あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

私の愛聴盤 (第53回)

2014-12-12 | 私の愛聴盤
第53回はポール・ブレイの「ソロ・ピアノ」アルバムです。

ポール・ブレイ(Paul Bley、1932年11月10日 - ) カナダ、モントリオール出身

デビュー初期の1950年代は、バド・パウエルの影響からバップを演奏するも、その後は米国の大物ミュージシャン達との共演もあり、多彩な作品を数多くのレーベルに残しています。
この間、フリー・ミュージックといわれるアヴァンギャルド音楽や、シンセサイザーを取り入れた時期もありました。

これまでに録音されたものは100枚を越えますが、その中で、今回取り上げた2枚のソロ・ピアノは、いずれもシンプルな「音」と「間」を生かした絶妙な演奏となっています。

「OPEN, TO LOVE」 ECM 1023 ST
   
1. CLOSER
2. IDA LUPINO
3. STARTED
4. OPEN, TO LOVE
5. HARLEM
6. SEVEN
7. NOTHING EVER WAS, ANYWAY
PAUL BLAY(p)
録音 1972年9月11日

「ALONE AGAIN」 IMPROVISING ARTISTS INC 373840
   
1. OJOS DE GATO
2. BALLADE
3. AND NOW THE QUEEN
4. GLAD
5. LOVERS
6. DREAMS
7. EXPLANATIONS
PAUL BLAY(p)
録音 1974年8月8~9日

ポール・ブレイのソロ作品は、他にもスタンダードを取り上げたものもあります。
以下は「FILMS」という副題がついていますが、自身のオリジナル1曲を除いてスタンダードとなっているものばかりです。
「JAZZ ‘N(E) NOTION」 BMG 74321559342 (録音 1997年4月5日)
 
この中で、7、8曲目あたりは「アローン・アゲイン」の雰囲気に似たところもありますが、ソロ・アルバムとしては、最初に挙げた2枚が双璧をなす作品だと思います。

話を元に戻して、
最初のECM作品は、研ぎ澄まされた緊張感漂う演奏で、このレーベルの特徴でもあるクリアで、冷たい感じの音が、その雰囲気を一層際立たせています。
これに対しIAI作品は、自らのレーベルからのもので、和音構成や、ペダルの使い方も独特で、余裕さえ感じられます。
この2枚、評論家の人達の評価もまちまちですが、私自身、優劣つけがたいので、今回は2枚としました。


それから・・・
1999年6月に開催されたポール・ブレイのソロ・ピアノ・コンサート、
地元のドクターを中心としたジャズ・クラブが主催しました。
当時、このクラブに所属していた私は、チケット売りや、当日の会場設定も担当しました。
そのお陰で、リハも聴くことができました。
但し、このポールさん、一寸変わった人で、写真撮影はおろかサインもNGで、コンサートが終わるや否や、あっという間に用意された車に乗って去っていってしまいました。
よって、当日のことは記憶の中にしか残っていません。
当日のコンサートは、彼に個人レッスンを受けたことがある藤井郷子さんがゲストとして参加し、数曲でピアノ・デュオを披露しました。

 

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岸洋子が歌う1曲

2014-12-11 | 演歌・ポップス

岸 洋子(1935年3月27日 - 1992年12月11日) 本名 小山洋子
山形県酒田市出身

『夜明けのうた』『恋心』『希望』などヒット曲を連発する中、1970年に膠原病を発症。
その後膠原病の後遺症と闘いながら歌手活動を続けていたが、1992年12月11日57歳で逝去。

フリー百貨辞典より抜粋
「夜明けのうた」は、1964年に発売された岸洋子の代表曲の一つとして知られており、岸は本楽曲で第6回日本レコード大賞の歌唱賞を、岩谷時子は作詩賞をそれぞれ受賞した。
岸はそれまでシャンソンなどのヨーロッパの歌を主に歌っていたが、コンサートのために新たに日本の歌が求められたため、本楽曲が急遽用意された。
翌1965年には、本楽曲を映画化した同名の歌謡映画が浅丘ルリ子の主演により日活から公開され、岸の歌唱によるものが主題歌として使用された。


「夜明けのうた」 キングレコード BS-7044
作詞 岩谷時子 作・編曲 いずみたく
  

元々は1963年に日本テレビ系列で放送された坂本九主演の連続ドラマ「ぼうや」の主題歌として坂本が歌っており、翌1964年10月には坂本のシングルとして発売された。
なお、坂本のシングルのタイトルは「夜明けの唄」と表記されている。
坂本の「夜明けの唄」は働く少年を勇気づける歌だった。
しかし、岸洋子が坂本版において「僕」という歌詞で歌われていた部分を「あたし」と置き換えて歌ったことによって、坂本による勤労少年の歌が格調高いラブソングに変わった。

競作になったこの歌は、岸洋子盤が特にヒットしたこともあり、一般的には岸洋子のオリジナル楽曲として認知されている。


坂本九が歌う「夜明けの唄」も聴いてみたいです。

コメント (2)
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トミ・フラのハロルド・アーレン集

2014-12-09 | JAZZ
トミー・フラナガン・トリオが演奏している「ハロルド・アーレン」集です。

このアルバム、
素材(曲)が良いし、洗練されて流れるようなフレーズを弾くトミ・フラが素敵です。
正確なリズムを刻むジョージ・ムラーツのベース、それにMJQの時より張り切っているように思えるコニー・ケイのドラミング(ブラシ)、
夜更けに小さい音で聴いても、十分満足できます。

「TOMMY FLANAGAN PLAYS THE MUSIC OF HAROLD ARLEN」 DIW-328

1. BETWEEN THE DEVIL AND THE DEEP BLUE SEA
2. OVER THE RAINBOW
3. SLEEPIN’ BEE
4. ILL WIND
5. OUT OF THIS WORLD
6. ONE FOR MY BABY
7. GET HAPPY
8. MY SHINING HOUR
9. LAST NIGHT WHEN WE WERE YOUNG(*)
TOMMY FLANAGAN(p) GEORGE MRAZ(b) CONNY KAY(ds)
HELLEN MERRILL(vo)*
録音 1978年 NY

このプロデューサーは、ジャズ・ヴォーカリストのヘレン・メリルで、最後の1曲でトミ・フラのピアノをバックに歌を披露しています。

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武蔵野うどん

2014-12-08 | グルメ
吉田のうどんも良いけど、「武蔵野うどん」もね!

フリー百科事典から抜粋
武蔵野うどんとは、東京都多摩地域と埼玉県西部(かつての武蔵国の入間郡と多摩郡)に伝わるうどんのことである。
「手打ちうどん」とも呼ばれる。

武蔵野とは、多摩川と荒川に挟まれた武蔵野台地の呼称であり、多摩地域の北西部から埼玉県川越市を北限とする洪積台地の地理的呼称である。
しかし、「武蔵野うどん」の特徴を備えたものは、武蔵野とは言えない荒川以東の埼玉県北本市や加須市・熊谷市、比企郡などの埼玉県の平野部全体に見られ、それらの武蔵野以外の地方でも近年、「武蔵野うどんの店」と称する例が見られるようになった。
「武蔵野うどん」という名称は伝統的な名称ではなく、実際に食されている地域を考慮せずに後から付けられたものである。

多摩地域から埼玉県入間郡にまたがる武蔵野台地は、関東ローム層に覆われており、浸水量が降雨量を上回るのが通常であり、水田を使用する米より良質な小麦の生産が盛んであった。
こうしたことから、うどんが多く食べられなど小麦主食の文化地帯となっており、各家庭でうどんを打つ習慣があった。

もともと郷土料理であるため、使用される小麦粉は武蔵野台地で生産されたものを使用する事が原則(地産地消)である。
麺は、一般的なうどんよりも太く、色はやや茶色がかっている。
加水率は低く塩分は高めである。コシがかなり強く、食感は力強い物でゴツゴツしている(つるりとはしていない)。
食するときには麺は、ざるに盛って「ざるうどん」もしくは「もりうどん」とする。
つけ麺の汁は、かつおだしを主とした強い味で甘みがある。
シイタケ、ゴマなどを具として混ぜたものを、温かいまま茶碗ないしそれに近い大きさの器に盛る。
ねぎや油揚げなどの薬味を好みで混ぜ、汁をうどんにからませて食べる。
豚肉の細切れを具にしたメニューの「肉汁うどん」などは明治時代中期以降の食べ方で、商業化された「武蔵野うどん」の店舗では「肉汁うどん」「きのこ汁うどん」が「武蔵野うどん」であるかのように近年売り出しているが、「武蔵野うどん」とは武蔵野地方で「手打ちうどん」と呼ばれるコシの強いうどんの麺を指す用語である。
天ぷらうどんのような食べ方は元々なく、「糧(かて)」と呼ばれる具(主に茹でた野菜)が付く程度である。

讃岐うどんが地元企業によって全国に宣伝して町おこしの素材としているのに対して、『武蔵野うどん』は、あくまで荒川以西の西埼玉と多摩川以北の多摩地域の郷土料理である。
劣化が早く、すぐに茹でるものであり、茹でた後の保存に向かないこともその一因としてある。


武蔵野地方の手打ちうどんでではないですが、
「武蔵野うどん」という看板のうどん、近所で食べることができます。
 

普通盛りも、大盛りも同じ料金というのがウレシイです。
いただくのは当然大盛りで、麵はシコシコ、つけ汁も美味しいです。
 

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吉田のうどん (番外編3)

2014-12-07 | 吉田のうどん
吉田のうどんの番外編です。

富士吉田市に行ったら、何時もお昼は「吉田のうどん」を食べようと心掛けています。
先日も、何時ものように昼時に市内に出かけましたが、その日に限って「うどんマップ」を持っていなかったため、着いたお店はあいにくの定休日でした。
そこで何処でもいいから「うどん、うどん」と探したところ、居酒屋さんが昼時にランチをやっていて「うどん」もあるとのことでした。
  

そのお店は「魚くぼ」で、早速入ってうどんを注文すると・・・
「うちは吉田のうどんではないけど良いかい? 少し時間も掛かるけど」・・・
それでも良いですとお願いしたところ、
隣にいた客人が、「うどんを食いたきゃぁ、他の店にいきゃぁいいのに」と、一言囁いて、こちらをじろ~りと・・・
そこはじ~と堪えて、待つこと凡そ10分、
見た目は何の変哲もありませんが、しっかりした醤油味の美味しいうどんでした。



それなら「吉田のうどん玉」を買って家に帰って食べてみようと、
ある伝手でこれを入手し、途中の肉屋さんで「桜肉(馬肉)」も仕入れて、急いで帰宅し、早速いただきました。
  

甘辛く煮付けた馬肉、キャベツ、油揚げもトッピングし、スープは昆布と鰹節で出汁をとり、醤油仕立てで、
これぞ究極の「吉田のうどん」です。


もう一つは「つけうどん」とし、豚肉、キノコ、油揚げ、人参と、つけ汁は同じく昆布と鰹節で出汁をとりました。


しっかりした歯ごたえのあるうどんなので、どちらも美味しかったです.
つけうどんは、近所で時々食べる「武蔵野うどん」のようでもありました。

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シナ・トラオさんの自作自演曲

2014-12-05 | 演歌・ポップス
シナ・トラオさん、ご存知ですか?
実はバーブ佐竹のペン・ネームです。
バーブ 佐竹(1935年2月7日 - 2003年12月5日)北海道釧路市出身 (本名 佐武 豊/さたけ ゆたか)

その彼自身が作曲し、自ら歌った曲があります。
発売当時、よく聴いた歌の中の1曲です。

「星が云ったよ」 キングレコード BS-637 1967年発売
作詞 長沢ロー 作曲 シナ・トラオ(バーブ佐竹) 編曲 森岡賢一郎
  

彼の歌は、低音の魅力があり、サラリと歌っているようですが、カラオケで歌うと意外と難しいです。

フリー百科事典より抜粋
B面「青いゴムゾーリ」は、1980年代にTBSラジオの「コサキン」等、ラジオの深夜番組で紹介され、フジテレビ「笑っていいとも!」で放送されたのを機に、歌番組やテレビ朝日「徹子の部屋」への本人の出演、レコードの再発など、一部で話題になった。
芸名は、本名の「佐武」を「さぶ」と読み間違えられることが多かったため、正しい読みの「さたけ」に「竹」を充て、竹を英訳した「バンブー (bamboo)」から「バーブ」を冠したものである。


[来歴・人物]
22歳の時、歌手を志して上京。
流しのギター弾き・ナイトクラブの専属歌手など長い下積み生活を経て、1964年(昭和39年)12月、『女心の唄』でレコードデビュー。
250万枚を超える大ヒットとなり、翌1965年の第7回日本レコード大賞新人賞を受賞。
NHK紅白歌合戦にも同年から4年連続で出場した。
独特の低音の歌声は「バーブ節」と呼ばれ、その後も『ネオン川』、『カクテル小唄』などがヒット。
また、「顔じゃないよ、心だよ」のキャッチフレーズは流行語となり、牧伸二、菅原洋一らと「モスラ会」を結成して話題になったこともある。
1970年代に「バーブ佐竹は淡谷のり子とディック・ミネの間に出来た子」というブラックジョークが流れ、本気にした週刊誌記者が淡谷、ディックのもとに取材にきたことがある。

2003年(平成15年)12月5日、多臓器不全により死去した。満68歳没。


以下は、1964年、66年のいずれも同じ雰囲気を持ったヒット曲です。
「女心の唄」 キングレコード BS-136
作詞 山北由希夫 作曲 吉田矢健治 編曲 白石十四男
  

「ネオン川」 キングレコード BS-481
作詞 横井 弘 作・編曲 佐伯としを 
  


「ネオン川」の琴奏者に宮本幸子、白根きぬ子の名前がありました。
ついでといっては何ですが・・・
このお二人は、1965年10月、白木秀雄クインテットがベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演した際、白木のバンドに同行し、「さくらさくら」で見事な演奏を繰り広げています。
以下はその直後にスタジオ録音されたものです。
 

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2014年の富士山(12月)

2014-12-02 | 富士山
2014年12月2日(火)の富士山です。

昨日の雨も上がって好天となり、富士吉田市内に入ったところで、お山が全景を現しました。
そこで、早速カメラを取り出して、車内から「パチリ」
少し電線が邪魔ですが、それには目をつぶって・・・
   

午前6時45分、何時もの場所からの富士山は、前回(11月23日)より、更に雪が多くなっていました。


今日は、ここから少し車で行き、違った角度からもう1枚、
   

午後4時45分、もう一度元の場所に戻って、
  

夕方は、少し雲が掛ってしまいましたが、やはり雄大です。

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エドワード・ヴェサラの「NANA」

2014-12-01 | JAZZ
続いては、フィンランドを代表するミュージシャンの一人であるエドワード・ヴェサラのアルバムです。
先のトマシュ・スタンコ・カルテットでドラムスを担当していました。(2人の共演盤は5枚あります)

EDWARD VESARA (1945年2月15日 - 1999年12月4日)
ヘルシンキのシベリウス音楽院で打楽器を学び、セッション・ドラマーとして活動する中で、実験的且つ叙情的な独自のスタイルを編み出し、多くのジャズ・ミュージシャンと共演しています。
70年代以降、ECMレーベルにもノルウェーのヤン・ガルバレクや、ポーランドのトマシュ・スタンコとの作品があります。
初レコーディングは69年の「SOUL SET」バンドでの「Nykysuomalaista:Contemporary Finish」(Finnlevy SFLP9501)ですが、その翌年、ユアニ・アルトーネンと、アリルド・アンデルセンとのトリオ作が国内外で注目されました。(以下のアルバム)
実はこのレコード、当時はヴェサラのことを全く知らずジャケットの珍しさで購入していました。
(レーベル記載の名前は、なぜか EDWARD VESALAN となっていますが、ミスプリでしょうか?)

「NANA」 BLUE MASTER BLU-LP 125
   
1. ALHAMBRA MOOD
2. NANA
3. JOIKU
4. MY B
5. GAMMA
6. FILL IN
7. ALBATROS
EDWARD VESALA(ds) JUHANI AALTONEN(ts) ARILD ANDERSEN(b)
録音 1970年8月25日

1曲目の「アルハンブラ・ムード」、
ギターの演奏かと錯覚させるようなアンデルセンのベース・ソロで始まり、バックではヴェサラが小道具でカシャ・カシャと・・・
続いて登場するアルトーネンのサックスはビブラートを利かせて、情感たっぷりに歌い上げています。
2曲目のタイトル曲「ナナ」、
アルトーネンのサックスは2つの音を同時に出し・・・、これって過去にコルトレーンが演っていましたよね。
そして、アンデルセンはボーイングで・・・、
その2人をヴェサラが鼓舞しています。
飛んで5曲目の「ガンマ」、
ヴェサラを中心とした3人のフリーな演奏のおよそ6分間、テーマらしきものは見当たりません。
続いて6曲目の「フィル・イン」は、短いヴェサラのソロで、
最後の「アルバトロス」は完全に後期のコルトレーン・トリオになっています。

今、こうして聴きなおしてみて、依然米国の影響を受けながらも、独自の「音造り」を目指していたことが分かる1枚です。
このレコード、ジャケットも素晴らしいし、私の愛聴盤の1枚でもあります。



続いて下記のレコード、
ヴェサラは参加していませんが、「NANA」のベーシストとサックス奏者の2人が参加しています。

「ARILD ANDERSEN / SHIMRI」 ECM 1082
  
1. SHIMRI
2. NO TEARS
3. WAYS OF DAYS
4. WOOD SONG
5. VAGGVISA FOR HANNA
6. DEDICATION
ARILD ANDERSEN(b) JUHANI AALTONEN(ts, ss, fl, prec)
LARS JANSSON(p) PAL THOWSEN(ds, perc)
録音 1976年10月

こちらは「NANA」の録音から6年後の演奏ですが、
ECM録音のせいか、はたまたラーシュ・ヤンソンのピアノが加わったためなのか分かりませんが、演奏内容は全く異なり、エッジが取れて耳障りの良い「ECMサウンド」になっています。(・・・なってしまいました)
テナー・サックスとベースは、「NANA」の時に比べると牙を抜かれた猛獣のようです。
アルトーネンは3曲(3, 4, 5)でフルートを、2.でソプラノ・サックスを吹いています。
この人、以前はフルートも強烈な音でしたが、ここではまるで「別人28号」です。
その中で、4曲目の「WOOD SONG」では幻想的な演奏を披露しています。

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