シナ・トラオさん、ご存知ですか?
実はバーブ佐竹のペン・ネームです。
バーブ 佐竹(1935年2月7日 - 2003年12月5日)北海道釧路市出身 (本名 佐武 豊/さたけ ゆたか)
その彼自身が作曲し、自ら歌った曲があります。
発売当時、よく聴いた歌の中の1曲です。
「星が云ったよ」 キングレコード BS-637 1967年発売
作詞 長沢ロー 作曲 シナ・トラオ(バーブ佐竹) 編曲 森岡賢一郎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3a/3b/246594234d33ad2220efd9b8a0c5168c_s.jpg)
彼の歌は、低音の魅力があり、サラリと歌っているようですが、カラオケで歌うと意外と難しいです。
フリー百科事典より抜粋
B面「青いゴムゾーリ」は、1980年代にTBSラジオの「コサキン」等、ラジオの深夜番組で紹介され、フジテレビ「笑っていいとも!」で放送されたのを機に、歌番組やテレビ朝日「徹子の部屋」への本人の出演、レコードの再発など、一部で話題になった。
芸名は、本名の「佐武」を「さぶ」と読み間違えられることが多かったため、正しい読みの「さたけ」に「竹」を充て、竹を英訳した「バンブー (bamboo)」から「バーブ」を冠したものである。
[来歴・人物]
22歳の時、歌手を志して上京。
流しのギター弾き・ナイトクラブの専属歌手など長い下積み生活を経て、1964年(昭和39年)12月、『女心の唄』でレコードデビュー。
250万枚を超える大ヒットとなり、翌1965年の第7回日本レコード大賞新人賞を受賞。
NHK紅白歌合戦にも同年から4年連続で出場した。
独特の低音の歌声は「バーブ節」と呼ばれ、その後も『ネオン川』、『カクテル小唄』などがヒット。
また、「顔じゃないよ、心だよ」のキャッチフレーズは流行語となり、牧伸二、菅原洋一らと「モスラ会」を結成して話題になったこともある。
1970年代に「バーブ佐竹は淡谷のり子とディック・ミネの間に出来た子」というブラックジョークが流れ、本気にした週刊誌記者が淡谷、ディックのもとに取材にきたことがある。
2003年(平成15年)12月5日、多臓器不全により死去した。満68歳没。
以下は、1964年、66年のいずれも同じ雰囲気を持ったヒット曲です。
「女心の唄」 キングレコード BS-136
作詞 山北由希夫 作曲 吉田矢健治 編曲 白石十四男
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4c/29/9c89bc50da9b682801c42929f503c395_s.jpg)
「ネオン川」 キングレコード BS-481
作詞 横井 弘 作・編曲 佐伯としを
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/14/d4/03e28673ec76fe2d23bf784e48f49c46_s.jpg)
「ネオン川」の琴奏者に宮本幸子、白根きぬ子の名前がありました。
ついでといっては何ですが・・・
このお二人は、1965年10月、白木秀雄クインテットがベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演した際、白木のバンドに同行し、「さくらさくら」で見事な演奏を繰り広げています。
以下はその直後にスタジオ録音されたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0a/a9/5d557f530c6e7b020785fc35c8f63246_s.jpg)
実はバーブ佐竹のペン・ネームです。
バーブ 佐竹(1935年2月7日 - 2003年12月5日)北海道釧路市出身 (本名 佐武 豊/さたけ ゆたか)
その彼自身が作曲し、自ら歌った曲があります。
発売当時、よく聴いた歌の中の1曲です。
「星が云ったよ」 キングレコード BS-637 1967年発売
作詞 長沢ロー 作曲 シナ・トラオ(バーブ佐竹) 編曲 森岡賢一郎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/60/39/c9a1fed24c904a3bcdd63c733692540c_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/c7/7c03e00cf34f0210b11ae6027baaac38_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3a/3b/246594234d33ad2220efd9b8a0c5168c_s.jpg)
彼の歌は、低音の魅力があり、サラリと歌っているようですが、カラオケで歌うと意外と難しいです。
フリー百科事典より抜粋
B面「青いゴムゾーリ」は、1980年代にTBSラジオの「コサキン」等、ラジオの深夜番組で紹介され、フジテレビ「笑っていいとも!」で放送されたのを機に、歌番組やテレビ朝日「徹子の部屋」への本人の出演、レコードの再発など、一部で話題になった。
芸名は、本名の「佐武」を「さぶ」と読み間違えられることが多かったため、正しい読みの「さたけ」に「竹」を充て、竹を英訳した「バンブー (bamboo)」から「バーブ」を冠したものである。
[来歴・人物]
22歳の時、歌手を志して上京。
流しのギター弾き・ナイトクラブの専属歌手など長い下積み生活を経て、1964年(昭和39年)12月、『女心の唄』でレコードデビュー。
250万枚を超える大ヒットとなり、翌1965年の第7回日本レコード大賞新人賞を受賞。
NHK紅白歌合戦にも同年から4年連続で出場した。
独特の低音の歌声は「バーブ節」と呼ばれ、その後も『ネオン川』、『カクテル小唄』などがヒット。
また、「顔じゃないよ、心だよ」のキャッチフレーズは流行語となり、牧伸二、菅原洋一らと「モスラ会」を結成して話題になったこともある。
1970年代に「バーブ佐竹は淡谷のり子とディック・ミネの間に出来た子」というブラックジョークが流れ、本気にした週刊誌記者が淡谷、ディックのもとに取材にきたことがある。
2003年(平成15年)12月5日、多臓器不全により死去した。満68歳没。
以下は、1964年、66年のいずれも同じ雰囲気を持ったヒット曲です。
「女心の唄」 キングレコード BS-136
作詞 山北由希夫 作曲 吉田矢健治 編曲 白石十四男
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/29/2c/d206654cfd63bdc38148d442c749bcda_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/07/21/5e949cf534042fe94d62e374f7978169_s.jpg)
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「ネオン川」 キングレコード BS-481
作詞 横井 弘 作・編曲 佐伯としを
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/03/3d/0ae2c75f42d7eab8c224f631c9da84db_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/06/1a/8784e6c382f01147aa88cfbc96ce1c16_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/14/d4/03e28673ec76fe2d23bf784e48f49c46_s.jpg)
「ネオン川」の琴奏者に宮本幸子、白根きぬ子の名前がありました。
ついでといっては何ですが・・・
このお二人は、1965年10月、白木秀雄クインテットがベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演した際、白木のバンドに同行し、「さくらさくら」で見事な演奏を繰り広げています。
以下はその直後にスタジオ録音されたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/a7/45da1c0aa32572f99832c7f6a6cb459b_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0a/a9/5d557f530c6e7b020785fc35c8f63246_s.jpg)