まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

以前の会社ではいつもお世話になってまして

2019年11月20日 | Weblog

とおっしゃったのは、会社のご近所のお寿司屋さんだそうで。

昨日の個人ミーティングの時に、相方が、そんな話を切り出した。

どこかでお昼でも、ということで、そのお店にたまたま、入った。

そうで。

女性が握っていて、店内は、まさに、山ガール感漂いの写真が張り巡らされ、と。

そのお母様が、表題のような話だった、というんだね。

僕らが引っ越してくる前の会社さんの名前を出して、というわけだ。

さらに、あたしは、と。

このブログでは、ご近所の賢人、としてご紹介している方、会社のお隣さんなんだけど。

その家からこちらのお寿司屋さんへ嫁に来た、というんだね。

そう言えば、その賢人、若かりし頃は、冬の富士山なんかへも登ったというから、山ガールの寿司職人さんは。

きっと、その姪っ子、ということになるな、なんて勝手に話は膨らんでいったのでした。

ことほどさように、ご縁というものは、凄まじいものがあるかもですね、なんてことごとが。

個人ミーティングの主題にもなり、楽しい時を過ごしたわけだ。

テレビ、SNSのない時代には、そこここで、そんなご縁の確認、驚き、安心、みたいなことが繰り返され。

寝物語であったり、夕餉の楽しい話題を提供であったり、なんてことが、あったんだろうね。

縁に縛られた、とも表現できる時代は、そりゃ、鬱陶しいことの数々、この上なし。

なんてこともあっただろうし、だいたい、象徴的に語られるのが。

嫁姑だよね。

外へ出張っている男は暢気なもので、縁は大切じゃ、くらいのことを豪語しまくり。

縁尋機妙(えんじんきみょう)多逢聖因(たほうしょういん)。

【良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は誠に妙なるものがある

いい人に交わっていると良い結果に恵まれる】

なんて言って、酒でも飲みながら大言壮語、なんて書くと、叱られちゃいそうだけどさ。

ま、いずれ、そんな構造ですね、きっと。

と書きつつ、SNS真っ盛りのこの時代、バーチャルのご縁にご縁を重ね、なんてことになると。

ひょっとしたら、だけど、この肉体を持たない世界と同じような仕儀に擦り変わるかもね。

以心伝心なんて言い方あるけど、思いは瞬時に届く、なんて話ね、その延長線上で。

そのうち、こめかみあたりにペタッと貼ると、肉体を持ちながらの、以心伝心のリアル版。

なんてね。

さて、妄想はこのくらいにしておきますか。


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まわりで起こっていること

2019年11月19日 | Weblog

今朝の表題は、ベタだな。

なにについて書こうか、なんて考えていたら、浮かんだのでした。

それにしても、長いね、毎朝。

since 2004、とかとたしかあったから、15年?

人からは、むしろ、母親からか、あんたは飽きっぽい、という託宣をいただいて育ったので。

今でも、僕の中に残されているフレーズで、いちいち、前フリに使っている。

曰く、もう8年か、瞑想続いているんだよ、飽きっぽい僕なのに、とかね。

そもそも、それって、ほんとのことなのかどうなのか、ってわけだ。

最近のマイブームで言えば、わが細胞に刻印された言葉、くらいの話になるな。

なんて言葉、価値観、考え方、感じ方、なんてのは、各人各様に数え切れないくらいにあるんだろう。

と思うね。

それを持って、まわりで起こっていることを切り取り、なんらかの表現をし、と。

なんてことを、一つ一つ、改めて見直してみると、そこかしこに噴飯ものの思い込み、ってのが。

たぶん、現れるはずで。

そんなことに血道を上げるのも、なんだかな〜、とも言えるけど、それによっての解放、なんてのが。

訪れる可能性あり、ってわけだ。

まさに、血道をあげる、とは、血流がよくなり、とも言えるけど、うつつを抜かす、なんて言い方と同義だ、とあった。

ま、どっちでもいいか。

いずれにしても、知らぬ間に全身全霊もて、そのことに携わる、取り組む、ということだね。

そう、飽きっぽい、ね、角度を変えれば、それだけ、関心の幅が広い、とも言えて。

ことほど左様に、言葉、見立てに対する表現というものの奥深さ、と。

あるいは、恐ろしさ、か。

いずれにしても、長く続いているブログ書き+瞑想、ここのところで言えば、骨ストレッチ。

ルーティンとしては、なかなかのものだよね。

瞑想に関しては、朝も早よからの仕儀で、これは、当たり前だけど、早起きせざるを得ず、ということで。

一日の切り取り方、迎え方が、つまり、一日を創造するか、一日によって創造されちゃうか、の。

運命の分かれ道、って次第で。

このあたりは、気に入ってるところでもあるんだよね。

というわけで、今日を迎え、天地創造ならぬ今日創造、ってことで。

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「月の砂漠」と今日もいい天気!が出た。

2019年11月18日 | Weblog

のは、柿三昧に向かう車中、母親の口から表題のような歌が出始め。

一同、今日は、調子がいいね、と言いつつ、天晴れの空の下、一路、柿街道へ。

と言うのが、昨日のおじおば会の、朝の一筆書き。

柿をコラショっていうくらい買い込み、ついでに、熟したやつをおまけに、って具合に。

その後、いつもの、さくめ駅前の「さくめ」さんでうなぎ。

というほぼ、定番のコースで。

道中は、喜びにあふれ、という表現が大げさでないくらいのもので。

即位のパレード前夜祭での、嵐の歌を思い出すくらいだったのでした。

君が笑えば世界が輝く、から始まるやつね。

あれは、いい詩だな、と。

誰かの幸せが今を照らす、とかさ。

定番の「さくめ」さんでは、恒例の、カレンダーをいただき、悪いね、遠くから、なんて大将の言葉と。

二人目は目が離せなくて、という息子の嫁さんの声を後にして。

さて、だったんだけど、周りが暗くなるにつれて、わが母親の風向きも急変し。

あたしはどこにいる、というのか、どこへ連れてかれるんだ、なんて具合になり。

おばたちにも妹にも、あんた、だれ?みたいな、ね。

これらの様を眺めながら、どういう糸のつながりになってしまうのか。

ほんとに、ヒトの、心というのか、マインドというのか、自我というのか、なんて表現できるのかわからないけど。

それらの存在の仕方、外への表出の仕方などなどについて、深い想いになったわけだ。

もちろん、なんらかの刺激で、そのモードは、また、急変し、というのは。

経験、体験済みなので、帰宅後の、夕餉時の、もういくつ寝たらお正月、という時間に入りこむ。

ということに、結果は、なったのでしたが。

つまり、お年玉の用意をしなきゃ、とか、お餅はついたかね、とかね。

いわゆる認知症と呼ばれる母親を眺めつつ、ヒトとしての存在の仕方、なんてことを。

深く深く、沈思黙考、の空気になったのだけど。

それでも、そうしてリアルに、目の前に、生きてあることを、わが母親の棺を閉じた後は。

懐かしくも思い出す、となるのか、リアルに、肉体は存在していないけど、意識の中には。

記憶の中には、いつまでも残されているわけで、というのも。

前日の夕餉時、ご近所の誰それさんは元気かね、みたいな問いかけに。

もちろん、その方は、とうの昔にこの世からはおさらばしているのだけど、こちらは。

深くうなづき、今でも存命であることを伝えて、となると、母親の中では、その方は、存命中なわけで。

となると、存命、非存命の分け目は何か、ってなことになるよね。

今朝は、やけに筆が進み、1200文字を超えたな。

 

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油食わない車乗っちゃ、ダメでしょ!

2019年11月17日 | Weblog

久々に会った油屋の大将に、思わずかけたのが上記のフレーズで。

彼、赤いプリウス、乗ってたからね。

どうしたの?ってなもんで。

なにせ、油を売るのが商売だから、世の、省エネとかEVとかの流れに、ずっと前。

苦虫をかみつぶしたような、そんなだったからね。

レクサスを乗り回していたのに、ってわけだ。

ポツリと、家で車を取り上げられた、なんて言ってたけど、ほんとかな。

それも今流行りだよね、と言うか、若い世代からしたら、そりゃ、当たり前でしょ的な。

娘なんかとの会話では、そんな雰囲気漂い、だからね。

そんな時代の波を感じつつの油屋の大将との遭遇で。

今から、組合の仕事で、港へ行くんだ、と息巻いていた。

ベトナムからの留学生、研修生の受け入れの事業、やってるんだけどね。

もう200人になったぞ、なんてね。

そのうち、わが社もお世話になるかもしれないな、と今、浮かんできた。

僕より10年年長の彼とは長い付き合いだからね。

元氣で何より、だ。

昨日は、やってきたトラックのお祓いを近くの神社、わが神棚の榊を切ってくださった宮司さんのもとで。

していただき。

なにせ、2tのトラックには、わが若者たちは乗れない、って免許の仕組みで、と言うことで。

1.5tのに変えたわけだ。

これで、彼ら、心置きなく仕事ができる、ってもくろみだな。

今日は、おじおば会。

妹も帰ってきて、夕べは、長男坊も泊まり、夕餉は賑やかだった。

僕は、前日、遅くまで飲みすぎて、9時前には寝たんだけど、遅くまで盛り上がったのかな。

寝て起きると、と言うか、途中、3枚、着替えたんだよね、寝汗。

熟睡できてるの?ってなもんですが、どのみち、レム、ノンレムだっけ、睡眠の深さを測る尺度。

あれだって、ずっと深い眠り、ってことでもないんで、わがミトコンドリアくんが。

うまい具合に、深い眠り以外の時に寝汗に気づかせてくれる、って算段だろう、と思っている。

肝心なのは、横になっていること。

つまり、重力から骨を解放させてあげる、と言うことが大事なんだろうと思うんだな。

今朝は、昨日サボった骨ストレッチから入り、いい具合のルーティンだ。

たぶん、今日は、柿だ。

山の上にお花のように咲き誇る柿、って絵柄を、再び、ってわけだ。

 

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温飲食、続けてます。

2019年11月16日 | Weblog

が、夕べは、二次会でワインのお店に。

となると、温かい飲み物、というわけにもいかず、だったな。

なかなか、難しいな。

日本酒も、しぼりたて、なんてのは、温めたら香りが逃げちゃう、みたいなね。

もちろん、健康、ってのは、大事なことだけど、むしろ、その向こう側にある、ミトコンドリアとの対話。

って具合なんだけどね。

ホッカイロを貼っているのも、そうだし、口呼吸を極力制限し、というのも。

骨休め、もそうだな。

生命のともしび、なんて言い方あるけれど、その根元の、ここで言えば、ミトコンドリアとの共生。

とでも言えるか、そんな感じです。

不思議な不思議な生命というものの、目に見えないエネルギーの大元が、ミトコンドリアの。

内呼吸、鼻から取り入れた酸素を、回り回って、ミトコンドリアが消費し、ってやつね。

そんな仮説、を現在の僕は取り入れている、って具合だな。

人口が減る、とか、記録的な災害、とか、独裁勢力の台頭、とか、どうもそんな具合に未来を切り取る。

なんて話が、よく出てくるんだけど。

そんな中で、そもそも、それらのことをそのように認識している主体ってのは、なんだっけ?

くらいの話だな。

その主体がいなくなれば、それらの出来事も、どこにも存在せず、ってね。

それぞれがそれぞれのストーリーの中で、好きな、というのか、目についた出来事を誰かに喋り。

SNSにアップし、あたかもそれが現実のことであるかのような、お墨付きを与え、と。

なんてことの中で、その根っこのところで、村の鍛冶屋みたいに、エネルギーを作り続けている。

ま、わがミトコンドリア、ってわけだ。

温飲食、ってのも、どうやら、そのミトコンドリアが活動するのに一番、負荷のかからない温度状態を。

こちらが提供する、って算段で。

資本主義がどうとか、新自由主義が、とか言うけれど、それらのことって、絵空事、絵に描いた餅、みたいなもので。

誰も、目にしたことがなく言葉に定着しているだけの話でね。

そろそろ、そういった具合の認識の仕方、と言うのか、物事をキャッチする仕方、と言うのか、そんなことごとから。

自由になっちゃう方が面白そうだ、って立ち位置だな。

なので、思いっきりミトコンドリアに行っちゃってる、って具合で。

とか、月の影響による潮の満ち引き、みたいなこともね。

合わせ技、一本、って。

さて、今日を迎えに行くとするか。

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脳は年齢とともに

2019年11月15日 | Weblog

今朝の表題の後に続くのが。

活動のレベルを徐々に高めていき、と聞くと、オヤって思うでしょ。

さらに続けて。

さらにもっとMAXまで高まった結果が「認知症」である、とアメリカの学会だったか。

で発表された、というんだね。

脳に氣が昇りすぎアドレナリン中毒になる、ってことらしい。

真偽のほどはわかりませんが。

まったくね、いろんな言説がそこかしこでばら撒かれ、って状況なんだけど。

それとか、細胞に意識がある、って話ね。

しかも、前世であったり、胎内であったり、そういう頃の記憶が重層的に残されていて。

とね。

記憶違いで現在に現れ、みたいな言い方ね。

そんな話に、昨日は出会い、これまた、途方もない話ではあって、と書きつつ。

エネルギー治療を実践されている、元整形外科医、いや、今でもそういう看板を掲げているのか。

紀州にお住いの坂井先生も、その師匠格の西原克成さんも、著書では、述べているな。

くだんの方、元競輪選手で、インターネットを介した対面の話をお聞きしたんだけどね。

とにかく、ここのところ、目には見えないエネルギー、ってのの虜になっちゃっているので。

そんな情報が、集まってくるわけだ、人は自分の好むものしか受け取らない、だっけ。

それはともかく、表題だ。

認知症が驚くばかりの数なんでしょ、世間を賑わす、大きな事故なんかにも現れているよね。

わが母親も、そんな具合に診断されているんだけど、ね。

このことについて書きたいと思いつつ、なかなかうまく筆がすすまない。

今日は、これから掛川。

同友会のフォーラムがあり、その前に理事会があるので、早めに出かけることになる。

ので、認知症と脳の活動レベルの話が、to be continuedということで。

 

訂正というか追伸

掲載紙は、ネイチャーだそうです。

趣旨は、「脳の活動が高いと短命になる」ということのようです。

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ありがとうございます。

2019年11月14日 | Weblog

今朝の表題は、いきなりな、って感じだけど。

わが社の女性社員さん、嵐の大ファンで。

この間の、即位のパレード前夜祭とでもいうのか、そこでの嵐の歌、歌詞がね、よかったんで。

その通りに伝えたら、表題だった。

ファンを代表して、というわけだ。

ファン気質、ってのは、まったくわからないけど、思わず苦笑?微笑?

ま、どちらかといえば、微笑ましく笑う、って感じだな。

今晩から明日の夜明けにかけて、大嘗祭の儀式が行われるそうで。

その前々日、全国一斉に各神社で、お祓いが行われた。

らしい。

ので、僕もご相伴に、というわけでもないけど、近くの稲荷神社へ行ってきた。

ということは書いたかな?

物忘れ、というテーマで、昨日の午後、ある御仁とお茶をしたので、つい、こんな書き方になっちゃって。

彼、少々、記憶の保持の仕方、というのか、使い方、あるいは、出し方、そんなところが不如意で。

そのお茶の時間設定も、もう一人の相方が骨を折ってくれたんだけど、ね。

30分遅れ、なので、相方が電話したら、家にいます、ということだったらしく。

早い話が、忘れてました、ってわけだ。

なんて御仁の話の7割が、女房が女房が、って話の振り方で。

女性は細かいところが気になるらしいんだよ、みたいな話ね、いろいろと物忘れ系で。

心配されているらしいんだけど、おいおい、そりゃ、今まであなたが外へ向かって。

やれ、仕事だの同友会だのってやってたのが、その目が、家庭、奥さんに向いているだけじゃないの。

みたいな返しで、たぶん、奥さんは今までと何ら変わらずだと思うよ、みたいなことを。

もう一人の相方と二人でツッコミを入れ、みたいな時間を過ごしたのでした。

ある大手の支店長だった方、何百人と部下がいて、朝出社すると、その数からの、おはようございます。

の挨拶。

なんて暮らしに慣れきって、ところが、定年退職した途端、おはようございます、はなくなり。

奥さん一人だけの、おはよう、なのか、それすらなかったのか、何てことが続き。

結果、うつ状態になり、なんて話をリアルに聞いたことがある。

ことほど左様に、勝手なもので、自分の都合で、現在、ってやつを切り取るのが、ま、人間でもあるんだろうけど。

そうだ、お祓いの話ね、続きがあって、全国一斉のお祓いの済んだ昨日は、この国土に対する。

当たり前にあって気がつかないこと、それらのことに感謝をしてみたらどうですか、なんてリクエストがあって。

例えば、水、とかね、空気、あるいは、お米が採れること、電気が来ること、とにかく。

ありとあらゆる、普段は当たり前にあると思っていることを、もう一度、見直し、そんなことを。

神社で宣べてみたら、というのね。

なので、律儀な僕は、それをやってみた。

だから何?ってなもんですが。

そんな具合に振り返ってみると、たくさんあるにはあるね、あって当たり前、なんて不遜にも思っちゃってること。

たまには、そんなところに意識を向けることもいいかもな、って感じです。

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旧暦の10月16日が昨日11月12日の満月だそうです。

2019年11月13日 | Weblog

暦とか天体とか、よくわかんないんだけど。

表題のような情報が舞い込み、そうか、その前夜は、十五夜か。

と思ったけれど、それも、微妙に違うらしく。

なんてことのあった満月の昨日だったのですが。

たしかに、夕餉時、次男坊が窓の外を眺めると、ほんとだ、ってくらいの月明かり。

葬祭屋さんの間では、人のなくなる時間が大事でもあるらしく、準備とかね。

なんだけど、大概、なくなる時間は、同じなんだそうで、つまり。

月の満ち欠けに関連して、のほぼ正確な時間なんだそうだ。

出産にも影響を与え、なんて話も、狼が月に向かって吠える、なんてのも、なんらかの象徴か。

って、もっとも、狼はそんなことも考えずに、自ずから然りの世界にいるんだろうけど。

なんてことごと、寄せ集めてみると、月からの人体への影響というのは。

そりゃ、見える、見えないはあっても、かなりのものなんだろうね。

lunatic、ルナティックって、なんか、精神的な病、というのか、鬱みたいな症状じゃなかったかな。

月の影響を受けての話だな。

僕が高校生の頃だから、ずいぶん昔の話、月へ着陸した、なんてこと、あったよね。

とかくの真偽云々の話もあるにはあるけれど、ね。

月にうさぎはいなかった、ってわけだ。

月のもの、とか、月が満ちる、とか、どうも女性性の象徴みたいな感じだよね。

翻って、太陽は、って話ね。

男性性の象徴、とかさ。

どうなんだろうね、そもそも、男性性と女性性、ってのが出来上がってきた経緯、ってのは。

もちろん、個体を、次の世代を残すため、とかの説明もあるけれど、それだって、怪しいといえば怪しくて。

今ある、この社会、世界ってのを前提の話で、一説、二説か、いやもっとか、によると。

今回の文明は、七回目、なんて話もあったりするしね。

世界のそこかしこに遺されている物ね、人智を超えているもの、あったりするから。

なんてことが朝っぱらから浮かんでくるのも、昨夜の満月の影響かもな。

狼が月に向かって吠えるように、なんらかの気配を感じ、わが脳内のパルス?電流が、そんな具合に流れ、と。

そして、この電脳空間へ放出している、って具合だ。

いずれにしても、その満月は、旧暦10月16日だった、陰暦ってやつね。

八ヶ岳倶楽部の柳生さんは、さらにその前の、つまり、まだ中国から暦の入ってくる前の。

和暦について書かれたご本、出されていたな。

って、買い求めてサインもしてもらったけど。

その中で、って書き始めると、長くなっちゃうけど、今年とか来年とか去年とかを表現するときに。

こぞ、ことし、という言葉で何度も繰り返すんだけどね、うまく理解できなかったな。

時間の味わい方の違い、ってのを感じもし、なんてこと、思い出した。

 

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雅子妃殿下の涙

2019年11月12日 | Weblog

即位のパレードとその前夜祭、表題のごとくで。

嵐の歌詞、誰の作詞か知らないけれど、なかなか、いいもので。

翌日には、沿道からの声に、ということだったのか。

心の内側にまでは踏み込めませんが。

印象的だった。

メディアが政権側に思いっきり尻尾を振っている、という具合の国ではあるけれど。

SNSを含め、かなり自由に、もちろん、忖度も交え、発言がなされる国。

なので、そりゃ、雅子さまもあれやこれやの、息苦しさを味わってらっしゃったんだろうな。

と推測はできる。

女系だの男系だのの議論も、あったしね、あれ、辛かったと思うな。

三年子なきは去れ、みたいな言い方、下々の間では、いや、武家社会の名残か、あったし。

なんてことを思い返しながらの涙のシーンだった。

夕べは、1のゾロ目、11月11日、それ系の業界では、この日を境に変わっていきます。

なんて言説も流れた日。

十五夜の月で。

明るかった。

タクシーの運転手さんからのご教授で、月が頂点に達した時が満潮で、ピークへ至る前が好きな釣り人と。

逆に、ピークから落ちていく時が好きな釣り人がいる、なんて話やら。

いいね、それ、月を見て、潮の満ち干を推し量り、なんて洒落てるよ、と。

何かと言えば、スマホ、テレビの予報、って具合だからね、なんてことも。

自然とともに生き、自然の中へ死んでいく、というわけだ。

死は生誕だ、なんて言い方もあるか。

わが細胞達も、一週間?三週間?くらいで、すべて入れ替わり、ほとんど、初めまして、の世界なんだそうで。

くどいけど、その数の多さ、加えて、星々の数、一体全体どうなっちゃってるんだ、ってなもんだ。

茫洋たる思い、とでも書けるか。

ここまで書いてきて、筆が、キーボードが進まなくなった。

そうだ、今朝の珈琲、マンデリン。

新しいお店で買ってきたんだけど、いい味わいだった。

 

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是枝裕和とケン・ローチ監督

2019年11月11日 | Weblog

たまたまテレビを見たら、再放送なのか、この二人の対談、やっていて。

思わず見入ってしまい、ついでに、その午後は。

アマゾンプライムで、「万引き家族」、Netflixで、「わたし、ダニエル・ブレイクです」と観ちゃったよ。

その昔の二本立て映画、みたいなことになったわけだ。

二作とも、カンヌ映画祭のパルム・ドールを受賞した、ということで。

カンヌの立ち位置をよくわかってないし、映画も詳しくないんだけど、なんとも言えない気分を味わった。

タグをつければ、社会派、とでもなるのか。

なんとも言えない気分、ってのは、嫌だ、というのでもなく、かといって、ワクワクでもなく。

現実をある視点から捉えて、ということになるかな。

たしかに、この社会、このまま行ったらどこまで行くの、くらいの話に満ちてはいるけれど。

朝から、少し、難しい方向へ行っちゃいそうだな。

いずれにしても、勝ち組とか負け組とかの言説に、楔を入れるというような、そんな映画だった。

にしても、Netflixね、たくさんの映画作品が並んでいるんだけど、観たいものがない。

というのか、興味がない、ってだけなのかもしれないけどね。

だって、現実の方が、余程、ドラマに満ち、ストーリーのぶつかり合い、でもあるし。

なんて書くと、身もふたもないけれど。

今朝の珈琲は、初めてのお店のモカ。

何回か店の前まで行って、いつも定休日、ってお店だったのだけど、やっと、買えた。

薫りも立ち、なかなか、いい豆でした。

小粒で、なんていうのか、ビーベリーだっけ。

モカ、ってブランドみたいだけど、イエメンのモカの港からの、くらいな話だったとどこかで聞きかじったことがあるな。

石油についでの交易量ってんだから、いろんな話はあるんだろうな。

なぜか今朝は、鳥達が巴川近辺を乱舞している。

風立ちぬ、いざ、生きめやも、って具合かね。

 

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