が、夕べは、二次会でワインのお店に。
となると、温かい飲み物、というわけにもいかず、だったな。
なかなか、難しいな。
日本酒も、しぼりたて、なんてのは、温めたら香りが逃げちゃう、みたいなね。
もちろん、健康、ってのは、大事なことだけど、むしろ、その向こう側にある、ミトコンドリアとの対話。
って具合なんだけどね。
ホッカイロを貼っているのも、そうだし、口呼吸を極力制限し、というのも。
骨休め、もそうだな。
生命のともしび、なんて言い方あるけれど、その根元の、ここで言えば、ミトコンドリアとの共生。
とでも言えるか、そんな感じです。
不思議な不思議な生命というものの、目に見えないエネルギーの大元が、ミトコンドリアの。
内呼吸、鼻から取り入れた酸素を、回り回って、ミトコンドリアが消費し、ってやつね。
そんな仮説、を現在の僕は取り入れている、って具合だな。
人口が減る、とか、記録的な災害、とか、独裁勢力の台頭、とか、どうもそんな具合に未来を切り取る。
なんて話が、よく出てくるんだけど。
そんな中で、そもそも、それらのことをそのように認識している主体ってのは、なんだっけ?
くらいの話だな。
その主体がいなくなれば、それらの出来事も、どこにも存在せず、ってね。
それぞれがそれぞれのストーリーの中で、好きな、というのか、目についた出来事を誰かに喋り。
SNSにアップし、あたかもそれが現実のことであるかのような、お墨付きを与え、と。
なんてことの中で、その根っこのところで、村の鍛冶屋みたいに、エネルギーを作り続けている。
ま、わがミトコンドリア、ってわけだ。
温飲食、ってのも、どうやら、そのミトコンドリアが活動するのに一番、負荷のかからない温度状態を。
こちらが提供する、って算段で。
資本主義がどうとか、新自由主義が、とか言うけれど、それらのことって、絵空事、絵に描いた餅、みたいなもので。
誰も、目にしたことがなく言葉に定着しているだけの話でね。
そろそろ、そういった具合の認識の仕方、と言うのか、物事をキャッチする仕方、と言うのか、そんなことごとから。
自由になっちゃう方が面白そうだ、って立ち位置だな。
なので、思いっきりミトコンドリアに行っちゃってる、って具合で。
とか、月の影響による潮の満ち引き、みたいなこともね。
合わせ技、一本、って。
さて、今日を迎えに行くとするか。