まさしく自分は何者であるかということに。
ハッと気づかせてくれるもので、実は人間が作ったものではないんですね。
というのは、摩訶不思議な、Kan.さんという方。
祈りは、頭で想いを込めること、と勘違いされている、とも言うんだね。
今は亡き船井幸雄さんが始められたのか、「にんげんクラブ」と言う冊子が届いて。
昨日の勤労感謝の日は、プチ読書。
表題の祈りについては、習となっていない、つまり、身についていないので、これ以上は。
語れません。
が、古代人の祈りに自分の祈りも肉薄していくと、人類の起源のようなものに触れることができる。
なんてフレーズは、とても唆られるのでもあります。
そのうち、気持ちよく書けるかも、あくまでも、かも、ですが。
いきなり場面転換だけど、誰かが、人生の目的は、愛と創造性だ、と言い切っていたな。
これも、面白い話なんだろうけど、だから何?みたいに書くことができない感じ。
ことほどさように、言葉にならないことって、あるんだよね。
言葉の向こう側に、真実とでも言えるものがある、わけだ。
すべてを説明責任で、なんて時代だと、とてもめんどくさいけど、話さなきゃわからん、ってことでもあり。
ところで、我慢、って言葉、よく使われがちだけど、あんまりいい言葉じゃないみたいだね。
自己に執着して、その我執から自分を高く見て他人を低く見る、と言うような意味だそうで。
これ、by ウイキですが。
幼い頃から、我慢しなさい、と言うフレーズを聞かされて育つ、と言うことは、我執を強くする。
と言うわけだ。
困ったものだね、こんな具合の常套句、ってのは。
知らぬ間にある境地にたどり着いちゃう、ってなもんだ。
たぶん、そんな言葉使い、ってのは、たくさんあるんだろうな、と思う。
それによって、社会は平穏を保ち、なんだろうけど、その当の本人は、そのことによっていたく傷つき。
その後の人生を決められちゃう、とね。
いや、決められちゃう、と言うより、自分で決め打ちしちゃう、ってことか。
いつだったか、他人に迷惑をかけちゃダメです、だったか、そんな言葉を投げかけられて育った御仁。
競輪の選手だったんだけど、いまいち、大成できなかっのは、その言葉かも、なんて話、していたな。
なにせ、ああした競技ってのは、ある意味、他人に迷惑をかけてしている勝負でしょ。
と言うわけだ。
だからと言って、そんな言葉を投げかけるのが悪い、ってことじゃないんだよね、たぶん。
それらも含めて、その方の人生そのもの、って具合だな。
背が小さかったり高かったり、太っていたり痩せていたり、くらいの話だな。
要は、どんな言葉に絡め取られようと、どんなカラダに束縛されようと、人生は人生。
楽しむか苦しむかは、あなたの自由、って具合なんだろうね。
そこんとこ、テストに出ますよ、ってわけだ。
そういえば、僕への呪禁、と言うのか、魔女の呪い、ってのは、早くしろ!ってことだったかな。
なんてこと、思い出したよ。
それがどこかで鳴っていて、今を味わうことから遠く、ってことで。
なので、というわけじゃないけど、来週半ばには、爾今の会に参加。
って、唐突だけど、これ、三重のお酒で。
名前が好きなんだよ、爾今、たった今この瞬間、ってのね。
その蔵元から社長兼杜氏さんが清水までやってきてくださり、というウタイだ。
たぶん、この仕込みの忙しい時に、ね。
夜の6時から始まり、かの御仁は、10時の新幹線でお帰りになる、ってんだから。
凄まじい清水愛、ってわけだ。
というか、うどんのげんきさんのイベントなんだけど。
どうも今日は長いと思ったら、2000文字近くなっちゃったな。