夕べは、久々の映画鑑賞。
表題のように、今流行りのnetflixです。
わがiPhoneにテレビモニターをつなぎ、ちゃっちゃ、って具合だ。
この間、ネットからのダウンロードができなかった映画、「麦の穂を揺らす風」というね。
アイルランドとイングランドとの葛藤を描いたもので。
ついこの間まで、いや、何十年も経つのか、熾烈なテロ、諍いがニュースになっていたからね、
ケン・ローチの、こちらは、久々のツタヤでお借りして、という仕儀だったんだけど。
いろいろと無料の、というのか、サブスク、ってのか、そんなサービスがあります。
なんたって、毎月10枚だか、タダで見れるんですよ、ってウタイだったんだけど。
それに比べると、家に引きこもってのnetflix、ってわけだ。
「インターステラ」というのだけどね。
内容?
難しくて一筆書きでは表現できません、ってくらいかな。
地球が地磁気なのか、砂嵐巻き起こり、作物は実らず、というので、地球圏外への脱出を目論見。
という科学者たちが、探検者のごとくに、宇宙船を操り、居住できそうな星を経めぐる、とでもいうか。
ま、そんな映画鑑賞だった、2時間以上かな。
「あなたが誰かを本当に心から承認したとします。それだけで相手の葛藤が解放されていくのです。」
なんてことをさらっと語る、ゲリー・ボーゲルという、これまた摩訶不思議な御仁、アメリカ人か。
その彼が、推奨していた、というのが、映画鑑賞のネタばらし、なんだけどね、実のところ。
ノンジャッジメントが、ジャッジされた時の葛藤を手放すのを助ける、とかさ。
言葉としては、耳にしがちなことではあるし、そうはいっても日々、評価の世界でしょ。
くらいの日常を生きている身としては、ちょっとアンテナが立ったのでした。
それにしても、ノンジャッジメント、っての、まんま、生きてるまんまをベタに、というのか。
野に咲く草花、空を翔ぶ鳥たち、彼らをまんまに眺め、というのかな。
風の流れでもいいし、なんて具合に、対人関係にも応用し、つまり。
幾多の試練を経巡っての、DNAなのか、細胞たちの意識なのか、そこらに書き込まれた、幻想に満ちた過去。
みたいなものからの自由、って具合に到るんだろうと思うんだな。
すると、そこにある場が現出し、と。
フリーな、誰にも阻害されない、時、瞬間を味わうことができる、くらいの話になるか。
たぶん、その奥に、ぐわーっと開けた世界があるのかも、という予感でもあるか。
なんて書きつつ、本日は、東海財務局さんとの意見交換会。
って、ベタに「評価」の世界に飛び込む、って具合だな。
嫌でも、否定するんでもないんだけどね。
その後は、軽い呑み会があるのかどうなのか。
なんて一日となる予測、予想、計画、算段、あとなんだろう、そんな日だな。
リアルとノンリアルとの間で、というわけだ。
それにしてもこんなブログがあるおかげで、随分と楽になっているとは思うな。
吐き出す、ともで言うのか、澱をクリアリングする、とでも言えるか。
内部に溜まった、あるいは、どこからかやってきた思考の種を撒き散らす、みたいなね。
なんて書き散らかしていたら、いい時間だ。