まわりで起こっていること

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認知症には回想療法ってのがあるらしい

2015年03月16日 | Weblog

昨日、ひさびさに、戸田書店で立ち読み。

矢作直樹さんという東大病院の先生の本ね。

私たちは「誕生と死」というドアを何度も行き来している。

とか。

直観は天からのギフトであることを知る、とかね。

そんな目次に魅せられて。

彼の本を探しながら、だったんだけど。

どなただったかが、表題のね、回想療法、なんてことを書いていて。

たしかに、わがおじおば会でも、最初の頃は、今まで行ったことのなかった。

観光地というのか、お花のきれいな、なんて場所が多かったけれど。

だんだん、お昼は、諏訪湖だったら、あのおそばやさん、うなぎなら、さくめ。

先週の、海を見下ろす、アジのたたき定食、とかね。

いつか、食べたよね、みたいな会話が、なじんできたんだな。

後部席での会話も、おかあさんが、おとうさんが、という昔話ですね。

同じ話を、もう聞き飽きた、とはならず。

そうそう、そうだったね、というような流れです。

これ、まんま、くだんの先生曰くの、回想療法みたいなもので。

ことさらに、目新しいものを、発見しつづけることもなく。

見慣れた光景が、思い浮かぶようなこと、ってのは。

むしろ、いのちが活性化する、という年代もあるのかも、です。

もっとも、わが中学の同級会なんかでも、ほとんど、昔話に終始し。

温故知新じゃないけれど、古きを訪ねて、そこに、新発見もある。

みたいなものかもね。

そういえば、何日か前、ある御仁が。

今は、中世に逆戻りしているような、という人がいて、なんておっしゃっていて。

例の、中東でのイスラム国だったり、ウクライナであったり、なにかと。

きな臭さを感じもし、国盗り合戦的な、ね。

そんな気配漂う、この時代を、そんな具合に切り取る、って方も。

もちろん、いらっしゃるわけで。

人それぞれに、時代の切り取り方ってのは、さまざまでね。

そうだ、先週末の某会社の役員会のあと、僕が。

相方と、あと、今度栄転される方の三人で、「幸せになろうよ」というね。

長渕の歌を大合唱したわけだ。

それを聞いていた、ある御仁も、長渕ファンだそうで。

富士山の10万人コンサート、行こうかと、思っているんです、と。

じゃ、行きますか、といいながらも、ちょっと、お時間、下さいね。

で、その場は済ませといたんだけど。

そのコンサートは、ふもとっぱらキャンプ場の近くらしく。

紙屋さんの女史の、お姉さまが嫁いでいるというんで。

交通整理しながら観る、くらいの話にもなれば、なんてもくろみも。

可能性としてはありつつ、しかし、考えてみれば。

長渕ファンというわけでもなく、ま、たまに、カラオケで歌う、という程度なんで。

はたしてどうなりますやら、と書きつつ、なんだか、結論はでているような。

そんなコンサートですが。

中世に戻りつつある気配、という次元もあり、長渕のコンサート、という次元もあり。

あるいは、長男坊が、彼女と暮らすマンションを買おうとしている、という次元もね。

各人各様の次元を生きている、と眺めれば。

ま、それだから、人間の構成する社会ってのも、楽しい、とも言えて。

これこそはと信じたものが、この世にあるだろうか、って、たしか。

吉田拓郎だったか、信じたものに殉ずる、ってのも、悪くはないのかも、だけど。

そこはそれ、齢を重ねると、いろんな見方がみえてきたりね。

ところで、夕べも松陰先生だったんだけど。

このまま、青春路線を引っ張っていって、暗黒、というのか、リアルポリティクスの次元へ。

突入するのに、どうなっていくのかね、なんて、馳走さんの姫も心配してたけど。

ひょっとしたら、思いっきり女性目線で、あの時代を眺める、という方向へ。

舵を切ったら、面白いかも、だけどね。

その萌芽は、夕べの「女大学」のね、松陰先生の講義を、原田泰造の嫁さんが。

目の前で、居眠りしていた、ってとこらに、ありそうで。

まったく、寅次郎は、女心がわからないんだから、的なね。

西欧列強の魔の手から、なんとか、国体を維持しつつ、大転回の維新がなった。

という見立てから、それを主導した、男たち、と。

陰でささえた女たち、という構図ですね。

ささえた、のか、隠忍自重、というか、男社会に、耐え難きを耐え、忍び難きをしのんだ。

のかは、わかりませんが。

国家の唱導した教育とね、母性からの教育と、なんて書き出すと。

いかにも、大仰だけど。

そののちの、大東亜戦争の、向こう三軒両隣的な、たすき掛けでなぎなたを、って絵柄を思い浮かべると。

なかなか、そのあたりは、眉間にしわを寄らせ、的なものになるのか。

僕が、この朝、NHK大河のなりゆきを、心配することもないけれど。

いずれ、国営テレビのドラマ、ってのは、過去のあったまま、というようりは。

時代へのメッセージなんだろうから。

女性活用、的なね、観点に収斂していく、という想定はできそうだけどね。

上記の矢作さん、こうした、つまり、目に見える世界だけじゃなく、いろんな次元が。

実は存在し、なんて話は、男性は、ほとんど、見向きもしませんが。

女性は、多くの人が、関心を寄せ、なんて書いていたから。

この時代、複眼的な、多様な、一筋でない、そんな観点は、女性に期待するのが。

手っ取り早いかも、ですね。

ただし、今まで蓄えてきた、男性優位の社会へのとらわれから、自由になれれば。

と、付け加えておきたいけどね。

コメント
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