昨日、ひさびさに、戸田書店で立ち読み。
矢作直樹さんという東大病院の先生の本ね。
私たちは「誕生と死」というドアを何度も行き来している。
とか。
直観は天からのギフトであることを知る、とかね。
そんな目次に魅せられて。
彼の本を探しながら、だったんだけど。
どなただったかが、表題のね、回想療法、なんてことを書いていて。
たしかに、わがおじおば会でも、最初の頃は、今まで行ったことのなかった。
観光地というのか、お花のきれいな、なんて場所が多かったけれど。
だんだん、お昼は、諏訪湖だったら、あのおそばやさん、うなぎなら、さくめ。
先週の、海を見下ろす、アジのたたき定食、とかね。
いつか、食べたよね、みたいな会話が、なじんできたんだな。
後部席での会話も、おかあさんが、おとうさんが、という昔話ですね。
同じ話を、もう聞き飽きた、とはならず。
そうそう、そうだったね、というような流れです。
これ、まんま、くだんの先生曰くの、回想療法みたいなもので。
ことさらに、目新しいものを、発見しつづけることもなく。
見慣れた光景が、思い浮かぶようなこと、ってのは。
むしろ、いのちが活性化する、という年代もあるのかも、です。
もっとも、わが中学の同級会なんかでも、ほとんど、昔話に終始し。
温故知新じゃないけれど、古きを訪ねて、そこに、新発見もある。
みたいなものかもね。
そういえば、何日か前、ある御仁が。
今は、中世に逆戻りしているような、という人がいて、なんておっしゃっていて。
例の、中東でのイスラム国だったり、ウクライナであったり、なにかと。
きな臭さを感じもし、国盗り合戦的な、ね。
そんな気配漂う、この時代を、そんな具合に切り取る、って方も。
もちろん、いらっしゃるわけで。
人それぞれに、時代の切り取り方ってのは、さまざまでね。
そうだ、先週末の某会社の役員会のあと、僕が。
相方と、あと、今度栄転される方の三人で、「幸せになろうよ」というね。
長渕の歌を大合唱したわけだ。
それを聞いていた、ある御仁も、長渕ファンだそうで。
富士山の10万人コンサート、行こうかと、思っているんです、と。
じゃ、行きますか、といいながらも、ちょっと、お時間、下さいね。
で、その場は済ませといたんだけど。
そのコンサートは、ふもとっぱらキャンプ場の近くらしく。
紙屋さんの女史の、お姉さまが嫁いでいるというんで。
交通整理しながら観る、くらいの話にもなれば、なんてもくろみも。
可能性としてはありつつ、しかし、考えてみれば。
長渕ファンというわけでもなく、ま、たまに、カラオケで歌う、という程度なんで。
はたしてどうなりますやら、と書きつつ、なんだか、結論はでているような。
そんなコンサートですが。
中世に戻りつつある気配、という次元もあり、長渕のコンサート、という次元もあり。
あるいは、長男坊が、彼女と暮らすマンションを買おうとしている、という次元もね。
各人各様の次元を生きている、と眺めれば。
ま、それだから、人間の構成する社会ってのも、楽しい、とも言えて。
これこそはと信じたものが、この世にあるだろうか、って、たしか。
吉田拓郎だったか、信じたものに殉ずる、ってのも、悪くはないのかも、だけど。
そこはそれ、齢を重ねると、いろんな見方がみえてきたりね。
ところで、夕べも松陰先生だったんだけど。
このまま、青春路線を引っ張っていって、暗黒、というのか、リアルポリティクスの次元へ。
突入するのに、どうなっていくのかね、なんて、馳走さんの姫も心配してたけど。
ひょっとしたら、思いっきり女性目線で、あの時代を眺める、という方向へ。
舵を切ったら、面白いかも、だけどね。
その萌芽は、夕べの「女大学」のね、松陰先生の講義を、原田泰造の嫁さんが。
目の前で、居眠りしていた、ってとこらに、ありそうで。
まったく、寅次郎は、女心がわからないんだから、的なね。
西欧列強の魔の手から、なんとか、国体を維持しつつ、大転回の維新がなった。
という見立てから、それを主導した、男たち、と。
陰でささえた女たち、という構図ですね。
ささえた、のか、隠忍自重、というか、男社会に、耐え難きを耐え、忍び難きをしのんだ。
のかは、わかりませんが。
国家の唱導した教育とね、母性からの教育と、なんて書き出すと。
いかにも、大仰だけど。
そののちの、大東亜戦争の、向こう三軒両隣的な、たすき掛けでなぎなたを、って絵柄を思い浮かべると。
なかなか、そのあたりは、眉間にしわを寄らせ、的なものになるのか。
僕が、この朝、NHK大河のなりゆきを、心配することもないけれど。
いずれ、国営テレビのドラマ、ってのは、過去のあったまま、というようりは。
時代へのメッセージなんだろうから。
女性活用、的なね、観点に収斂していく、という想定はできそうだけどね。
上記の矢作さん、こうした、つまり、目に見える世界だけじゃなく、いろんな次元が。
実は存在し、なんて話は、男性は、ほとんど、見向きもしませんが。
女性は、多くの人が、関心を寄せ、なんて書いていたから。
この時代、複眼的な、多様な、一筋でない、そんな観点は、女性に期待するのが。
手っ取り早いかも、ですね。
ただし、今まで蓄えてきた、男性優位の社会へのとらわれから、自由になれれば。
と、付け加えておきたいけどね。