今朝もまた、昨日みたいな、ネタですが。
これね、よく行くサイトに書かれていて。
その前に。
人は見たい世界しか見ない、ともあって。
たしかにね。
そうだよね、と腑に落ちると、気楽なんだけど。
そこが、なかなかね、俺と同じ夢を見ようぜ、みたいな。
熱血漢、久坂玄瑞が登場するし。
そうそう、スラムダンクでは、キャプテン、赤木だな。
全国大会へ行くど!という赤木は、すべての時間が、バスケ、ってわけで。
しかし、その頃の部員は、強要するなよ、赤木、ってね。
そんな部員たちと何年か、弱小の、最弱の湘北高校を率いてきて。
ところが、流川や天才!桜木、みたいに。
道徳やねばならぬ的な価値観から、それこそ、隔絶した、バスケが好きなんだよ。
って一点から、攻めてくる連中と、見ている世界が、方向はちがうけど。
近くなってね、という解釈も成り立つ、んだけど。
見てない人からしたら、……だね。
スラムダンクはともかく、共鳴、という言い方もあって。
ギターを二本ならべて、片方をつまびくと、もう片方も鳴り出す、ってやつね。
そこですね。
おまえも鳴ったのか、そうか、おれは、ギター弾きたいから引いただけなんだけどね、へぇー。
って具合かな。
それが、ほとんどの、教育的指導とかいわれる現場で、あったら、面白いことになるんだけどね。
学校だけじゃなく、会社であったり、家庭であったり、夫婦であったり。
まぁ、つまんで言っちゃえば、ほとんど、教え導く、ってことが、わざわいしているでしょ。
こちらの見ている世界が正しいんだから、見ろ!見れないお前は、おかしい、的なね。
社会ってやつが、安定的に、豊かになっていく、という幻想が成り立った時代。
ってのも、あったわけで、どの時代なのか、言っちゃえば、戦後の70年、なんてのは。
そうとも言えて、そこを基準にされると、困るんだよね。
といっても、安定的に、なんて、かいつまんでいっちゃってるけど、今を基準にしてね、しかし、さまざまな。
悲劇ってのも、あるいは。
喜劇、とか、素晴らしさ、とか、もあったんだろうけど。
いずれにしても、一筋縄ではいかなかったことは、たしかで。
そんなことを言えば、どの時代だって、そうだし、あるのは、自分史、ってやつだけかもね。
さて、今日は、今から、プラットこだま、にて、神奈川へ。
同友会の全国大会なのです。
まぁね、全国にはすごい人がいてね、と、また、すごい、って言葉、不用意に使っちゃっているけど。
すごい、ってのは、あんまり、いい感触じゃなくて。
じゃ、おまえはすごくないのか、すごくない人ってのがいる、って、認めるんだな!
みたいな具合になっちゃうからね。
つまり、階級社会ってわけだ。
そこでしょ、オームの間違いは、って簡単に言っちゃうのは、あかんけど。
いろんなところに、すごいとすごくない、の葛藤があるんで。
これ、実のところ、やっかいなテーマでもあるよね。
イエスにしても、ゴータマ・シッダルタ、お釈迦様だね、にしても。
彼らは、ある世界をみせてくれたのかも、だけど、そのあとに続く、例えば、一番弟子、とか。
二番弟子、とかね、申し訳ないけど、弟子たちが、歪曲し、ともいえて。
それほど、彼らの見た世界の表現が難しかった、のかも、だけど。
そんなことが、ずっと、今でも続く、ってわけで。
さて、と切り替えて、終わりにしようかな、と思ったんだけど、これじゃ、きりないね。
そうだ、母親の話をしたかったんだ。
テレビの、なんだ、これ、だったか、ホルターガイストとかの番組見ていて。
人間だって、ずっと生きて今があるんだから、頭かた手が出ていたって、不思議じゃないよね。
みたいなこと、言い出し。
それこそ、これ、すごいね、と。
ある境地に至った、ともいえるし、そんな世界があったことを、今、この時に、思い出しているのかも。
何万年の時を超えて、という解釈もできるし。
なので、汝の名は認知症、なんて感じの母親だけど、ゆめゆめ、あなどるなかれ!ってことです。
いやいや、そんなわけで、今度は、ほんとに、終わりにします。