毎朝、5キロ四方くらいの範囲かな。
ゴミ拾いをしている御仁がいらっしゃってね。
ってのは、以前、ご紹介したけど。
今朝は、その方に、事務所から2キロくらい手前の信号で遭遇。
もうね、笑いながらご挨拶をした次第で。
ゴミ袋を2つ持って、ゴミを拾い歩くんだね。
この方、お一人で、相当のゴミが取れる。
って、収穫祭みたいだけどね。
世の中、掛け声をかける方は大勢いらっしゃっても、実践となると。
なかなか、手強くて。
あの御仁を見ていると、修行というかね。
昔、腰を悪くして、お医者さんから運動をしなさい、といわれたのが機縁で。
それ以来というから、何年になるのか、おかげさまで、街は綺麗なのです。
ご挨拶を交わしただけで、今日という一日は、とても素敵なものになって。
たったひとりの積み重ね、とでも言えますか、それがこれだけの結果を。
招来し。
というね、一燈照隅だっけ、そんな感じだよね。
一つの光が隅を照らす、というね。
ところで、夕べ、「死ぬとき心はどうなるの?」というNHKの番組、見ちゃいました。
なんせ、わが母親に、人は死なない、という東大医学部の矢作さんという方の本をね。
どう?ッて感じで、手渡してあって、興味深そうに読んでもいて。
そう、そこのところが、もし、腑に落ちたら、そりゃ、生きていることが。
より、楽しくなるんだろうから、という次第だったんだけど。
そんな中での、妻からの、今晩、こんな番組、あるみたいよ、ということでね。
立花隆、ロッキードで田中角栄を総理の座から引きずり下ろした、お先棒担ぎ。
とでもいいましょうか、知というものを、心底、信奉している。
知の巨人、みたいな言い方がお好きなような、そんな彼が。
知を超えたところを、アメリカの脳科学者だのの博士連中に取材する。
という式で。
自分は74歳で、ぼちぼちお迎えが来てもいいくらいの年齢で、というコメントから。
番組が始まったわけだ。
幽体離脱とか臨死体験とかね、そんな言葉が飛び交い、そんな報告の現場にも立ち会い。
あと何回か、番組は続く、みたいだけどね。
当方、毎朝毎晩の瞑想で、言葉を超えた世界、ってのを、体感していると。
臨死体験者の語る話も、ご近所さんと交わす、暖かくなりましたね、とか。
明るくなるのが早いから、お掃除もこの時間からできるんですよ、なんて話と。
そう、変わることもなく受け取れてね。
そりゃ、ありなんだろうね、というわけです。
そもそも、科学、という言葉で、ある種の信仰を吐露しているわけで。
根拠のないものは、データのないものは、もっと言えば、俺が、お前が確認取れないものは。
存在しません、という盲信というか、確信というか、思い込みというか。
そんな具合で。
傲慢かましてよかですか、だっけ、小林よしのり風な、頑なな世界だよね。
って、うなづきを求められても困るかも、だけど。
この初夏には、訪れるかも、という「遠野物語」の発祥地、その語り部に。
何週間前にお話をお聞きし、その原本、というのか、佐々木喜撰という地元の方からの。
聞き書きをまとめた、あるいは、文学的な意匠をほどこした、という柳田国男なんだけど。
民俗学の巨匠をつかまえていうのもなんだけど、あの物語、相当、換骨奪胎だれているのかも。
なんて、たいして読んでもないのに、ふと、思いが浮かんで。
その実、かの柳田先生は、上記、臨死体験じゃないけれど、そちらの世界を。
若いころ、体験もされている方で。
なので、そんなことも混じえて、物語を書いてもよかったんだろうけど。
って、もしかしたら、書かれてあるかも、だけど。
なにせ、学として成り立たせるためには、証拠を、データを、俺にわかるように示せ、的な。
アカデミズムってのが、あるんで、そのあたり、難しかったかも。
そんなこと言ったって、俺が、そう感じるんだ、とか、そうなふうに夢で見たんだ。
なんてのは、昨夜のアメリカの科学者の前では、受け入れられないからね。
脳がすべてを認識するんです、という信仰の世界から言わせると。
もっとも、宇宙の98%が、ダークマターとか言われ、まったくわかりません。
という空間なんでしょ、今の科学でわかっているのは、全体の2%だ、と。
人間の脳だって、そのくらいの比率だよね、実際に使われているの、って。
3%くらい、アインシュタインで、10%、使っているかな、くらいの。
それにしても、本日も晴天なり、で、もう少しで、うぐいすが鳴きだすかな。
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