66歳で亡くなった方のお葬式。
祓いの席で、たまたま、隣同士になった方。
以前、その会社に勤めていた方なんだけど、82歳。
20年ぶりにお会いしたけど、お元気だった。
大正15年生まれのその方は、商業高校を卒業すると、満州へ就職したという。
そこには、放送部に、森繁久弥もいたらしい。
2年いて、その地で、軍隊の試験を受けたら、海軍と陸軍の両方に合格。
届いた入隊日は同じ日だった。
その頃は、結構、混乱していたんだよね、と。
その後、陸軍は中国の奥地へ転進、海軍は朝鮮半島へ。
彼の場合、海軍を選んだらしい。
そこが運命の分れ道。
海軍は3ヶ月、朝鮮で訓練をしたあと、門司を経由して、品川へ。
それも、終戦の年の7月だった。
もし、陸軍へ行っていたら、そのまま、シベリア送り。
もう、会社をやめてから20年になるという、その方は、ボランティアで、交通安全の仕事をしているらしい。
現役のときより若返っている、という印象だった。
晩酌を2合やる、といい、倍に薄めて、4合にして飲むんだけど、俺の新発明、とも言っていた。
祓いの席で、たまたま、隣同士になった方。
以前、その会社に勤めていた方なんだけど、82歳。
20年ぶりにお会いしたけど、お元気だった。
大正15年生まれのその方は、商業高校を卒業すると、満州へ就職したという。
そこには、放送部に、森繁久弥もいたらしい。
2年いて、その地で、軍隊の試験を受けたら、海軍と陸軍の両方に合格。
届いた入隊日は同じ日だった。
その頃は、結構、混乱していたんだよね、と。
その後、陸軍は中国の奥地へ転進、海軍は朝鮮半島へ。
彼の場合、海軍を選んだらしい。
そこが運命の分れ道。
海軍は3ヶ月、朝鮮で訓練をしたあと、門司を経由して、品川へ。
それも、終戦の年の7月だった。
もし、陸軍へ行っていたら、そのまま、シベリア送り。
もう、会社をやめてから20年になるという、その方は、ボランティアで、交通安全の仕事をしているらしい。
現役のときより若返っている、という印象だった。
晩酌を2合やる、といい、倍に薄めて、4合にして飲むんだけど、俺の新発明、とも言っていた。