まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

なんば走りとソメイヨシノ

2005年04月27日 | その他
このナンバ走りは、オリンピックの末続の100mで有名。
昔の日本人は、同側、つまり、足と手と同じに出して歩いたり、走ったりしたそうな。

飛脚は、このナンバ走りで、超一流になると、一日50里、200km、東京~静岡間を走り、また明日も走り、した、と。
甲野善紀さんが、NHKの番組で言っていた。

この日本人の独特な歩き方、走り方が変わったのは、明治に入ってからのドイツ式軍事教練からだったそうです。

このナンバ。

この間、久能の日光東照宮の1100段の石段を登ったとき、ためしにやってみた。
たしかに、楽に登れる。
実に、気持ちがいい。

もとコンピュウター屋のFくんによると、重心を高くして、腰と肩を一緒に出す、という感じらしい。スーパー60歳のHさん曰く、の由。

これも、Fくんからのネタ。

明治時代、各県の桜はほとんどが伐採され、明治政府によって、ソメイヨシノに変えられた、由。

武士は桜、というように、各藩の魂の象徴として、各種の桜を植えていたそうで、その象徴を、京のソメイヨシノに植え替えた、と。

いよいよ、山梨県武川村の樹齢1700年の桜を見に行くのが楽しみになってきた。
日本武尊のお手植え、日蓮さんのとき、枯れかかっていて、祈祷で回復した、と。


「身土不二」(しんどふじ)について、もう亡くなった、コンサルタントの一倉定さんが書いていたっけ。つまり、その土地で取れたものを食べること。

南の島、どこだったか、有名な島ですが、これまた有名なシュバイツァー博士が來島。
その島は病気も少なく、楽園のような島だったそうです。

しかし、博士、ドイツの食生活と比べて、いかにも貧しい。
で、西洋のケーキなどいろいろの食物を持ち込む。
島の人々は、博士の影響から、次第に食生活を変えてゆく。

島のライフスタイルが変わり、今までなかった病気が蔓延する。
食料自給率40%の日本はどうするんだろう。

伝統と新文明?との融和?野合?排除と置換?

そういえば、大阪の万博は、たしか、「進歩と調和」というテーマでしたっけ。






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2 コメント

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ナンバ走り (かたつむり)
2005-04-27 09:42:50
今日は!私も聞いたことあります。江戸時代の浮世絵の中の人たちも良く見ると手と足同じ側をだして歩いているそうです。あの階段をナンバ走りで登られたんですか。頑張りましたね~。同じ側をだして歩くと体が左右に振れてしまいませんか?私も今度やってみよう。(誰も見ていないところで。)
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「理」というものがあるんですね (糠漬け初心者)
2005-04-27 17:53:43
久能の石段は、ナンバ走りではなく、ナンバ歩きでしたが。



<同じ側をだして歩くと体が左右に振れてしま いませんか?



なので、重心を高くして歩くと、わりと、自然に見えるらしいですよ。受け売り。

もう少し、ブログの使い方をマスターしたら、甲野善紀さんの動画を貼り付けることもできるんでしょうが。
返信する

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