聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★桜と人生の儚さ‥‥

2005-04-12 | 「聖書と人生」



  今年の冬は異常なほど降雪が多く、桜の開花も例年よりかなり遅れていたようですが、しばらく続いた最近のポカポカ陽気で、本州方面では、一気に桜が開花し、今が桜が満開という所も多いと思われます。桜前線もぐんぐん北上しつつあり、北国に住む私たちにとっても桜の季節が待ち遠しい昨今です。しかし、桜前線が北海道の中央部まで来るのは5月初旬まで待たなければなりません。また、春は陽気で、とても快く、心まで温かくなるような季節ですが、何か切ないような季節でもありますね。別れがあったり、出会いがあったり‥‥など。 
   
 ところで、「桜」の季節に因んで、「人生のはかなさ」について、少し考えてみました。作家の林芙美子さんは、「花の命は 短くて 苦しきことのみ 多かりき」という有名な短歌を残していますが、これはご自分の人生に重ね合わせて色紙などに好んで書いたと言われています。「花」は女性を指しているようですが、現代の平均寿命からすると、男性はさらに短い命ということになりますね。いずれにしても、この言葉は、男女を問わず、人生がいかにはかないものであるかを考えさせるものではないでしょうか‥‥。

  確かに、桜の花は短い命です。でも、たった2週間余りの命でも、人に愛でてもらうために一所懸命咲いていますね。そしてひとひら、一片、桜の花は川面に浮かんでいきます。一夜の雨、一陣の風に散る桜は人生のはかなさを痛感させるものではないでしょうか。パッと咲いて、パッと散る様は、昔は「いさぎよく終わる事のたとえ」にも使われ、戦時中には「‥‥貴様と俺とは同期の桜 ~」などという軍歌もありましたが、何といっても、桜は人の命のはかなさを考えさせられるのではないでしょうか‥‥。

 親鸞は 「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」 と、人生のはかなさを詠んでいます。また、良寛の辞世の句と言われている「散る桜 残る桜も 散る桜」 という句も、散って行く桜の花を眺めながら、「ああ、残る桜も、やがて散ってしまうのだなぁ~‥‥」と、同じように人は桜のように散って行くが、残っている人もやがていつか散って逝くのだ‥‥と、人生の悲哀を詠ったのではないかと思います。また、「散りぬべき とき知りてこそ 世の中の 花は花なれ 人は人なれ」と詠ったのは、あの細川ガラシャ夫人でしたね。

 しかし、桜の花は散っても「木」はかなり長寿のものがあるようです。山梨県武川村の日本一長寿の山高神代桜は樹齢なんと千七百年だそうです。11メートルもある太い幹は圧巻で「まだ生きているのだ!」と言う気迫に圧倒されるということを聞きました。この桜の生きてきた年月を垣間見ると、今までの千年以上もの間この桜はどんな花をつけ、そして咲き乱れて散った幾年月、それはどんな光景だったのか。そんな思いを馳せさせる桜であるというのです。これは、無言のうちに私たちに何かを語りかけているように思うのです。私は桜の花の散るのを見て、人生の儚さを感じるのですが、しかし、それ以上に、キリストの復活に思いを馳せつつ、人生の未来に対する希望をも示唆しているように思われるのです。

 「散る桜 残る桜も 散る桜」‥‥‥確かに私たちは誰もが、いつか必ず死に直面し、死と対峙しなければならない時が来るのですね。寒さ厳しい北海道の人々は、一年の半分近くは雪の中の生活しますから、春を待つ思いも一入ですが、百花繚乱の花の季節は本当に短く、あっという間に過ぎてしまいます。「花の命は 短くて 苦しきことのみ 多かりき」は、自分も実感としてよく分かります。桜の花の命は短いけど、美しく咲いてパッと散っていくのです。

 昨年の今頃の季節、私はお会いしたことがないのですが、MLのメールで、桜の花のように周りの人たちをいつも明るくしていたまだ30代の若い女性が血液の癌で、桜の花の一片のように、あっという間に散って逝きました。家内と同じ病いで、多発性骨髄腫という血液の癌でした。その時、ふと、人生の儚さを覚えさせられたものです。ある若い女性は、こんなことを何かに書いているのを読んだ記憶があります。「私も美しく咲いてやるわ!!でも、散りたくないのよ!」。そんな彼女の気持ちは、どなたの心の中にもあるのではないでしょうか。

●「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。 」(詩篇90:10)。

●「‥‥‥なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。 太陽が熱風を伴って上って来ると、草を枯らしてしまいます。すると、その花は落ち、美しい姿は滅びます。同じように、富んでいる人も、働きの最中に消えて行くのです。 」(ヤコブの手紙1:10,11)。
 
 
 花は必ず散るときが来るように、人がどんなに栄華を極めても、やがて「死」と真正面から対峙しなければならない時が必ず来るのです。そして、そのために備えをしている人は、本当に一握りの僅かな人たちではないでしょうか。どのような形でそれが来るかは、誰も分かりません。病気になり、ゆっくりとその日を迎える人もいれば、ある日、突然、事故で亡くなる方もおられます。また、穏やかに、平安の中で最期の日を迎える方もおられますが、悶え苦しみながら、その日を迎える方もおられます。ですから、日頃から、この問題について真剣に考え、その死に対して備える必要があるのではないでしょうか。

●「『人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。』とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。 」(ペテロの第一の手紙1:24,25)。 

 この聖句にありますように、人の一生はみな草の花のように儚いものです。「草はしおれ、花は散る」のです。しかし、聖書のことばと、イエス・キリストの福音による救いは、永遠に変わることがないのです。あなたも、あなたの罪のために、十字架で身代わりに死んでくださった救い主イエス・キリストをお信じになられ、希望と平安に満たされた人生をご自分のものとなさいませんか。

●「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(コリント第一の手紙13:13)。  

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