まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

糠漬けの伝統

2005年04月18日 | 糠漬け
やっぱり、あしたば・ぜんまい(わらびではありませんでした)は漬かりませんでした。
考えてみれば、誰も漬けた、なんて、聴いたことがないからな。
何千年も歴史のある、糠漬けだから、すでに先人たちは、あらゆることを試してきて、その結果、きゅうりやナスをおいしく漬けているんだから。

ま、とりあえず、初心者の徒労・あがきというところ。

たしか、序・破・急って、言ったと思う。
師匠を真似して、壊して、革新する、って。
でも、当たり前の事を身につけて、繰り返し繰り返しやりつづけることで身につけて、の話。
精進・精進。


先週の土曜日、夜。
うどんやのTさんとわが妻と3人で、イタメシ屋で食事。
ワインの赤・白あけて、その後、パブにて、日本酒。

このTさん、その昔、京都出身の宮司さんに、「観峰」(かんぽう)という名前をつけてもらったことがある。言いえて妙で、このTさん、読み取り能力抜群、参謀タイプ。
遠くの峰を観る、という名前のごとく、です。

うどんつながりになりますが、
昔は、うどん粉からうどんを打つことから始まって、うどんを食べた、と。
そのプロセスから身につけるものがあった。
それをコンビニエントな生活と引き換えに捨てた。

カタカナのおこり、古事記以前のカタカムナを解明する相似象という本を出している楢崎さんと言う方が言っていた。


高校時代の授業で唯一、印象に残っていること。
世界史の先生だったな、古来、各地で類人猿などの人骨が発掘されているが、そのすべてに飢餓線というものがある。
飢餓線、とは、人が飢えて死にかかるとできる、と。

いまや、コンビニエントな生活を手に入れた、われわれ、世界の何十分の一かの人々は、頭蓋骨に飢餓線は作らなくなったけれど、心には、たくさんの飢餓線を作りつづけている。

ほんと、心の食事を摂るのはむずかしい。
健康補助食品ばやりで、主食がなくて、補助食品ばかり。

そういえば、昨日、木宮神社の樹齢1000年以上の大楠を前に、記念撮影をしながら、70歳以上のおじおばに、
この樹は1000年、みなさん、まだまだ、ひよっこですから、残念!、と。




コメント (1)
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