って、このところ、珈琲オタクの薫り漂うブログになっちゃってるけど。
昨日、おじおば会。
朝霧のフードコートで、思い思いのビュッフェをいただき、残念ながら。
富士山は、その時には拝むことはできなかったけれど。
帰りがけ、麓っぱらにて、毛無山の隣の山から湧く水をいただいたので、今朝の。
表題に続く、わけだ。
麓っぱらには、猪之頭小学校麓村分校があって、今は、山の家、と名前が変わっている。
以前も書いたかも、だけど、そこに92歳の母親が、成人を少し過ぎたばかりの時、つまり。
昭和の2年生まれだから、戦後すぐなのか、それとも戦時中なのか。
友達と連れ立って、かぼちゃや米を担いで、夏の林間学校くらいか、何泊かして。
その時の先生のお宅へも、いつぞや、10年にはならないか、そのくらい前に伺ったことがあった。
という楽しい、懐かしい思い出が残っているはずなんだけど、このところは。
その記憶も、遠くの方へ投げ放たれているようでもあり、昨日も。
その分校前で、その記憶への糸を繋ぎとめようと、画策もしたけれど、力及ばず。
だったんだけどね。
昨日の土曜日は、そこでは、どこかの企業さんの、精神鍛錬的な研修の日だったようで。
30キロ、走りました、半分、脱落でした、みたいな会話を、タバコ吸いながら話し。
来週からは、気合い入れて仕事、営業マンのような仕事らしいけど、それ、頑張れちゃいますね。
くらいの、大人の会話をし、なんてしているうちに。
そこへ、歴史の旅の仲間の女史の、そのお姉さまが、バイクで駆けつけてくださり。
かくかくしかじか、お水のあるところまで、って、ご自分の住んでるところなんだけど。
そこまで案内してくださり、なに門、というのか、茅葺の門をくぐり、一挙に、一同。
ある時代へタイムスリップのような感覚になりそうな、そんなお宅へ。
大黒柱も太い、というより、柱でない何ものか、のような家で、出てきてくださったお父様が。
ちょうど、こちら、二番目のおばと同じ生まれ年で、昭和の一桁。
話は、あれやこれやと広がり、お茶までいただき。
母親は、鹿の剥製がお気に入りのようで、なにやら会話をし続け。
なんて時間、過ごすことができた次第。
家は、元禄2年築、だそうで、450年前。
その前に、大水が出たのか、山崩れで、この地区は大きな被害を受け、朝霧の方へ移住したそうだ。
んだけど、その地は、水が悪く、で、再び、この地へ、というのが、古文書によるとくだんの元禄時代。
なんてこと、昭和4年生まれのお父様と話し、さらに、彼、去年、股関節の骨折で、人口関節を入れたらしく。
大丈夫ですよ、ほら、この二人、と母親と二番目のおばを指し示し、同じようなリハビリもして、こんな具合に。
楽々歩いてますから、なんてことも伝え。
耳の遠い母親は、会話の中へも入りたいんだろうけど、相手の言ってることが聞こえないんだろうからね。
で、しきりに、自分の母親が先生をやっていて、なんてこと、言ってるんで、でも、ちょっと。
今話されているテーマと違うからな、なんて思い、うなづきながらもスルーしていたのが僕でしたが。
今朝になって思うのは、たぶん、その昔の麓村分校への旅は、先生繋がりでのものかも知れず。
彼女の記憶を、ほんの一つか二つのキーワードを頼りに、繋げようと苦心惨憺の様か、と。
早い話が、こちらが、誤解していただけ、とも解釈できるな、なんてね。
というようなところに、今朝は、きているんだけど。
いずれにしても、おばたちも妹も、いつもと違う体験、経験ができた次第で。
犬も歩けば棒に当たる、まんまの、おじおば会だったのでした。
朝霧フードコート、そこの酒屋さんでのツバメの巣作りの話も、つまり。
軒下の巣にやってきたツバメを見ながら、お店の女の子と、また今年もやってくる。
というのは、いい家だからなんだよね、なんての。
そりゃ、そんな言葉投げかけられれば、働いてる人も嬉しいよね。
とてもいい雰囲気作りの要諦でもあり、なんてシーンもあったり、ではあったけれど。
あんまり急激に環境が変わると、その変化への対応が難しいようで、気分は、怖れとか不安へ入り込む。
という、考えてみれば、どこでも誰にでも、思い当たるようなものだけど、そんなことも、気づかされ。
そりゃそうだ、なんてね。
というようなこと、などなど、豊穣な一日だったのでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます