表題は、母親の何枚か、あるいは何百枚かの中に、一枚あるんだ。
草取り。
一雨降ると草木の緑が一気にいやます。
あっという間だ。
それにたじろいで、そのままにしておくと、手もつけられず、なんて具合だ。
だから、ラウンドアップなんていうのを撒いて、という発想になるもんだ。
草ひとつ生えない庭、土を作り出しちゃうって算段だ。
科学の進歩だ。
というなんとも、人工的な、自然は改変することができるんだ、みたいな考え方だな。
そのおかげで欧米では、ラウンドアップなんてのは使えなくなっちゃってるようだけどね。
そんなことは置いといて、母親の遺影で気がついたのは、日常的に、僕らの知らないところで草取り、してたんだな、って当たり前のことなんだな。
相撲で言えば蹲踞の姿勢みたいな、膝も腰も股関節も折り曲げ、だから、そこらが痛い痛い病の人には無理だ。
膝が、腰が痛くなったら一大事という時代がずっと続いて来たんだろうな。
なにせ、自分の住むところ、寝るところが草に覆われちゃうんだから。
これ、大袈裟でなく、福島の原発でどこかへ逃げざるを得なかったコンビニかなんかの庭、写されていたけれど。
何年かしたらほぼほぼ野生状態、なんてのあったからね。
だから、少々反省して、草取りの日常化、ってのを考えているのであります、という僥倖にね、出会ったわけだ。
なんたって、草取りできる庭があるんだからね。
ということです。
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