と言っても、さわりだけ、ってことなんだろうけど。
旧ソビエト製の機械があるらしく。
ざっくり言うと、未病の追求、なのかな。
化学ではなく、量子物理学の世界だそうで。
内臓にも波動があり、それが次の展開を示してくれる、と言うわけだ。
東洋医学の鍼灸などとの相性も良いらしく、ちょっと、勉強してみようかな。
この500年くらいの西洋への信仰、信頼、信奉、あと何、いろいろと変容している現在だからね。
ところで、今日は夏至。
いつもの72候は、第28候、乃東枯る、これで、なつかれくさかるる、と読むらしい。
草木が生い茂るなか、夏枯れ草だけが枯れていく、昔は、それを漢方薬に用いた、とある。
さらに、冬至ではかぼちゃがいい、と言われるけれど、夏至には、関西では蛸なんだ、とも書いてある。
稲が8本足のように大地にしっかり根付くように、との願い、と言うんだね。
親父ギャグっぽい祈りだ。
関西らしいといえば言えるね。
上記、波動医学、っての、今の世界を理解しようとすると、なかなか、示唆に富むわけだ。
後から後から標語がやってくる、例えば、地球温暖化、SDGs、ダイバーシティ、DX、なんての。
多様性なんてのも、以前ご紹介した、「夜這いの民俗学」の赤松さんによれば、もともと、各地各層で。
さまざまな決まり事、習慣があったようで、まさに、多様性まんま、みたいな。
それらが離合集散していくんだけど、ま、グローバルな、って。
それじゃいけませんよ、とそんな標語が生まれ、人みなそちらの方面に流れ込んでいく。
それが、古来、人間社会、人間世界の当たり前、といえば、当たり前なのかも、だけどね。
そうだ、昨日、ほんとに久々に、蛇を見たんだった、庭先で。
一瞬、たじろいだよ、いるはずのない、と思っている蛇だからね。
木に登り、そのうちどこかへ消えていった。
家に蛇がいるのはめでたい、と昔の人は言ったような、そんな記憶があるんだけど。
アダムとイブの物語を想像しちゃったなんて、西洋かぶれも甚だしいか。
先ほど触れた、夏至の蛸、といい、ちょっと前までの列島では、自然の生き物たちと。
まさに、共生、と言うようなことが普通に行われていたんだろうな。
ごく自然に。
当たり前のこととして。
いつの間にか、窓はサッシになり、網戸がはめられ、高気密高断熱みたいなうたい文句になり。
快適でっせ、いつでもこの温度、ってエアコンみたいなのも設置され。
その先には、昨日も書いたけど、便利この上ないチップ内蔵の人間、みたいな。
さて、そんな妄想はともかく、今日に出かけます。