ずっと前に流行った、あれ、「人間の証明」だったか。
かの原作者は、あの帽子、とか言ったんだった。
チャンドラーの小説からか詩からか、とった言葉を使っていたような気もしている。
そんな気分の、ヒヨドリは、昨日、わがベランダを訪れ、実は、くたーっとしていた。
はじめ、鳩かな、と思えるほどの鳥が、エアコンの室外機の陰で、だったんだ。
野生の鳥が、こんなところで死に様を晒すのか、と心配しつつも訝しくも、の思いのまま。
やっぱり気になるので、なんとか救出できるものならば、という思いとともに外へ出た。
もう動かないだろうなと近づいていくと、彼?彼女?、バタバタと動き出し、飛び出し、電線に停まった。
羽を休めていたのか、そりゃ、申し訳なかったな、という間に、どこかへ消えた。
という小さな物語なんだけどね。
さんざん、食い物にしてきただろう、わがDNAに、感応したんだろうか。
逃げ足の速いこと、という情景の、ある意味、切なさもあり、だな。
ちょっと、感傷的になったりもして、と言いつつ、食卓には、ブラジルからの鶏肉が並び、というわけだ。
このところの巴川情景は、走る方が増えている、何度も書いているけれど。
中には、顔一面マスク、なんて方もあり、だけど、そろそろ、熱中症だよね。
マスクといえば、古い知り合い、今は黄泉の国へ旅立った職人さんがいて。
彼、むくつけき顔、とでもいうか、強面でもあって、もちろん、心根はとても優しいんだけどね。
ある時、酒によって顔面を強打。
それを隠すために、マスク、さらにサングラスをかけ、銀行にお金を下ろしに行った。
ことを、彼の女房が、ねぇ、困る、と僕に説明する話がおかしくて。
あんなカッコしていったら、銀行強盗と間違えられちゃうよね、と。
無口の彼は、ニコニコもせず、その話を聞いていた光景が思い出される。
もっとも、今ではあんまり、強盗なんて聞かないな。
そうだ、彼、癌を患い、回復したのかしないのかのうちに、鬱状態になり、自ら水に入ったんだったな。
今頃、どこで何をしているのか、な。
と書きつつ、僕の中ではイキイキと生きているんだよね。
今朝は、コロンビアだ、サマニエゴ、いつもよりちょっと濃いめに淹れた。
毎朝、ほぼ熱帯地方、遠い遠い地からやってきた珈琲豆に被せるように、さまざまな思いをめぐらせる。
この時間、言っちゃえば、至福の時間。
さて、明日の指針発表会の原稿を、書くとします。