なんて時代は、いつ頃から始まってるのかね。
人類の歴史、なんてことを言えば、ほんの、つい最近、なんだろうな。
だから、ある意味、人類にとっての実験が始まって100年、とかの話かもね。
さまざまな齟齬、不都合が、知らずに起こってくるのも、宜なるかな、ってところだ。
感染病での死者は1万人強として、癌での死者は、桁違いなんだよね。
例えば、の話だけど。
時間当たり30人だか40人だか、だったな、たしか。
食生活なのか環境異変なのか、わからないけれど、とにかく、そんな数字だ。
それは怖いけど、とりあえずは、通常の、日常生活では、あたかも、ないことになっているような。
そんな気配濃厚だよね。
もっとも、日々の生活を恐れを元にして描くか、それとも、喜びを元にするのか。
なんてのは、大きな話ではあるね。
原罪意識も極楽地獄も、言ってみれば、幻想の一つとすれば、どうせなら、この生を喜びに包まれて、という魂胆だ。
簡単にいえば、解釈一つで如何様にもなる、ってことなんだけど。
その、簡単、ってのが、実は、とても難しい、という相反する話に展開していくんだよね。
だから、親鸞さんなんかも、愚禿親鸞、禿げてて愚かな、という境地に至り、以来。
心ある坊さんたちは、愚かを目指した、という学校教育とは異次元な世界へ、かな、ほんとかな。
かも、だけど。
今朝の当方の理解は、そんなところです。
知ってるものは言わず、だっけ、言う者は知らず、って、これまた、わけわかんない話にも進みそうだな。
いずれにしても、あほ、とか、愚か、とかってのは、実に爽快な境地なんじゃないかな。
知ってることに価値がある、と言う流れに棹さしていると、まだまだもっともっとの世界にたどり着き。
キリがないんだろうしね。
今現在だって、情報過多、と解釈すれば、どこまでも辿り着かない、なんか、ギリシャ神話にでも出てきそうな。
そんな世界の住人になっちゃいそうだしね。
コロナ禍で売れた「ペスト」を書いたカミュ、「シジフォスの神話」なんてのも書いていて。
神から罰として、シジフォスは、大きな石を山頂まで押し続け、山頂に着くとまた麓まで戻り、同じことを。
永遠に繰り返す、なんてのを与えられ、と言う話。
俺、これ、やめるわ、って言っちゃえば、それで終了、だったのに、ね。
これがまた、言い出せないんだよね、プライドやら真理の追求やら正しくあろうとしたり、あと何かな。
世間からいい人と呼ばれたい、素晴らしいの絶賛の歓声が聞きたい、とか。
ま、そんなところかね。
というわけで、何もない今日に流れていきます。