副題1、『久しぶりに、書くことの喜びを追い求めたいので、それを、お許しくださいませ』
私は、本日、2015年1月31日(土)の午後二時ごろ、このブログの読者様に向けて、「ここで、中断をいたします。再開は、夜の八時頃を見込んでおります」と、申しあげております。そして、今、は、すでに、夜の10時となっております。 さて、お約束をしていたその文章
札幌ビール、116億円の税金の修正を求める・・・・・嘘ニュースのリメイク・篇ー1
は、結構なレベルで、政治的に大きな問題を含んでいるので、現在の体力では、続きを書きたくありません。でちょっと、スピンオフとしての話題に入らせていただきたいと存じます。そしてその方が書くことの喜びを感じ取ることができるからです。自分の個性、自分の独自性を、発揮できるという思いがあって、最近の様に、外から振り回されながら、書かなくてはならないという、思いから離脱ができるでしょう。
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副題2、『オランド大統領の目の中にある怯えは、井上ひさしのそれ(鎌倉のホームで、私から逃げ出した彼のそれ)と、そっくりだった』
私は、シャルリーエブド事件が起きた時、一週間程度、無視してパススルーいたしました。というのもこれもスタップ細胞疑惑と同じで、作られた偽物の事件だと思うからです。射撃の場面がありました、犯人たちは、遠くへ逃げて、お店に入り、人質を取って、結局は射殺をされました。そして、シャルリーエブド者側の人間のお葬式の場面も、NHKで、放映をされました。
私が嘘だという部分は、これは、イスラム国で、後藤健二さんが、人質になるということが先に計画をされていて、そのうえで、シャルリーエブド事件を起こして、続いて起きるイスラム国の人質事件を、さらに、フレイムアップさせるために、作り上げられた事件だと、思っているからです。全然、自然ではないと思っているからです。
そして、オランド大統領の目には、そういう裏側を知っている人間特有の怯えが見えました。
それと同じものが、鎌倉駅ホームであった、井上ひさしの目の中にもあったのです。
どういうことかというと、彼と私はそれ以前に、鎌倉駅のホームにあった喫茶店の中で、二分程度、右と左との隣り合た席に座るという形で、二分程度、肩が触れ合う距離にいたことがあるのです。正面から顔を見合わせたわけではありません。
それなのに、井上ひさしは、私の顔をしっかりと、認識をしていました。不思議なことですね。
その日、私は、横須賀線の後ろの方に乗った方が、今日は、便利だと思い直して、普段、無意識に選ぶ、先頭車両の方向から、後部車両方向へ、移動をしていたのでした。横須賀線は、鎌倉駅を通るときには、十五両編成なので、とても長い電車なのです。で、後ろ方向へ、移動をしていたからこそ、正方向へ、歩いてくる井上ひさしと、正面切って、対面してしまったのでした。だが、6,7mも、はなられている時点で、すでに、警戒心いっぱいになった彼は、怯えた目をしたまま、踵を返したのでした。
これは、二〇〇五年までのことで、当然の事、彼は表向きも、裏向きも生きている時期です。その頃、すでに、わたくしのパソコンの中身を、私の方が、ネットにつなごうが、つながないでいようが、ハッキングをできるシステムはすでにできていて、井上ひさしは、常に、それを、読める立場にあったとみなされます。そして、そこから種を拾っては、私をいじめるための方策を案出しては、しかるべき筋に、上奏をしていたとみなされます。で、それがやましいので、ああいう目をしていたのでしょう。オランド大統領も、庶民が考えているのとはまるで、違う、事件の本当のコンセプトを知っているからこそ、怯えた目になってしまうのです。
事件のコンセプトというのは過激派イスラム集団の陰には、常にコアとしての、CIAがいるという事です。
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副題3、『こういう嘘ニュースには、特徴的なところがある』
こういう嘘のニュースには、非常に特徴的なところがあるのです。今回はまだ、それに触れてはいませんが、後藤健二さんの母、石堂順子さんの、外人記者クラブでの、記者会見が、すごかったのですが、それ以外にもいろいろな矛盾点を感じ取ることができます。
たとえば、イスラム国から解放されたという、フランス人ジャーナリスト、二コラエナン氏への取材ですが、朝日新聞、毎日新聞、他と、NHKテレビなどが、一斉に取材に言っています。それって、毒入り餃子事件の最終判決の時とそっくりで、しかも、右へ倣えと、言う感じの取材し貸しておりません。
メディアに就職するのは、難関の試験をくぐらないとならないだろうに、どうして、これほど、単一的なニュースしか取れないのだろうと、思うほどです。
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副題4、『八重洲ブックセンターで買った愛用の一枚地図(パリ)があるはずだが、見当たらない』
私は、前報で言ったとおりに、シャルリーエブド社の存在位置は知りたいと思いました。後で、分かった場所は、中世時代には、郊外であっただろう地域であって、それ故に、射撃の場面での、ビル群が、新しかったですね。
で、シャルリーエブド社の番地がどこにも、日本では、公開をされていないことは、それもまた、この事件が、諜略行為として、起こされたことを暗示していると思いました。
たとえば奥島孝康氏のwikipedia には、おお相撲野球とばく事件に際して、氏が、独立ガバナンスの何とか委員会の座長を務めてことなど、一行程度で片づけられています。非常に嫌な記憶というか捨て去るべき記憶なのでしょう。渡辺美樹氏に至っては、当時は、自分のキャラクターを巨大アニメ化したホーム頁を三つも持っていて、そこで、大騒ぎで、自分が委員に選ばれたことを誇っていましたが、今は、その3つとも廃棄されているみたいです。で、シャルリーエブド社の、正確な番地が公開されるか、されないかは、非常に重要なことだと思っている次第です。
たまたま、一度だけ、夜7時のNHKニュースで、現場に罰点(または、やじるし)を付けた、地図を、公開していたので、静止画像(録画の一時停止状態)にして、詳細に道路状況を点検しました。NHKの地図には、固有名詞は、バスティーユとオペラ座という表記しか、なかったと、記憶をしています。
共和国広場というのが、長方形で、特徴があります。バスティーユ広場は、これまた円形で特徴があります。その二つの広場の間に、ボルテールの像が、置いてある、美しい広場があります。観光地化は、されていない場所で、私は、そこが大好きで、バリ滞在記を、『ボルテール広場の秋』というタイトルにしようと思っているぐらいです。
シャルリーエブド社は、そのボルテール像の、北北東に位置しています。
私は、毎日、そのボルテール広場の徒歩10分程度北にある、シュマン・ヴェール駅まで、通っていました。で、NHKの地図から判断をするとシュマンヴェールの次の駅が、シャルリーエブド社の最寄り駅だと見えました。
で、八重洲ブックセンターで買った、アルファベットと、カタカナの両表記になっている一枚地図が、大変便利で、それを、探し出そうとするのですが、この17年間は、私にも激動の時期があって、ニューヨークへ二回も三か月ずつ行っていたり、逗子に荷物をもっていったり持って帰ったりしたので、それが見つからないのです。
で、ミシュランの旅行ガイド・パリ篇を取り出しました。20年ぐらい前の出版のものです。それで、不親切なことに、シャルリーエブド社の、最寄り駅は、アルファベット表記しかしていないのでした。
観光地化されていないということと、たくさんのアルファベットが使ってあって、それを発音しにくいからカタカナ表記がされていないのだと思いますが、たぶん、サンセバスチャン・フロワッサール駅という場所です。
それがしっかりと頭に入ったのは、いつだったのだろう。北久里浜で、そのミシュランガイドもなく、一切の書物というものもない中で、その駅名は、すらすらと、記憶の海馬からよみがえってきたのでした。
私はもっと穏やかな内容のものを書きたいと思ってはおります。抱えている未発表のパリ滞在記など、そういう意味では、穏やかで、かつ、面白いと思いますよ。観察が鋭いから。
でもね。今の私は、まったく違うことを書かないといけません。
うーむ。?
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