goo blog サービス終了のお知らせ 

アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

キューバ読書レポート(2) 『キューバ―超大国を屈服させたラテンの魂』を読む

2017年01月06日 | 読書
キューバ読書レポート(2)
『キューバ―超大国を屈服させたラテンの魂』(伊藤千尋著)を読む


 前回(12/16)は『現代キューバ経済史』(新藤通弘著2000年)のレポートだったが、今回のレポートは2016年発行の『キューバ―超大国を屈服させたラテンの魂』(伊藤千尋著)を読んで、1991年ソ連崩壊以降のキューバ情勢について考察したい。(カッコ内の数字はページ数)

アメリカ包囲下のキューバ社会主義
 1959年キューバ革命から1991年ソ連崩壊まではアメリカとの国交断絶(1961年)、繰り返されるカストロ暗殺計画、亡命キューバ人1500人によるキューバ南部への武装上陸(1961年)、米国全面禁輸(1962年)、キューバをテロ支援国家に指定(1982年)などが相次いで、キューバを経済的・政治的に打倒する政治が展開された。キューバはソ連圏との貿易によって、辛うじて経済的自立(従属)と社会主義体制を維持し、市民生活を守ることが出来た。

ソ連崩壊の影響
 しかし、1989年から91年にかけてベルリンの壁崩壊、東欧社会主義諸国の崩壊、ソ連崩壊によって、ソ連圏との貿易関係(85%以上)が縮小され、キューバ経済は危機に追い込まれた。キューバ経済は1990年比で1993年の国内総生産は35%も下落した(173)。

 1990年末にキューバは「非常期間」を宣言し、アメリカ包囲下のキューバ革命の防衛に全力で取り組み、1991年第4回キューバ共産党大会で、党規約、党綱領、中央委員会の権限、人民権力議会の改善、経済発展などについて確認した。

 アメリカは1992年トリチュリ法(キューバ民主化法)を成立させ経済制裁を強化したが、キューバはめげることなく1994年には黒字化にまで戻した(175)。1996年アメリカはヘルムズ・バートン法(キューバ経済封鎖強化、キューバ産商品の禁輸、キューバに寄港した船は180日間はアメリカに入港できない、国際金融機関からの排除)を成立させ、キューバ経済を締め上げた。

 1992年には、一国社会主義経済の限界からキューバ共和国憲法を改正し、①社会主義所有の不可逆性を削除し、民営化を容認し、外国資本の導入を図った、②貿易の国家的独占の廃止、③外国投資への保障、④信教の自由、差別の禁止、⑤ラテンアメリカ、カリブ海諸国との統合・協力、⑧国会議員、県会議員の直接無記名投票、⑪国家評議会議長に非常事態宣言の権限を与える、などの経済・政治改革をおこなった。

キューバ社会主義の変化
 著者伊藤さんは1986年、1989年、1995年、2002年にキューバを繰り返し訪問し、キューバ社会の変化を見てきた。
 1986年訪問時。伊藤さんは「他の南米諸国と比べて、キューバは別世界。失業率はゼロで、ホームレスがいない。スラムもない。食べるに困らず、飢えて死ぬことはない。治安は良く、女性がひとりで夜出歩いても心配ない。教育は幼稚園から大学博士課程まで無料、医療も無料、平均寿命は日本並み。しかし、80年代半ばは、食糧物資も不足していた。配給所はどこも長い列」と、当時のキューバの様子を記している(162)。

 1989年訪問時。伊藤さんの取材に応じた市民は「靴は120ペソ、シャツは70ペソ、月給は200ペソ」「今の社会には自由がない。政府に反対のことをいうと逮捕される。言論には常に圧力がある。息がつまる」「ドルショップには何でもあるが、…キューバ人は店に入れない。社会主義的植民地ではないか。政府は民主集中制というが、民主主義と集中制は本来対立する概念ではないか」と答え、物資不足と政治的自由にたいする青年たちの批判を載せている(167)。

 2002年訪問時。伊藤さんは「食べ物はかなり出回っていた。国民の60%がドルを持ち、キューバの第2通貨になっている。ドルを持つものと持たないものの格差が広がっている」と書いている(180)。ソ連崩壊とそれに乗じたアメリカによる経済封鎖を乗りこえたことを示している。

社会主義2/3+資本主義1/3
 資本主義(新自由主義)が世界を支配している時代において、キューバ社会主義を守ることができるのか? カストロは「経済的社会的発展を市場という法則に任せるわけにはいかない…しかし、何らかの形で、一定の形で、市場に適用することが出来ないことを意味するものではない」(272-新藤通弘)と述べている。

 2011年14年ぶりに開催されたキューバ共産党第6回大会では、党第一書記はフィデル・カストロからラウル・カストロに変わり(188)、党と革命の基本政策の大転換(国営部門の縮小、民間・外資の拡充、所得格差を認め配給制の廃止、福祉=社会的弱者政策)が決定された(2013年から制度化)。

 砂糖産業から観光産業への転換が図られ(2014年=海外から300万人、2004年は200万人)、社会正義の実現を追求する「持続可能な社会主義」を目標にしている。自営業者は2010年=16万人から2012年=39万人へ、そして2015年=49万人に増加している。工業や企業体のなかでの労働者による自主管理、産業現場での共同組合化が進んでしる。全国の遊休地を20万人に貸与し、自営農民の育成がおこなわれている。公務員数は革命直後の99%から2015年=85%、目標は65%だ。

 社会主義3分の2+資本主義3分の1の混合経済へと向かっている(194~199)。その結果、自営業、飲食業、海外送金を受ける層がニューリッチ層を形成し、雇用100%のキューバに失業者が増え、機会均等という革命の原則が崩れ、極貧状態の人々が15万人もいる。

一国社会主義と一党独裁
 1961年4月「7・27運動」+人民社会党+革命幹部団による社会主義宣言が発せられた。1963年2月には社会主義革命統一党を経て、1965年10月キューバ共産党が結成された。

 1975年12月第1回党大会が開催され、1976年キューバ共和国憲法が制定された。第5回大会までのキューバ共産党規約前文に「党は…フィデル・カストロの党である」とも書かれているが、カストロ個人が清廉な人物であるとしても、個=死としての限界は避けられず、思想と政治体制として確立すべきだろう。

 第6条には「キューバ共産党は…社会と国家の最高指導勢力である」という規定があり、現代民主主義の概念になじまない一党独裁が承認された。

 2003年の国会選挙では「一括賛成」が830万人中760万人で91%、棄権・無効票51万人だった。その後、「社会主義は不変」署名がおこなわれ、810万人(99%)が支持し、憲法を「社会主義体制を変えることはできない」と改正した。

 県議会・国会議員選挙は1名立候補による信任投票であり、複数の政党は存在しない。カストロは「複数政党制を導入することは人工的な亀裂を、国民の分裂を導入することである」「キューバにふたつの政党があるならば、1つは革命の党であり、もうひとつはヤンキーの党であろう」と言っており、アメリカ帝国主義包囲下のキューバ革命の深刻な位置を示している。

 「カストロは独裁者か?」との問に、カストロは「私は1人で決定することはない。重要な決定は常に集団的に分析されて下される。指導部は常に集団性でやって来た」と答えている。「キューバ流の直接民主主義」とも言っている。カストロは息子を後継者にしておらず、給料は30ドル/月(3600円)でしかない(075)。

アメリカによる経済制裁、カストロ暗殺計画(683件)、亡命キューバ人の武力侵攻が相次ぐなかで、キューバはすべてを実力で撃退した。「アメリカはなぜ米軍を直接キューバに上陸させることが出来なかったのか?」との問に、カストロは「キューバでは男でも、女でも、誰でも、米軍の軍靴に蹂躙されて生きるよりは死を選ぶ」と話している(190)。カストロは演説の最後で必ず、「祖国か死か。我々は勝利する」と締めくくっている。まさにキューバは帝国主義アメリカに首根っこを押さえながら、人民武装によって「社会主義」キューバを守ってきた。しかし、資本主義の心臓部の転覆、世界革命を経ずして社会主義は実現できないことは自明である。キューバのような小国ではなおさらのことだ。

中南米政治の転換
 2000年前後から中南米では左翼政権が続々と誕生し、アメリカと対決しているが、それはまだ資本主義の根底的転覆による社会主義建設には至っていない。あくまでも資本主義の枠内での政策的選択にとどまっているようだ(要検証)。

 1968年ペルーでベラスコ無血クーデタ(反帝国主義)、1970年チリーでアジェンデ大統領当選(社会主義政権~1973年軍事クーデター)、1998年ベネズエラでウゴ・チャベス当選(社会主義政策)、2003年ブラジルでルーラ大統領(農地改革)、アルゼンチンでキルチネル大統領、2004年パナマでトリホス大統領当選(飛行機事故死←米CIA)、ウルグァイで左派バスケス大統領当選、2005年ボリビアで反米社会主義者エボ・モラレス大統領当選、2006年チリーで社会党のバチェレ当選、ペルーで中道左派(アメリカ革命人民同盟)ガルシア当選、ニカラグアで左翼サンディニスタ民族解放戦線のオルテガ、エクアドルで反米左派のコレア当選、2007年グァテマラで中道左派コロン当選(社会民主主義)、2008年パラグァイで中道左派連合ルゴ当選(解放の神学)、2009年エルサルバドルで元左翼ゲリラのマルティ民族解放戦線のフネス当選、ウルグァイでムヒカが当選(左翼ゲリラ出身)、2011年ブラジルでルセフ(女性)当選(ルーラの後継者)、ペルーでウマラ当選(先住民、新自由主義からの転換、貧困のないペルーを)、2013年ベネズエラでマドゥーロ当選(チャベスの後継者)。

 その起動力はキューバ革命(カストロ、ゲバラ)にあった。2001年、ベネズェラ・チャベスは米州ボリバル代替構想同盟(中南米統合の枠組み)を提案し、2004年キューバとベネズェラが正式に提起し2009年にボリバル同盟(ボリビア、エクアドル、ニカラグアなど8カ国)が発足した。「ボリバル」とは南米諸国独立運動の英雄シモン・ボリバルのことである。

 かつての1951年発足の米州機構はアメリカ主導の反共同盟であり、アメリカによる中南米支配の道具として機能した。1962年にキューバを除名したが、1970年代以降機能が停止した。2011年に米国やカナダを含まない中南米33カ国が中南米カリブ海諸国共同体を発足させ、2014年の第2回会議はハバナで開催され、中南米「平和地帯宣言」が採択された。

 2015年に第7回米州首脳会議(1994年第1回会議)が開かれたが、キューバが初参加し、ついに米帝による中南米支配が終焉した。2015年7月、アメリカ―キューバは54年ぶりに国交を回復し、2016年3月オバマはキューバを訪問した。

 アメリカに痛みつけられた中南米の国々は今や自立の道を歩んでいる。アメリカの思うようにはならない。

キューバ革命から何を学ぶか
 カストロの人生は次々と生起する困難を抱えながら、キューバ革命を社会主義として貫徹することに費やされ、2016年にその死を迎えた。さて私たちは『現代キューバ経済史』と『キューバ―超大国を屈服させたラテンの魂』を通して、キューバ革命の50年から何を学ばねばならないのか。

 第1に、カストロ、ゲバラを先頭としたキューバ人民の命をかけた革命=社会主義への執念である。マルティ主義であろうが、マルクス主義であろうが、人民を奴隷状態に追いつめていた旧体制=植民地支配を武装して打倒したことに学ばねばならない。

 第2に、カストロ、ゲバラの武装部隊がハバナに登場するとき、労働者はゼネストで、学生は街頭に出て迎え(134)、1959年1月1日バチスタの亡命で決着がついた。誰が労働者(ゼネスト)を組織し、誰が学生(街頭制圧)を組織したのか。

 第3に、権力を握った革命政府が最初におこなったことは大地主の農地を接収し農民に分配し、農業労働者を協同組合に組織し、生産の主体に変えたことである。また大企業を接収し国有化し、協同組合による自主管理に移行したことである。それは労働者・農民のたたかいなしには実現しなかっただろう。

 第4に、労働者農民を公務員とし、肉体労働者も精神労働者も、その賃金を200ペソから300ペソとし、経済的平等を実現したことである。しかし、アメリカの経済封鎖、ソ連の崩壊、市場経済の影響を受けて生活物資の不足(物価高騰)を来し、半ば挫折している。

 第5に、革命=貧困からの脱出という成果を守るために、その後もたたかいつづけるキューバ人民の姿勢である。すなわち、アメリカCIAが亡命者を組織してキューバに武装上陸させたが、キューバ人民は武装して撃退したことである。そして経済封鎖による貧困・物資不足に必死に耐えている。

 第6に、資本主義の心臓部での革命なしには社会主義政策に着手することの困難性ではないか。カストロとキューバ人民は、アメリカ帝国主義とソ連スターリン主義によって翻弄され、社会主義建設に大きな障害が現れては消え、消えては現れるという苦難の50年に立ち向かいつづけた。その苦難の原因はアメリカ帝国主義にある。

 第7に、プロレタリア独裁は、政治的側面から見れば直接民主主義を軸とした民主主義の徹底に置かれるが、その根本には経済生活の保障を必要としている。キューバをとりまく国際的環境は後者(経済)の壁に阻まれ、前者(民主主義)を実現できていない。

 カストロの政治を「一党独裁」と批判することはたやすいが、アメリカと亡命キューバ人によるキューバ革命の転覆攻撃にたいして、複数政党制(社会主義の打倒)を選択できず、「強いられた一党独裁」による弊害よりもアメリカ帝国主義による外部からの障害の方が根底的であることを確認しておかねばならない。

 第8に、1959年キューバ革命に続いて、中南米では1970年チリー社会主義政権(クーデターで崩壊)をはじめとして、2000年代に入って十数カ国で左翼政権が誕生した。いずれも資本主義経済(外国資本の支配)の上に社会主義政策を接ぎ木する体制を強いられているが、資本主義の心臓部での革命を待つ以外にないのだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 今後の学習ポイントはカストロ、ゲバラのハバナ登場を迎える労働者(ゼネスト)と学生(街頭制圧)、中南米の左翼政権の現状把握、革命が一国に押さえ込まれたときのプロレタリア独裁のあり方などに置きたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 情報統制から「真空地帯」へ  | トップ | キューバ読書(3) 『キュー... »
最新の画像もっと見る

読書」カテゴリの最新記事