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アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

43年前の44枚のポスター

2025年05月29日 | 雑感
43年前の44枚のポスター
 43年前の1982年4月、美川図書館で「にんげんをかえせ」「侵略」の上映会が開かれた。主催者は真宗大谷派の青年たち(美川青年大学)。
 会場には、200人が詰めかけ、上映開始時間が過ぎても、主催の青年たちが現れず、待ちあぐねていた。その時、ふたりの青年は美川駐在所に拘束されていたのだ。理由はポスターを電柱にかけたことだった。
 このような微罪で、集会主催者メンバーを連日拘束し、当日も上映会が始まる時間になっても解放せず、映画会を中止させようとしていたが、真宗大谷派の仲間たちによって、1時間遅れで上映が始まった。

 その翌日からも、3人のメンバーを駐在所に引っ張り込み、それぞれ10時間を越える不当な取り調べを強行していた。取り調べ内容は「ポスター掲示」そっちのけで、青年大学の活動内容、真宗大谷派との関係、さらにSの写真を見せて探りを入れてきた。「死体になったら必要だ」などと言っては指紋を採り、「ウソを言うな!」と恫喝した。

 半年後の11月5日、3人に金沢地検への「出頭通知」が届いたが、3人は出頭を拒否し、15日警察による人権侵害について金沢弁護士会・人権擁護委員会に提訴し、翌日各紙が報道した。12月24日、「捜査の打ち切り」を求める300人の署名を提示し、26日金沢地検は不起訴を決定した。
 この弾圧は、ポスター掲示をめぐる単純な犯罪捜査ではなかった。翌年(1983年)5月に石川県内で予定されていた天皇植樹祭にたいする予防弾圧だった。

 

弾圧の背後で
 美川青年大学のメンバーの友人(同級生)に美川町教育委員会に勤務するBがおり、松任警察署・森山警部補は西野教育長を仲立ちにして、Bを青年大学メンバーのスパイとして接触させていたことが、1986年1月24日付の『朝日ジャーナル』で明らかにされた。
 その記事によれば、Bは、「翌83年5月(注:天皇植樹祭)まで、青年大学の3人と彼らの背後関係」を報告することを求められ、「以来、天皇来県まで約30回、私は森山から接触を受けた。…自宅や職場への電話。職場への来訪。勤務後、美川町外の喫茶店、レストランで密会」と記述している。
 当時県内の真宗大谷派の青年僧侶、青年門徒は反靖国闘争の最前線にあり、Sもたびたび行動を共にしていたが、石川県警(松任警察署)は天皇植樹祭を翌年に控えて、情報収集に躍起になっていたのである。

 「天皇制護持」こそ反戦平和運動弾圧の重要なファクターであり、私たちは、皇族のカリスマ性を流布するイデオロギー攻撃を軽視してはならない。

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