八田與一 「物語」から「歴史」へ 資料編(画像)3
ⓐ 地図(嘉南大圳の位置)
ⓑ 二〇一七年四月、八田與一像破壊報道
ⓒ 『のびゆく金沢』
ⓓ 『金沢偉人物語』
ⓔ 『91人の偉人たち』
ⓕ 自由社教科書、帝国書院教科書
ⓖ 小林よしのり「台湾論」(1~3)
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八田與一 「物語」から「歴史」へ 資料編(2)
目次(つづき)
(19)1968年 浅田喬二著『日本帝国主義と旧植民地地主制』
(20)1972年 許世楷著『日本統治下の台湾』
(21)1989年 古川勝三著『台湾を愛した日本人 八田與一の生涯』
(22)1997年 斎藤充功著『百年ダムを造った男』
(23)1997年 松田吉郎論文「興農倡和会について」「中島力男の聞き取り」
(24)1999 . . . 本文を読む
八田與一 「物語」から「歴史」へ 資料編(1)
目次
(1)1926年 頼懶雲著『秤』(『台湾抗日小説選』)
(2)1931年 蔡愁洞著『新興地の悲哀』(『台湾抗日小説選』)
(3)1926~36年『現代史資料21 台湾(一)農民運動』(みすず書房)
(4)1928年『台湾民報』(第194号、204号「よみがえる台湾文学」)
(5)1929年 矢内原忠雄著『帝国主義下の台湾』
(6)1929年 . . . 本文を読む
八田與一「物語」から「歴史」へ
【はじめに】
【総 論】八田與一「物語」から「歴史」へ
【論 考】①~⑯(略)
【あとがき】「與一物語」のウラには
【画像・資料】(略)
【資料リスト 1~31】(略)
【はじめに】
八田與一と烏山頭ダム建設に関する検証作業(二〇一一年)からすでに十年が過ぎた。その後も、八田與一の「偉人化」は留まるところを知らず、「雨期にはこう水、乾期には干ばつ…思うよ . . . 本文を読む
20220527「不毛の土地台湾」論批判
「雨期にはこう水、乾期には干ばつ…思うように作物が育たず」(『のびゆく金沢』)、「嘉南平原は、米や作物を栽培しようとしても、水がなく、…不毛な土地であった」(『金沢偉人物語』六)、「当時の嘉南は洪水や日照りのため米作りができない土地でした」(『91人の偉人たち』)、「雨期の洪水と乾期の水不足に悩まされる不毛の土地」(自由社版『道徳教科書』)、「ほとんど . . . 本文を読む
20220511 『水明かり 故八田與一追偲録』再読
2020年、八田與一「物語」の虚構形成に資するために、『水明かり 故八田與一追偲録(復刻版)』(北國新聞社刊)が発行された。しかし、発行者の意図とは別に、復刻版編集後記でも「現在語られる八田與一の伝記においても、一部そのような(誇張する)傾向」(復刻版168P)があることを認めているが、では一体何がどのように誇張されているのかを語ろうとしな . . . 本文を読む
植民地支配の道具・神社はいらない
4月に八田與一像が破壊され、今度は台北市内逸仙小学校の狛犬が破壊された。日本統治時代に北投神社に設置され、解放後同神社跡に逸仙小学校が建てられ、狛犬はそのまま残されていたという。
1895年、日本が台湾を植民地にし、その翌年には開山神社を作った(鄭成功を祀った廟を開山神社に改称)。その後次々と神社が作られ、最終的には260社以上が建てられた。そのほとんどが北 . . . 本文を読む
李承竜元台北市議の発言を紹介している。「(台湾の一部の政治家が)日本統治時代の負の面に触れず、歴史を美化する傾向に怒りを覚え、やむなくやった」「当時ダムは大日本帝国の食糧問題解決の必要から建造されたものだし、多くの農民は日本統治による圧迫と搾取で苦しい面もあった」(4/25「北國新聞」)
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「八田氏の歴史的評価を認めない」という動機はまったく正当である。歴史的に見れば、八田與一は日帝台湾植民地支配の技術官僚であり、実体的にも思想的にも日帝の尖兵以外の何ものでもなかった。
台湾人にとって、八田與一像は屈辱の証であり、私たち日本人にとっては植民地支配の居直りの証である。なぜなら、日本は台湾植民地支配を反省せず、謝罪せず、八田與一像を賛美することによって台湾植民地支配を美化し続けているからだ。 . . . 本文を読む